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これから教員になられる方へ

こちらの記事もあわせてどうぞ。学校教員の疲れや悩みへの対策として書いたものです。


教員採用試験、お疲れさまでした。
合格された方、おめでとうございます!
もちろん、講師の道を進まれる方もいらっしゃるでしょう。

僕の身近にも合格された方がいらっしゃいまして、頼まれたわけでは全くないのですが「お節介ながらその方に何を言えるだろう」と思うと、この記事を書いてみたくなりました。

以下の連続ツイートに加筆修正してまとめます。(140字にまとめようとして偉そうに書いちゃったし…)




お読みになることを強くオススメしたい本

教育書を調べると、膨大な数に上ります。”初めに読むべき”、”初任者向け”と謳った本も山とあり…。なので初めの一歩として個人的によかった本をご紹介させてください。

当然ながら他にも好い本はたくさんあり、僕が挙げたラインナップだけで完璧とはいきません。が、”初めの”一歩”として絶対の自信をもってオススメする本です。


①授業の腕をあげる法則(明治図書)

これはもう絶対に絶対に。どうかお読みください。値段も良心的!

一斉授業はどうしたら上手くいくのか、人を混乱なく動かすにはどうしたらよいのか。そのノウハウをシンプルに分かりやすく誰にも再現可能な形でまとめた本。何度も読みました。

ここに書いてあることを全てやったら「よい授業」になるわけではないと思います。でも、「よくない授業」だった時の原因は、書いてある内のどれかにある。それを知れるってすごく大事なこと。読まないと、知らずに損している一冊です。

”子どもの話を聞く優しい先生”のクラスがあっという間に崩れていくエピソードもリアル。読んでおくだけで”怖さ”を知れる。怖さを知れば、避けられる。

教育技術の法則化運動に対して、色々と意見があるのは承知ですが、絶対に役立ちます。


②つまらない普通の授業に子どもを無理矢理乗せてしまう方法(黎明書房)

教員の仕事は授業だけではなく、むしろ”それ以外”が多い。授業の準備時間はほとんど無いと言ってよい。しかも何教科も、いくつもの単元があります。誰もが面白い授業をしたいと思うけれど、難しい現実がある。

(そもそも、教員が”面白い授業”をするばかりでは、子ども達が自分で楽しくする力が育たないかもしれません。本当に”面白い授業”でよいの?という議論も必要ですね)

我々が”面白い授業”をできないとして、それは授業の実力を高める必要もありますが、同時に仕方のない側面もある。多忙の中、現実はどうしても”つまらない授業”が大半を占めてしまう。ご自分を守るためにも、どこかでその受け入れや割り切りは必要だと思います。あなたのせいではない。それだけではない。

でも諦めるのは早い!なんとか楽しくする技術はある、という本。それは雰囲気やノリといったもので、学びの本筋ではないかもしれません。

でも掃除中に音楽をかけていたら何となく気持ちが上がって掃除にもやる気が出た、なんてこと、あると思うのです。それを誤魔化しとは言い切れないはず。

つまらない授業になってしまうことだってある。でも、だからこそ他の部分で何とかできる。この発想が大事だと思います。ご自身を救う意味でも。

教師の仕事は、ある意味では雰囲気づくりが全てだとも言えるでしょうから。


③AさせたいならBと言え(明治図書)

タイトル名言すぎ。教育以外でも通じる考え方ですよね。

素晴らしい先生は、子どもを動かす時に”魔法”を使います。子ども達が心地好く、スムーズに、”自分で考えて”動いている。その魔法の一端がこの「AさせたいならBと言え」。

相手に動いてほしい時、指示以外の方法もあるということ。むしろ他こそが大事だと思います(「指示以外で人を動かす技術を意識する」で後述)。

指示以外の動かし方、伝え方はとても大事です。指示ばかりに目が行って、そんな言葉ばかりになってしまいがちですが。


ここまでを技術編としたら、次の二冊は思想編。


④教えるということ(ちくま学芸文庫)

教師たるもの、その責任感をどこにもつか。プロってこういうことだよなあと読むたびに背筋が伸びて、学期ごとに見返していました。

同じようにはできません。僕はまた別の考えもあって動いているから。でも、それでも、自分に向ける厳しい目はカッコよく、先生だけじゃない道を選んだ今も、僕の背中を支え続けているのです。


⑤教育の力(講談社現代新書)

教育って、学校って、なんのためにあるのか。やっぱり一つの解をもって仕事をしたいですよね。そこに直球で答えてくれる一冊。

自分の仕事の位置づけ、意味づけをもてていれば、きっと折れない。

「自分で考えることが大事」という意見もあるでしょう。分かります。でも考えるための相当に好い材料も大事。その材料として素晴らしい一冊です。


小さくとも一工夫を

今、授業ができる立場にある方は是非。そうでない方は、4月から。

「どんなに小さくてもよいから、毎回の授業で一工夫してください。それが絶対に力になるから」

僕が教育実習で校長先生に言われたこと。毎回です。絶対です。約10年間、僕はこれは続けられたように思います。言葉は本当でした。今の自分に、教員でもそうでない時間にも、このことが生きている。

(必読書で挙げた『つまらない普通の授業に~』で”工夫”の幅が広がって、工夫がしやすくなったことも大きかったです)

一工夫する、この習慣をつけること。これがあなたを救うことは、時代背景からも言えます。

”ただ授業するだけ”なら、もはや機械にできるのです。タブレットが個別最適化した問題を一人ひとりに出し、優れた先生の動画を見せれば、その方が知識理解はより定着しさえするでしょう。

”ただ授業するだけ”であれば、”あなた”である必要はないのです。

でも、”あなた自身の力や哲学”があればそれは実力ですから、それがあれば機械に負けないし、別の場所でも生きますから。”先生”じゃなく”あなた”の力になりますから。それは一工夫の積み重ねでしかないですから。

なお、タブレット学習時代には、”わざわざ教室に集まる意味”を生めるかがそのまま教師の存在意義になるはずです。言い替えると、”人と人とが集まる意味”であり、そこに感情やアイディアや、五分前には想像もしていなかった展開が生まれていること。僕らが工夫すべきはそこだと思います。そこにしか無いと思います。


指示以外で人を動かす技術を意識する

これが必読書『AさせたいならBと言え』で触れた”魔法”の正体です。ある意味で教師の力の根幹だと言えるかもしれません。

子どもが、相手が”そうしてしまう状況”をつくること。

ケガをした子を見れば助けに駆け寄る。車に気づけば避ける。

指示しなくても子ども達は、こうしたことを当たり前に行います。であれば、それをわざわざ指示しない。「先生が言ったからやった」にしない。「そんなことが自然と出来ていて好いね」にする。

入ったカフェで、椅子を好きな場所に持って来ることはせず、机を避けて通り椅子があるところに座る。それが我々の習性です。モノの配置によって道ができる。だからそれに従う。同じことです。教室で机どうしの間隔を狭くして通路を窮屈にしておく。クラスメイトが通る時その子は椅子を引く。それを見ておく。「優しいね」と伝える。
(当然ながら、スペースに余裕があるのに窮屈にしては必然性が無いので疑問が出るだけです)

プリントを配る時、ちゃんと数えずに適当な枚数を渡す。余った時に持ってきてくれたり、足りない子に渡してくれたり、列の途中で残り枚数を数えて「あと2枚ください」と言いに来てくれたり。それを見て「仲間のために有難う」と伝える。

改めて、大事なのは、子どもがそうしてしまう状況を作るということです。

指示を出せば見た目には同じ結果が得られます。でもそれは「先生の言うことを聞いた」から。僕らは先生に従う力を育てたいわけじゃない。自分で判断し行動できることこそを大切にしたい。だからこそ「先生が言ったから」にしない。その子の判断を奪わない。

実はこっちの計算通りかもしれません(人間はそんなに単純なだけでもないでしょうが)。けれど。

机の配置、活動の順番、教師のさり気ない一言…実はそういう”指示以外の部分”でも人が選ぶ行動はかなり決まります。だからタネをまき、彼らが「自分で判断した行動」を促す。そこに「ナイス判断」「好いね」と返す。

そうした”自然な姿”へのフィードバックこそ、一番その子に届くのではないかと思っています。

このこと、もう少し言い替えると。

人の行動はどのようにして起こるのか、こんな風にしたら相手はどう動くのか。そんなことを小さく実験、分析してみること、けっこう楽しいですよ。少なくとも、意識するだけでも。


自分の調子のバロメーターを知っておく

二つの意味があります。
①調子がおかしくないか、イライラしやすい日ではないか、自分に気づけるアンテナをもっておく
②自分は何をすれば回復する人間なのかを知っておく


①調子がおかしくないか、イライラしやすい日ではないか、自分に気づけるアンテナをもっておく

教員を約10年しました。今、他の仕事もしています。「教師は多忙すぎる」はやっぱり本当でした。

山とある仕事。全部を終わらせて職場を出るなんて無かったなあ…。

それを、長い時間働いてなんとかしようとしてしまうはず。それが教師。

それも大事ですが、積み重なると、なんだかイライラして子どもに強く接してしまうことなんかも起きますから。どれほど「そんなことはするまい」と思っていても。

これが怖いのです。たくさんの仕事。いつもギリギリ。早く終わらせたい。子どもが”余計なトラブル”を起こす。さらに仕事が増える。イライラする。強い言葉で接する。それを避けるために、やることも手順もキッチリ固める。「このクラスにはハッキリ言うことが必要」だと思い、言葉が強くなる。でも、あれ、それがしたくて教師になったのだっけ…?

我々は、余裕がないとイライラするのです。イライラすると自分の行動が普段と変わるのです。”いつも”が崩れるのです。なんとか相手をコントロールしようとします。何より怖いのは、そうしている自分を正当化することです。

僕の苦い経験から言います。教師が怒りまくっている。教師の言うこと、怒るポイントが日によって違う。そのストレスと、不安定さとブレでクラスは崩れます。

ですから自分の不調に気づけて、思わず注意したくなる気持ちをぐっと抑えられることも必要なのです。「今自分が注意しようとしているのは、自分を正当化しているだけではないだろうか?」

ということで、今日の自分の調子を測るバロメーターを知っておくとよいです。

僕であれば、自分の仕事が自分の頭の範疇で収まらない時、順番を組み立てられない時、そうして焦っている自分を自覚したら要注意。


②自分は何をすれば回復する人間なのかを知っておく

放課後も土日も、”教師”の仕事にたくさんの時間を使ってきました。それはそれで大事な時間でした。

ですが、多忙に追われ、土日も放課後もプライベートが無くなる生活は長くは続けられません。今思えばストレス超過だったのでしょうが、廊下を歩いていて耳鳴りがしたり、職員室で周りの学年の声は聞こえるのに目の前の学年団の声だけが聞き取りづらくなったり、感情がマヒする感じがしたり、けっこう危ない時もありました。

休みが足りなかったのかもしれません。

ですから、読書なのか映画なのか食事なのかキャンプなのか、回復方法を知っておく。できれば複数もっておく。

ストレスと悩みとで、今まで好きだった趣味が楽しめなくなることも起きます。読書が好きだったのに、仕事の本ばかりで楽しくなくなったり、食事が好きだったのに、時間に追われて急いで食べる自分に嫌気がさして、食べることすら嫌になったり。そんな哀しい変化もあり得る。

だから、できれば自分を救う方法は多い方がよい、と思います。


以上、思ったより長文になってしまいました!”学校”や”先生”に対して、実は言いたいことが沢山あるんだなあと最近思います笑

どなたかの参考になれば幸いです。

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