おいしいカフェオレを淹れよう。じんわり時間と付き合って☕
ストーブに乗せて沸かしたお湯は、もう絶対にはっきり丸い。
これで淹れるとカフェオレもお茶も、チャイもスープも美味しくなる(今もお鍋を乗せている🍲)。
それに気付いてしまいました。
寒い冬の楽しみに、ひとつ出会えて嬉しいです⛄
ミルクパンを取り出して、普通に売ってる粉末カフェオレ。
ちょっとのお湯で溶いてから、牛乳・豆乳を注ぎ足す。
ひと混ぜしてからストーブの上。
後はそのまま置いといて、シワが寄ったら出来上がり。
ガス火も美味しくできますが、ストーブでもっとゆっくりと🔥
熱さも味も馴染んでいって、まあるく美味しく出来上がる。
じんわり時間と付き合ったから、こうなってくれる気がします⏳
ガスは直火ですばやく熱して、角を感じる熱さにもなる。
じわっとゆっくりストーブは、角なくまあるく温まる。
そういうことかもしれないです。
ゆっくりの方が丸く済む。そういうことってありそうです🔍
ご近所さんとすれ違う。
車じゃ気付かないかもしれない🚗
自転車は挨拶できそうです🚴
歩けばおしゃべりもできるかも。
急がずじんわりじっくりと。それで生まれる美味しさです。
カフェオレもスープも、おしゃべりも。
畑の野菜も同じかも。自分がアレコレやっているのは不安からだと気づきます。
庭が良い土になってほしい。落ち葉や米ぬかをまいています🍂
微生物が分解をして、土地がちょっぴり豊かになる。
時間がかかると知りながら、どんな様子か見に行きます。
すると当然、気になっちゃう。不安がどんどん育ちだす。
変化が全然ない気がする。何かやり方が違うのかも。もっと沢山が良いのかも。
それで追加をしたくなる。前の結果がまだなのにアレコレ動いてぐちゃぐちゃにする🌀
やり過ぎってどこからか。その線引きが知りたいです📝
不安で焦って手を出しちゃう。待てなさによって乱しちゃう。
畑と教育は似ています🏫
小さく確かな一手に絞る。どっしりそれを続けていく。信念をもって変化を待つ。ただそれだけが肝心です。
アレコレ手を出すんじゃなく、結果を急ぐこともせず。
じんわり時間と付き合うこと⏳
待つのが大事と知りながら、なかなか出来ないこともあります🍵
ストーブの上のカフェオレは、いつになったら温まるかなって
それだけひたすら眺めていたら、早く早くって急かしちゃう。
待てる人間になりたいけれど、楽しみだから待てないです🕒
そこでワタクシ気付きました。
「待てる人間になる」んじゃなくて「待つのと同じことをする」。
同じ結果が生まれるはず👓
色々やってて良いってことです。
パソコンだとか読書をする。気付けばカフェオレが温かい☕
子どもと一緒に遊んで過ごす。気付けばちょっぴり大人びた👦
家のアレコレで畑に行けず。気付けば落ち葉が土になる🌱
じんわり時間と付き合うのには、やることがあると良いわけです。
「それだけ」になると重たくなる。軽やかだから待っていられる(結果的にね)。
「育てよう」と力んだなら、野菜も教育も同じことで
直球で効率的になっていって、その弊害も出てきます💣
教師だから出来なくなっちゃう教育があり
農家だから出来なくなっちゃう野菜の育て方がある。
ゆっくりじんわり生きていたい。
といってガス火も必要です。さっと火おこし、強さも調節。大発明です🏅
でも一方には「じんわり」を。
いくつか異なる時間のはやさを、心の中にもっておく。
出来るときにはストーブで、ガスでもなるべく弱火でじっくり。
明日はじんわりストーブで、焼き芋なんか良いですね🍠
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。