そろそろと「関西民鉄派」であるからには。~「ちちんぷいぷい」と黒田一樹を偲びつつ。
一応「関西民鉄派」としましては、関西地ソースの
研究と、京橋のフランクフルトの話くらいは書き
ましたが。
まあでもしょっぱなのトラウマがインパクト強
すぎて、関西民鉄の中でも阪急に対するリスペクトが
すさまじく低いのも特徴的な「関西民鉄派」なのです。
(一応大手で完乗しているのが阪神だけなのも薄弱な
部類なのですが。京阪>山陽>阪神>南海>近鉄>阪急、
って感じになるのですけど)
そもそもかつての鉄道王国だったはずの北海道に
生まれながら一欠片もJR北海道を擁護出来ないのは
本質的に昔から鉄道で旅行出来なかった積もる恨みと
JR北海道に乗ったことで楽しめた経験がほぼ皆無
だからかなと(国鉄時代の憧れは白糠線乗車と釧路行
の特急(狩勝線(滝川~富良野~新得)経由の特急に
ついてた今の主流でもない「豚丼」初体験したこと)
くらいなのが。せいぜい親に連れられてで納得したの
は小幌駅に行けたことくらい。
高校前の予備校から大学までは主に通学でJRを
使っていましたが、その頃乗ってたキハもほぼ引退
して縁のない状態。2011年以降は特に近づかない方が
得策、ってエピソードが頻発したので、ほぼ利用し
なくていい、に納まっているのが第一条件。
次に惹かれたのは、何故か行きが神戸空港からで
最終日が関空発の大返しをまだ西九条線が出来ていない
時期にわけもわからず阪急を立ちんぼで阪急三宮から
荷物持って「うめず」時代の「梅田」から地下鉄を
乗り継いでなんとかなんばまでは辿り着いたけど、
同行の親戚のワガママで「ウェディング・ベル」の
ような待ち惚けをミナミの「ウェンディーズ」でさんざ
喰わされたことがホントにトラウマで。
(その間あちらさんは「阪堺電車」で睦まじく、だった
そうで。あの待ち惚けがどれだけムダだったか)
(なので今でも大阪は梅田に近寄らない「キタ」に
滞在しているのが一番の好み、になります。ミナミは
このトラウマで「なんば駅より外には出たくない」に
なってしまいました。そのシバリが功を奏したのか
終盤に大逆転劇のリベンジ達成はあったのですが、
その話はいずれ)
「あずにゃん使えない」もなくなったし。南海のアンスリーが全て
なくなる前に。〜関西民鉄派最後のリベンジ部分を記しておくか。|torov
その頃音でよくかかっていたのが「おけいはん」の
テーマの一つで中之島ゆきが歌っていた「ダブルデッカー。
そうでっかー」の「出町柳から」だったわけです。
(ま、イベント中止も含めていろいろ物議もありました
が、この曲に謳われているイメージで、京阪沿線の
イメージがかなりつかめたのでした。歌っているのは
むろん変名で、三浦理恵子の歌ですけど)
なわけで、ようやく解放された形でいきなり現れた
ダブルデッカーに3駅だけまず乗って京橋駅で買って
きたフランクフルトがなおのこと美味だったわけで。
その後天満橋駅近くの「ホテル京阪」を定宿にして
旅した時がやはり一番充実していたわけですが、その
頃にはもうこの本を常に持って行動していました。
で、岐阜行きの旅行計画立てているときは結局
「ゴゴスマ」全否定だったので、全く観ていません
でしたが、この頃は北海道でネットもされていたので、
「ちちんぷいぷい」を参考に旅程を立てることは
ありました。
まあ宿から歩いてすぐではあったので、「曽根崎
心中」にも出てくる「時鐘」の際に持って行ったのが
デジカメでいろいろ撮るようになった旅の事始め。
そして天満橋を渡って「肉吸い」を食べに行った
「一富士食堂」で「ちちんぷいぷい」を観た光景が
ある意味一番幸せを感じる光景だったなあと。
そんな「ちちんぷいぷい」も無意味なまでの空中
分解で四散したそうですが(まあ北海道でのネットが
切られた致命傷はやはりブラックアウトした2018年
9月の胆振東部地震のオンエアで、何か最後一つ
コーナーあって無事に終わるか、と思ってたら何一つ
必要のない北鮮ヨタ話おっぱじめてやらかしたので、
「これは時間の問題」と悟った記憶がある)。
で、ガンで亡くなる前に、西アナウンサーそっくりの
黒田一樹が出演したのも(で、案の定汐見橋駅スタート
から始めたのも)「ちちんぷいぷい」でした。
ビジネス街を中心として10軒以上の本屋が軒を連ね
かつ古書店街もほうぼうに広がっている好立地にも
かかわらず本を紹介するコーナーが致命的に少ないのも
また「ちちんぷいぷい」のダメダメな点でしたが、
それでもこの本を採り上げたのは奇跡に近く(以前
そんな梅田の書店でプッシュされてた西アナが突然
「流星ワゴン」を採り上げたことで憤慨している書店員
もかつていたから、その配慮が加味されていたのかも
しれない)、でもそれは非常に有用だったので、その
頃になると常備携帯しながら旅をしていたこともあり
ましたが(一度リニュアルされる前の男山ケーブル
行った時に濡れてかなりダメにしたので、天満橋の
ジュンク堂で買い直したこともあったか)。
そんなあたりを偲びつつ「京阪カーブ式会社」まで
行けるかな、と思いましたが、今日はこのくらいまでか。
ま、いずれこの話の続きは、といふことで。