第6話「(二度見で…)あなたが保健師さん?!」
さぉ今週もやってまいりました、尾っぽがないと書きまして「尾無(おなし)」でございます!
自ら被災し、裸一貫とはまさにこのこと!(被災者ブラックジョーク)。今回のテーマにもなっていますが、作業着にタオルを巻いて髭もボーボー。どう見ても土木作業員。支援チームの方々に何度も「あなたが保健師さん?!」と言われました(笑)
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発災3日目は先輩保健師と交代して小さめの避難所にいたのですが、そこでも救急搬送対応(恐らく狭心症)をするなど、依然として「モッテいる」尾無。ですが、この辺りの話までし始めるとこち亀ぐらいの超大作になるので割愛。笑
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4日目から山田町最大の避難所、約800人が生活する「山田南小学校」への配属が決定。寝泊まりしながら活動する尾無。避難所での活躍はいかに・・・?!
※避難所での出来事をしっかり書くため、「尾無ついに壊れる」は次回へと持ち越します!
●病院になった小学校
山田町は一ヶ所のクリニックを残し、医療機関全てが被災。
4日目から配属になった「山田南小学校」が医療の拠点になりました。ここには、地元の医療従事者、全国各地から医療チーム、災害支援ナース、公衆衛生チーム等々が支援にきてくださっていました(この時に今も繋がっている多くの素敵な方々と出会いました)。
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自分なりに全体像を把握しようと思いましたが、すでに地元のドクターが中心となり外来が設置され、被災者はそれぞれに教室に入り、びっくりするぐらい色とりどりの様々な全国支援チーム、避難所運営スタッフも多く入り、支援物資だってものすごい量。もう、一気に世界が変わりました。
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これまでの「ガッツ」だけでなんとかなるもんじゃないと察しました。同時に自分に何が求められるのか、何が「役割」なのかわかっていなかったことが、次回ご説明する「尾無ついに壊れる」に繋がったと思っています。
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話を戻し、避難所の医療体制。
最初に来てくださるチームの人たちは超絶優秀(お前が評価するな!)。何がって人柄が素敵です。被災側に負担をかけないのはもちろんのこと(まず優しい)(優秀で優しいし、水道水で髪を洗うことも厭わない)(とにかく優しい)、初めての人たちで体制を作るためのコミュニケーション、医療職・看護職というつながりから生まれる一体感。ミルミルうちに、小学校は病院機能も持つ避難所へと進化していきました。また、小学校だけでなく山田全体の医療体制へと発展させていきました。
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ここでやはりお伝えしたいのは、当時の私の上司である保健師がすごかったということです。
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医療体制は前述した形で出来ていくのですが、避難所のみならず、町全体の看護・介護・生活支援は幅が広く、体制を整えるのは大変困難です。そもそも「誰が指揮をとるか」というのが課題になるかと思います。それはやはり保健師の「役割」かと思います。
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上司である保健師は医療も含め、これらの全ての状況を把握しつつ、住民を知っているという強み(本当歩く住民記録)活かし、必要な量の支援を必要な場所に届くよう、医療・保健・福祉を中心とした各団体、機関、チーム(数十チーム!!!)と調整を行なってくれていました。
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しかも一度もキレることなく、にこやかに。もちろん不足してた!と当時のことを思っている人もいるかもしれませんが、この保健師は役所の中ではもちろんのこと、おそらく震災後誰よりも休まず、住民第一に働き続けました(私の記憶では8月が最初の休みで、その日も顔を出しに来てました。そう考えると半年以上休まなかったと思います)。
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今も保健師で誰を尊敬するかと言われたらこの方です。
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医療体制はこのような形で、災害があると大混乱はしますが、被災者側からしたら情報収集しつつ、辛抱強く待てば医療は必ず提供されます。支援者の立ち位置から考えると、ほぼほぼ数日で多くの支援チームが来てくださいますので、それを念頭に、自分の自治体ではどのように医療・保健・福祉の体制をどのように構築し、自分の「役割」は何になるかを明確にしておくことをお勧めします!!!
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ハイレベルな話が飛び交う避難所。ぶっちゃけ、ポンコツ新人男性保健師にはついていけないのです。やばい、自分には何もできない・・・と思い、とにかく気づいたこと、要求されたことに全て応える、できることには率先して「やります!」って言っていました。
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私はこのおかげで?!体調を崩していきます…要はダメなんです。「何でも屋」になっては。この後も読み進め、その教訓が伝われば幸いです。
●新人保健師、てんやわんやの避難所運営
尊敬する保健師は全体の調整役を、私は健康管理の視点から避難所運営を行いました。と、言っても、ほぼできなかったですが。
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まず、私は保健師とはいえ1人の行政マンですので、「役所の職員」という側面から、避難所にいる方々の把握(名簿作成)・支援物資の管理・分類・配布をします。衣類や灯油、食料等全部。複数人でやるのですが、昼夜問わずしなければいけない大変な作業でした。どんな塩梅かと言いますと、
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「Tシャツが届いぞーーーーー!!何枚ある数えてーーーー!!配れる量か把握しろーーーー!!」
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「イエッサーーーーー!!!」(尾無)
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「今度は菓子パンが届いたぞーーーーーーー!!!個数と賞味期限の確認、味の種類を確認しろーーーーー!!!!」
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「イエッサーーーーーー!!!」(髭尾無)
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「おおおおおおお!!!今度は水と灯油だ!!!!!よかったーーーーーー!!!!皆さんに知らせてこーーーーい!!!もちろん避難所以外の人も水に困っているぞ!!!!自治会長に知らせろーーーーー!!!!」
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「イエッサーーーーーーー!!!」(髭おやじ)
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…このテンション、冗談だと思いますよね?!
いえいえ、マジです。私は早めのアドレナリン爆発だったんですけど、これまで活躍の機会がなかった行政職員達は、ここからが本番。何より、全国各地からありがたい支援物資と皆さんの思いが届くわけですから、そりゃもうテンション爆上がりなわけです。
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これ以外にも芸能人の方々が来てくださったり、激アツな炊き出しも。テンションが冷めやる暇がないのです(山田町には白鵬、ファンキーモンキーベイビーズ、AKB48、山田邦子、邦子山田、YAMDA KUNIKO等が来て下さいました!!)。
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夜は3月でしたので寝ていると「灯油が切れました!灯油ください!!寒くて寝れません!!」と言ってくる方に対応します。なんかよくわからないのですが、決まった「灯油くださいおじさん」が来るんです。「いっつも来るし、できるだけ日中に来てくれよ…」って思いながら、私や役場の職員が一緒になって灯油を入れていました(初期は物が限られるので、避難所のスタッフで管理していたため)。
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でも、最初のうちは気づかなかったのですが、この「灯油くださいおじさん」は率先して夜、みんなが寒くないか目を光らせ、灯油がなくなったらすぐに来てくれていた「スーパー灯油くださいおじさん」だったのです。
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ここで反省。もっと住民の皆さんを頼るべきだったんです。全部任せないにしても、仕組みづくりを早々にできていたら、お互いに大変な思いをしなくて済んだと思います。それに、保健師は医療・保健・福祉に関連した業務が多々あります。一般事務の方に頼れるところは頼るべきだったと反省しています。これも一つの大きな教訓。
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「保健師的」な役割も担います。夜はお手洗いに行きたい方の介助、簡単な体調不良者への対応はもちろんのこと、急に寝たきりの方を「避難所なら大丈夫」と気づかないうちに体育館へ置いていかれることもありましたので、その方のおむつ交換等も対応しました(こんなことしてはダメ!!って思う反面、自分の家族や家を失った方が、家を見たり家族を探したいと思えば、このような行動となるのも致し方ないと思ったりもします)。
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また、避難所の方のみならず、外で精神疾患の方や認知症の方が外を徘徊しているというのにも対応していました。
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今振り返るとありがたい話ではあるのですが、住民の方々は保健師を頼ってくれ、「これ保健師さん、〇〇さんが外を歩いてたがぇ!!見てけだんせ!!」「裸足で△△さんがいなくなったってよ!!ほれ保健師さんも探してけだんせ!!」
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…いやいや、ボク超能力者じゃないのよ。町内広いし、瓦礫まだいっぱいあるし、冬で雪降ってるし…なんて思いもありましたし、見つけたところで何すればいいの?!とかも思いましたが(いやいや、保健師の仕事わかってないね、ポンコツ!!と今なら突っ込みたい。)、探し回りました。
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オンコールにも対応。例えば、「被災した山田病院の被災していない部分(2階)から体調不良者が出たため山田南小学校に送ります!」といったオンコールをとり、支援チームを起しに行く、みたいな(いや、結構おかしいですよね。病院から小学校に移送ですよ笑)。皆さん嫌な顔一つせずに対応してくださいます。
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でもこれも猛省。これは支援チームに任せるべきでした。だってめっちゃ電話かかってくるんですよ。窓口の一本化をするか議論になり、私が立候補してしまったのですが、めっちゃ電話かかってくるし、灯油くださいおじさんの対応もあるし。これがボディブローのように効いてくる。何かできることを!という新人の焦る気持ちが仇となりました。
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また、前回の述べた私のように、避難所へ家族や親戚、友人を探して来られる方もいらっしゃいます。その方に「ここにはいません」とお伝えすることの心の苦しさは尋常ではありませんでした。崩れ落ちる方を見て、何度も複雑な、言葉では言い表せない気持ちとなりました。今振り返れば自分自身、精神状態もぎりぎりだったのかなと思います。
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そして日中は、多くの相談が舞い込みます。
①体育館に要介護者がいるが寒くてかわいそう。
②夜泣きをしている子がいるがなんとかならないか。
③アレルギーの子の食事をどうにかしてほしい。
④精神疾患があります。日中はいいけれど夜どうにかならないか。
⑤咳ををしてる人がいる。感染症が広がらないか。
⑥下痢です。大丈夫でしょうか。
⑦両目が見えませんが、受診も必要です。誰か介助してくれませんか。
あなたなら、これらの相談や前述した避難所及びその周辺地域住民へどのように対応されますか??
●避難所運営の極意
はい、皆さんの注目を集めるために「極意」なんて書きましたが、極意なってありません!!!が、私の経験と振り返りから、是非こんな事を想定して準備されて下さい。
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相談内容を見ていただくと鋭い方は「ピンッッッ!!!」とくると思いますが、やはり災害時に困る方、支援が必要となる方を想定した部屋割りや、根本的な対策を考えることが重要になります。
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みなさんはHUGゲーム(避難所運営ゲーム)をご存じでしょうか。
私は全くこのような研修を受けておりませんでしたので、一つ一つに対し「モグラ叩きのように」対応するぐらいにしかできていなかったのですが、そもそも、小学校の部屋を確認し、感染症部屋・要介護者部屋・母子部屋・精神疾患の方の休む部屋等を準備しつつ、それぞれの「場」に合わせたチームを貼り付ける、といった対策(体制づくり)をとるべきだったと反省しています。
私が助けられたのは、全国の支援チーム、特に看護師・保健師の皆さんや住民の方々が「こういう部屋があるといいんではないか」といった助言をいただけたことです。
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私はまず、校長先生にこの避難所で必要とされる部屋と部屋数について説明をし、ご理解いただきました。学校は避難所になっているとはいえ、施設の責任者は校長先生になります。児童生徒の学校生活を守ることが先生方の役割であるため、ホイそれと解放できないという事情もあります。
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まだ一年目で、こういったことも理解していない私でしたので、失礼な言い方も多々あったと思います。しかし、当時の校長先生(女性の素敵な校長先生!!今もお名前を忘れていません!!)は、悩みながらも「尾無さんがそんなにいうのであれば」と教室を解放して下さいました。
その後、すでに教室に入られている方に、これから要支援者も含め、全員が生活しやすい新たなレイアウトへと変更することを説明し、移動をしていただきました(もちろん反対意見もありましたし、抵抗もありました。でも根気強く、丁寧に、何度も説明しましたよ。土木作業員の格好で。笑)。
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避難所ですけど、一時的ではあってもみなさんの「生活の場」なんです。新人保健師であっても、自分がバタバタ動くのではなく、状況を確認しながら、「先を見据えた必要な対策」を考えて講じていく(アレルギー対応の離乳食やミルクもオーダーすれば県や支援団体を通じて得ることができます。やっぱりこれも先を見据え、すぐ必要とならなくても頼んでおく必要があったと思います)。そうして、生活と健康を守る。それが現地の保健師の役割であったと思います。
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たまにこの避難所運営について振り返ることがありますが、今でも自分の不甲斐なさに、悔しくて落ち込むことがあります。だからこそ、人に伝えることが自分の責務だと思っています。
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取り留めなくバラバラと書いてきましたが、これが避難所で起きた10日間くらいのまとめ。発災から約2週間てんやわんやでまとめて寝ることもできません…。次回、活動し続けた尾無がついに壊れます…
次回は、第7話「僕は生きているのか、死んでいるのか」を以下の3本立てでお送りします
・尾無ついに壊れる
・ポンコツ男性保健師、戦闘能力0
・精神崩壊保健師、精神保健担当になる
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