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ゴールの先出し-こんな算数の授業はいかがでしょう

こちらの記事もあわせてどうぞ。学校教員の疲れや悩みへの対策として書いたものです。


「元教員」でも生きていける。そんな証明になります。



算数授業のしかたについて書きたくなりました。

こんなツイートを拝見しまして。

「自分が考えていたことと同じだ!」と思いRT。

算数や数学はニガテで、まして教授法などの理論を知っているわけでもありませんが、「今の自分ならこんな風に進めるだろうな」を書いておきたくなりました。

一つのスタイルとして、こんなやり方もアリなのでは?ということで。


(自分が発明したわけではなく、同じ考えをしている人は世界にたくさんいるでしょうし、僕も先輩がやっているところからマネ・参考・発展させていることを付け加えておきます)


「先に答えを教えてしまう」スタイル

色々な意味で算数授業がしやすくて、僕が好きだったのは「答えは先に教えてしまう」ことでした。

例えば分数のかけ算を、以下のように出題します。
(画像はこちらのサイトからお借りし、一部編集させていただいています)

分数1_1

問題(スタート)と解答(ゴール)が先に分かっていて、展開(プロセス)だけを考えるスタイル。

もちろん文章題でも使えます。

これだと考える視点が「どういう道を歩いたら、現在地からそのゴールまでたどり着くのか?」に絞られます。

こうすることで、かなり考えやすくなるのではないかと思うのですね。特にニガテとする子たちにとって。


RTでも書きましたが、彼らにとって問題だけ出されると、二つの負担がかかります。
①向かうべき先(ゴール)が何か分からないこと
②その中で考えを展開させないといけないこと


ニガテで止まってしまうというのは、どちらに脚を踏み出せばよいかの検討がつかず、動けない状態なのではないかと。
(得意というのは、向かうべきゴールのアタリをつけられることだったり、ゴールが分からない中でもとりあえず一歩を踏み出せることなのかも知れません)


「先に答えを教えてしまう」ことで、考えるべきことがかなり絞られ、自分の歩みが正しいか判断もしやすくなるのだろうと思います。

また、考えるポイントが絞られているので、意見交換もしやすくなるというメリットもあります。

何より、”ニガテな子”たちの大部分が考えを進められるようになるので教師がラクです。

新学習指導要領は「子ども達の学びやすさ」に着目しているのだと僕は思いますが、それだと個別対応ばかりが増えて大変になりかねない。

「教師の教えやすさ」と「子どもの学びやすさ」の両立こそが大事で、持続性があって、働き方改革なのではないかと思います。


答え先出し・間を埋めるスタイルの派生形

向かうべきゴールが先に決まり、プロセスを考えるやり方は応用が効くので三つご紹介します。


①先に答えを知りたいかどうか選べるようにする

答えを先に知るのは嫌だ、自分で考えたい子ももちろんいます。その子たちはそれが楽しいのだから、無理に答えを出して楽しみを奪うこともないのだと思います。

なので、まず問題を出して

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「答えが分かっていた方が考えやすい子は前においで~!」と伝え

分数1_1

と提示する。途中で答えを知りたくなる子もいるでしょうから「いつでも聞きに来てね」とか「答えを確認したくなったら仲間に聞いてもOK」と伝えておく。

こうして、子ども達の興味に応じて教室をどんどん二分していく。これが一斉授業の中で出来るだけ一人ひとりに応じる時の王道なのではないかと感じます。
(体育や図工でも、ミニマムな説明の後に「もうちょっと見たい人、説明を聞きたい人は残っていてね。ここまでで十分という人は始めちゃって」と言って進めることができます)

そして子ども達は、自分が答えを必要としているか、けっこう自分で判断できるものです。それはメタ認知ということで「自分で自分のことが分かっていて好いね」と声をかけたいところ。

また以前は答えを見ていたけれど、最近は答えを見ずに取り組んでみるようになった子がいたら、それはそれで成長なのだと思います。


②「すごろくスタイル」として他の教科でも応用する

「スタートとゴールが分かっていて、その間を埋める」このやり方は、すごろくスタイルとでも呼べるかもしれません。

そう考えると、けっこう社会科との相性もよかったりします。

例えばこのようにして間を考える。

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慣れてきた子には、プロセスを複数パターン考えてもらう。

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こうなると、「こんな可能性もあるかも!?」と、ブレスト的な面白さも出ますね。

このステップがあると、調べ学習も取り組みやすいでしょうし(答え合わせ的な作業になったり、「このパターンがあったか~!」となったり)。

もっと言うと、システム思考にも発展していく素地なのだと思います。


理科でも使えますね。例えば身体のつくり、消化を扱う場面。

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保健でも。

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国語でも道徳でも、話の展開、心情→行動の読み取りに使えるかもしれません。

日常生活で起きたトラブル、相手の子の気持ちを想像するのにも役立ちそうです。


③スタートやゴールも自分で決めてみる

思考ツール、フレームワークとしてのすごろくの考え方に慣れてきたら、きっと自分でスタートやゴールも決められる子が出てきます。

例えば体育で。

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言葉だけじゃなく、イラストを入れてもよいことにすると使いやすそうですね。

う~ん、応用が利く…!


僕が、算数授業が好きではなかった理由

賛否両論ある前提で書きますと、僕はいわゆるオーソドックスな算数授業が好きではありませんでした。

答えも考え方も実は初めから決まっていて、「みんなで考えたね」「みんなの意見を合わせるとこうなるね」という演出はするものの実際はついていけない子がいて、誰かが欠席しようと発言しようとストーリーは決まっているとしたらその子の存在にも教えている先生の存在にも”意味”が感じられなくて、45分の使い方としてもったいない感じがして。

いざ”みんなで話し合い”をしようとしても、空論が行ったり来たりで話がかみ合っているとも言えなくて。
(賛否両論の上で、自分の力量不足もある上で)

初めから決まっていて、それを教えてもらえればそれで話は終わりなのに、あえて出さないことで悶々と悩むような時間は、果たして誠実なのか?なんて思って。

だからこうしたやり方で「教師は教えやすく」「子どもは考えやすく」なるなら、自分には合っているんですね。


先にゴールが分かっていると、考える力が伸びない?

そんな懸念はありそうですが、う~ん、どうなのでしょうね。

未来が見通せないVUCAの時代において、先に与えられたゴールに向けて考えるこのやり方への批判はありそうなのですが、僕は以下のように考えています。

まず、「自分は考えられる」という自信が大事です。ニガテな子は冒頭の二つの負担-①向かうべき先(ゴール)が何か分からないこと②その中で考えを展開させないといけないこと-においてその自信をつける機会が少ないのだから、考えやすくするサポートとしてアリだろうと思います。

少なくとも、教師が一つの手としてストックしておくことは悪いことではない。

それに、VUCA=先行き不透明な時代で生きるというのは、ゴールを仮決定(仮説)ということではないでしょうか。

であれば仮決定したゴールに向けて間を埋めていくという意味で結局すごろくスタイルになる気もします。
(VUCAとは、色々な要因によって設定したゴールや現在地を何度も見なおすことが必要になること、その結果プロセスもまた見直すことだと言えるかもです)

そもそも問題を先生に出される、というスタート地点がどうなの?という議論もありますね。問いづくりから始めるやり方、僕は好きです。


なんだかガッツリ書いてスッキリしました。どなたかの参考になれば嬉しいです。


追記:いただいたご意見

Twitter上で、ご意見をいただきました。発信者さんに許可をいただき、いくつか載せさせていただきます。


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