![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87651014/rectangle_large_type_2_6fef11b71f18661c724784561bd9ebde.jpeg?width=800)
そろそろと「関西民鉄派」であるからには。~「ちちんぷいぷい」と黒田一樹を偲びつつ。
一応「関西民鉄派」としましては、関西地ソースの
研究と、京橋のフランクフルトの話くらいは書き
ましたが。
まあでもしょっぱなのトラウマがインパクト強
すぎて、関西民鉄の中でも阪急に対するリスペクトが
すさまじく低いのも特徴的な「関西民鉄派」なのです。
(一応大手で完乗しているのが阪神だけなのも薄弱な
部類なのですが。京阪>山陽>阪神>南海>近鉄>阪急、
って感じになるのですけど)
そもそもかつての鉄道王国だったはずの北海道に
生まれながら一欠片もJR北海道を擁護出来ないのは
本質的に昔から鉄道で旅行出来なかった積もる恨みと
JR北海道に乗ったことで楽しめた経験がほぼ皆無
だからかなと(国鉄時代の憧れは白糠線乗車と釧路行
の特急(狩勝線(滝川~富良野~新得)経由の特急に
ついてた今の主流でもない「豚丼」初体験したこと)
くらいなのが。せいぜい親に連れられてで納得したの
は小幌駅に行けたことくらい。
高校前の予備校から大学までは主に通学でJRを
使っていましたが、その頃乗ってたキハもほぼ引退
して縁のない状態。2011年以降は特に近づかない方が
得策、ってエピソードが頻発したので、ほぼ利用し
なくていい、に納まっているのが第一条件。
次に惹かれたのは、何故か行きが神戸空港からで
最終日が関空発の大返しをまだ西九条線が出来ていない
時期にわけもわからず阪急を立ちんぼで阪急三宮から
荷物持って「うめず」時代の「梅田」から地下鉄を
乗り継いでなんとかなんばまでは辿り着いたけど、
同行の親戚のワガママで「ウェディング・ベル」の
ような待ち惚けをミナミの「ウェンディーズ」でさんざ
喰わされたことがホントにトラウマで。
(その間あちらさんは「阪堺電車」で睦まじく、だった
そうで。あの待ち惚けがどれだけムダだったか)
(なので今でも大阪は梅田に近寄らない「キタ」に
滞在しているのが一番の好み、になります。ミナミは
このトラウマで「なんば駅より外には出たくない」に
なってしまいました。そのシバリが功を奏したのか
終盤に大逆転劇のリベンジ達成はあったのですが、
その話はいずれ)
「あずにゃん使えない」もなくなったし。南海のアンスリーが全て
なくなる前に。〜関西民鉄派最後のリベンジ部分を記しておくか。|torov
その頃音でよくかかっていたのが「おけいはん」の
テーマの一つで中之島ゆきが歌っていた「ダブルデッカー。
そうでっかー」の「出町柳から」だったわけです。
(ま、イベント中止も含めていろいろ物議もありました
が、この曲に謳われているイメージで、京阪沿線の
イメージがかなりつかめたのでした。歌っているのは
むろん変名で、三浦理恵子の歌ですけど)
なわけで、ようやく解放された形でいきなり現れた
ダブルデッカーに3駅だけまず乗って京橋駅で買って
きたフランクフルトがなおのこと美味だったわけで。
その後天満橋駅近くの「ホテル京阪」を定宿にして
旅した時がやはり一番充実していたわけですが、その
頃にはもうこの本を常に持って行動していました。
で、岐阜行きの旅行計画立てているときは結局
「ゴゴスマ」全否定だったので、全く観ていません
でしたが、この頃は北海道でネットもされていたので、
「ちちんぷいぷい」を参考に旅程を立てることは
ありました。
まあ宿から歩いてすぐではあったので、「曽根崎
心中」にも出てくる「時鐘」の際に持って行ったのが
デジカメでいろいろ撮るようになった旅の事始め。
そして天満橋を渡って「肉吸い」を食べに行った
「一富士食堂」で「ちちんぷいぷい」を観た光景が
ある意味一番幸せを感じる光景だったなあと。
![](https://assets.st-note.com/img/1664113894709-jagmlh5gaR.jpg?width=800)
そんな「ちちんぷいぷい」も無意味なまでの空中
分解で四散したそうですが(まあ北海道でのネットが
切られた致命傷はやはりブラックアウトした2018年
9月の胆振東部地震のオンエアで、何か最後一つ
コーナーあって無事に終わるか、と思ってたら何一つ
必要のない北鮮ヨタ話おっぱじめてやらかしたので、
「これは時間の問題」と悟った記憶がある)。
で、ガンで亡くなる前に、西アナウンサーそっくりの
黒田一樹が出演したのも(で、案の定汐見橋駅スタート
から始めたのも)「ちちんぷいぷい」でした。
ビジネス街を中心として10軒以上の本屋が軒を連ね
かつ古書店街もほうぼうに広がっている好立地にも
かかわらず本を紹介するコーナーが致命的に少ないのも
また「ちちんぷいぷい」のダメダメな点でしたが、
それでもこの本を採り上げたのは奇跡に近く(以前
そんな梅田の書店でプッシュされてた西アナが突然
「流星ワゴン」を採り上げたことで憤慨している書店員
もかつていたから、その配慮が加味されていたのかも
しれない)、でもそれは非常に有用だったので、その
頃になると常備携帯しながら旅をしていたこともあり
ましたが(一度リニュアルされる前の男山ケーブル
行った時に濡れてかなりダメにしたので、天満橋の
ジュンク堂で買い直したこともあったか)。
そんなあたりを偲びつつ「京阪カーブ式会社」まで
行けるかな、と思いましたが、今日はこのくらいまでか。
ま、いずれこの話の続きは、といふことで。