見出し画像

発達障害者(ASD)の障害者雇用3/社会は無理ゲーだぜ

聞くところによると、発達障害者は社会に出てからつまずくパターンが多いようです。

そこに至るまでも決して無傷ではいられないでしょうが、特性による凹凸を個性として大目に見られたり、無理しないでも済むような居場所に巡り合えていたり、凹部をカバーしようと本人が頑張ったりなどして、なんとかやってこれることも多々あるのでしょう。

私の場合は、社会に出ること自体がまず無理でした。

私は、小学校からの不登校の希望をかなえられないまま中学高校と進学し、結局大学で中退してます。その間にいわゆる二次障害と呼ばれるようなものをいくつも併発してしまったこともあり、人と同じように普通に働くことができるなどとはとても考えられませんでした。就職活動をするとか、社会に出ることを試してみるということすらしていません。

発達障害を起因とし引き起こされる二次的な疾患のこと。ASDの代表的な二次障害としては、うつ、パニック障害、ひきこもりなどがある。

幸いというか、自分の凸部を伸ばすという発達障害者のライフハックをそうとは知らずに実践していたというべきか、私の場合、創作活動に心血を注ぐという進み行きをすることになりました。

「就職するか、創作の道に進むか」というのもわりとよく聞く悩み事のような気がしますが、正直なところ、私にはそれがいったいどういう種類の悩みなのか理解できません。私の場合は、気がついたときにはそうするしかなかったというようなもので、選択肢はありませんでした。

少なくとも当時は、創作という行為を強迫観念に近い形でやっていたという気がしていますが、そうやって創作にかまける一方で、現実はとことん無視してきたわけです。

一面的には「オレは派手に天才なのでね、問題なんて一つもないよね」くらいに調子をこいて創作活動にのめり込んで二十代を過ごしましたが、一つのことにそうやって強迫観念的に集中することで、他の問題を直視しないようにしていたんですね。

私が直視しなかったのは、自分自身の不適合さとでもいうことになるでしょうか。あるいは、虐待という生育環境を含めてもいいかもしれませんが、そうやって、現実も見なければ、自分自身のことも見ないでやってきたわけです。

直視しても自分自身でどうにもできなかったからということもあるのでしょう。ともかく、そんな風にして、私は長い間どこか別の世界に生きてきたと言ってもいいような状態だったわけですが、「小学校からの不登校の希望うんぬん」と前述したように、実のところ、かなり早い段階で挫折していたというのが現実です。

ところがです。

私の場合、親がたとえ私に精神疾患と言って差し支えない症状が出ていても、甘えるなだとか我慢が足りないと叱責するばかりで、医者に連れていくとか、しかるべき機関に相談するというような発想をただの一度も持たなかったせいで、つまずきが隠され続けることになり、それが問題を複雑にこじらせる結果となってしまったわけです。

中途半端に勉学に適性があったことも、問題に蓋をするのに一役買うことになりました。社会に出るような年齢になった頃には、もう問題がこじれはじめてから十年以上経過していたというようなもので、やはりそれ以前のところに大いに問題があったということになりそうです。

若い頃の私には、自分の行く末に待っているのは「自殺か、他殺か、発狂」しかないと自分自身に対して戦々恐々としていたわけですが、「そういう派手なことは起こらない(くらいに自分は皮肉にも理性的だ)」という認識に到達することで絶望も底を打った感があり、そこからようやく上向きになっていくのです。






いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。