仕事をするなら「島で最初のお店」のように。
仕事やお金や暮らしについてのお話。
ある物語
島に一つのお店がある。そのお店がどうやってできたのか、小さな物語。
その島の住民は自分で野菜や米を育て、魚をとって生活している。
島では油が取れない。だからタロウさんは船で町に買いに行く。
ついでだから他にほしい人はいるか聞く。手を挙げた人の分も買ってくる。余裕があれば他にもほしいものを聞いて購入する。
帰ってきてお金と交換。野菜や服でも良いかもしれない。
今度〇〇を手伝ってくれれば良いよ、いつも〇〇してくれるから今回は良いよ、なんてこともある。
(毎回それだと厳しいから、貸し借り、今の自分の事情なんかで考える)
暮らしに必要な油を、自分の分まで買ってきてくれる。
それが助かるから「またよろしくね」となる。月一回とか年一回とか継続してもらえるように、タロウさんの畑やら地域の掃除やら、仕事は島民が引き取るようになる。
自分たちに必要なものを外から持ってきてくれる。
タロウさんがそれに専念できるよう、彼の暮らしを支えることにする。
タロウさんはまた町に行く。油や色々を買って必要とする人に渡す。
島民たちは代金と、暮らしに必要なものを渡す。野菜や魚だったり、代金とは別のお金(タロウさんの生活費)だったりする。
こうしてタロウさんは島で最初のお店を開くことになる。
「島で最初のお店」が生まれたのは、こういうことなんじゃないか。
町とやり取りするお金はどこから来た…とか細かな色々はさておいて。
仕事ってこういうものだったんじゃないか
「島で最初のお店」の話で僕が発見するのは、仕事のはじまりはこうだったんじゃないかということ。
自分にとって必要だから〇〇をやるけれど、誰か必要な人いる?
必要ならついでにやるよ、興味があったら一緒にやろうよ、ということ。
誰もいないなら自分ひとりでやる。それも良い。どうせ自分はやるのだし、自分に必要な分はクリアできる。
乗っかる人がいれば全然一緒にやるよ、ということ。
自分にとっての必要が叶うと同時に誰かのプラスも叶うなら、単純にその方が良いじゃん、それなら最高じゃん。そんな感覚。
カレー作るけど、一人分も二人分も変わらないですよって。
それが本当に必要なら、暮らしていけるし続いていけるでしょって。
現代でビジネスやマネタイズと言うと難しくなるけれど、そもそもの「仕事」ってこうだったんじゃないか。
こういうものだった。だから、こういうもので良いんじゃないか。
じゃあ僕がすることは何だろう
僕にはこれが必要で、だからやっています。その場を開くので、どうせならご一緒しませんか。
自分がやることをそういうイメージで描いてみる。
僕は納得フェチで、世界に納得したい。自分の形にも納得したい。
今もずっと探している。「これで良いんだ」と思う瞬間が欲しい。
だからずっと考えている。それは誰より自分のために。
どうしてもこうしてしまう。僕はこの形になってしまう。
面倒でも迂遠でもそもそも論から考える。歩みはゆっくり、でも着実に。
納得したい。ちゃんと悩みたい。時間をかけて考えたい。
欲しいのは分かりやすい答えじゃなくて納得にいたる過程。
あれこれ考えて本当のところを見つけていくこの道のりを「蒸留」と呼んでくれた人がいた。
生き方ブレストはその一つ。
僕にとって必要な「人生についてのあーだこーだ」を、よければ一緒にいかがですか。
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これで良いのだろう。あとはこの気持ちをお金に乗っ取られないように。
だからどんな風に仕事をするか=僕の美意識が大事になる。
仕事に向ける僕の美意識
お金があればできることが増える。助けられる人も増える。
お肉は買うし油や味醂は作れないし、暮らしに多少のお金は要る。
それでもお金に乗っ取られない。普段は忘れているくらいで良い。
暮らしそのものを営む。それを楽しく大切に。
食べ物を育てて料理をして、生活に必要なものを工夫して調達して手づくりもして、お金がそれほどかからない。多少の現金収入と多くの時間。
あー楽しかったね、(必要なら最後に)そういえばお金の清算もあったね、くらいで良い。
お金は大事でも一番じゃない。誰かが困った時「お金にならないから」応じないのは僕じゃない。
儲けよう=自分のところにお金を引っ張って来よう、にしない。
必要とされてやっているから、わざわざ「あなたにはこれが必要ですよ」「私みたいになりたいならこれを買うと良いですよ」と言うこともない。
お金を拒まない。でも「儲けよう」ではない。
その自分を保てるように、複数の安心材料をもっておく。
専業化とは誰かが支払うお金に自分の暮らしを依存させること。
「島で最初のお店」の話からもう少し言えば
・畑仕事や地域の掃除など暮らしにまつわる色々があって、自分は複層的であるはずで(でも現代は就職先ばかりを自分の属性にしがち)
・「〇〇するから必要ならついでにやるよ」がまずあって、お返しに「じゃあ〇〇は引き取るよ」が発生する(その先に専業化することはある)。
・関わりの中で自分の属性が決まっていく。そういう過程=実感が大事なのだと思う。
環境と経緯で僕の形ができていく。
そうして「仕事」と「自分」が合致していくのだろう。
じゃあ僕はどんな世界の一部となるか
長くなった話の最後は、僕が渡すものと、僕を通して出て行くものについて。
①僕が渡すものは「これが良いよね」という時間と関係
僕が欲しいのはそれだから。そういう自分でいたいから。
あなたの話を一緒に考えて、乗っかって、私たちの話にする。
「仕事やお金になるから」良い話なんじゃなくて。
言葉を探してあーだこーだ話して、ただただ良い時間だったよね、というそれだけ。
日々は色々あるけれど、やっぱりこういう話が大事だよねと、そんな余韻の残る時間。
それが思い出されて「あの後どうですか」「こんなの見つけましたよ」と連絡する関係。
②僕を通して世界に染み出て行くものは
僕が僕らしくいることで、良いものが世界に染み出して行ってほしい。
人に渡せる時間があって、気持ちが優しくなれる豊かな暮らし。
できることが増えて、語れることが増えて、気付ける世界の美しさが増える。
不安や心配で動く必要がない。善意を善意で表せる。あの人が思い浮かんだとき言葉やものを丁寧に贈れること。
そこに多少のお金があるならさらに安心が深まって、良い暮らしをありがたく思って、透明な良い自分でいられて贈り物もできて、考えたことを渡していける。お金とのほどよい関係性。
僕はこんな形が良い。だからこれは僕からのお誘い。こんな世界はいかがですか。
そのお誘いとして、僕はこの形でやってみよう。
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