毎朝のルーティン
朝にベッドメイクをする習慣は、幸福度を高める。
そんな話を聞いたことが、人生で何度かある。
つい先日も友人と何がきっかけか、
ルーティンの話になった時、そのことについて話したばかりだ。
何を言おう当の僕も、毎朝ベッドメイクをする一人。
朝起きたら、シーツの皺を伸ばし、掛け布団から湿気を逃す。
枕の場所を整えて、その上に寝巻きを畳んでおいていく。
言葉にして書くと、すごく丁寧な暮らしみたいだ…
何だったら、天気が良ければ、毎日だって掛け布団は干したい。
だけど、実際、それはそうするものと思って、やってるだけで、
「丁寧な暮らしを送ろう」みたいな考えは、微塵もない。
純粋に、何の感情も持たずにできるから、
ルーティンと言えるのかもしれない。
友人とその話をしたときも、
「毎朝布団整えてるけど、別に俺そこから幸せとか感じてないで」
なんて適当に流した。
彼から言わせると、
ベッドメイクする僕は、ベッドメイクしない僕より幸せらしい。
布団を畳むだけで、幸福度って変わるかな?どうだろう?
そんなことを考えている今も、僕の背後のベッドは綺麗に整えられている。
確かに、これはこれでいいものだ。
飛び込めば気持ちよさそうなベッドが、
いつでも部屋にあるというのは、間違いなく幸せだ。
僕を、いつでも受け入れてくれている存在な気がする。
そうやって書いてる今、この瞬間からベッドメイクに、
幸せを感じられる自分になった気がする。
そういえば、僕はベッドメイクを、
日々の生活の質のバロメーターにしている節があるな。
人生の最終防衛ラインが、ベッドメイクなのかも。
たまには、自分のルーティンについて考えるのもいいなと思う。
自分が何気なくやってることには、
実は、意味も楽しみもあるはずだから。
あとは、それを見出して、それに幸せという名前を付けるだけだ。
そうじゃないと、そんなめんどくさそうなこと多分続かないんだろうし。
ルーティン、習慣、自分にとっての当たり前に才能が隠れてるんだとか。
もっと、自分について考え、知る時間を作ろうと思った。
そんな今日この頃でした。
梅雨と夏は、布団に湿気がこもって、何だか寝苦しいね。