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旅先でどんなことがあろうとも、そのたびにいつも本を読んで乗り越えてきた。例によって前日なので考えてはおりました「歯医者へ行って来ます」文学。

ってことで例によって前日なので考えてはおりました
「歯医者へ行って来ます」文学。

まあ普段からあまり自分のインナーに入り込みすぎた発言は
控えて「虚しきが如し」してるものだけど、精神衛生上良くないので
あれば入り込んでみるしかないか。

イベントやら都合とやらで車の中で過ごさなければならなかったとき。
そのたびにいつも本を読んでいることでそれらを
乗り越えていた。そうしてしまえぱいつも気分は紛れるし、
そのうち状況は変わるからだ。

 ひとまずこちらを「歯医者へ行って来ます」文学の軸、とでもしようか。

 一番そんな話の礎にあるのはとうに嫌気か差していたスキーなんぞに、と札幌国際スキー場まて連れて行かれたが、
その時も何冊か見繕ってひたすら本を読んでいた。

 やがて聴こえた「中止!」の声にホッとしながら、何冊か
ザッピングで本を読んた上で帰路に着いたのは覚えているし
、それ以降スキーのみならずスキー道具を持ったことすらないのがある意味心の拠り所であったりもする。
(ま、スキーやってて楽しいことなんてひとカケラもなかったからねえ。一人で余市までバスで往復しなければならなかったり、マウントレースイ滑ってたって陰鬱な夕張しか感じられなかったものね)

松下興産は結局2005年に破綻。

さっぽろテレビ塔が「ナショナル」製だったのもこの名残。

まあ札幌中央バスのターミナルでバスを待ってるときに、
殊更寒色系の青白い「あのロゴ」を前面にして待ってる気持ちを
一層お寒くさせたアレに関しては絶対に忘れないからな
、といつも思っている。
(基本さっぽろテレビ塔の時刻表示を撮らないのはその魂がしっかり
引き継がれているからだと思うけど)

今年のテレビ塔の袂で咲いてた桜


当初は旅をするときも、図書館との結びつきが濃かった頃は
図書館で借りた本を旅先にも持って行ってた。

 基本的に一般的な図書館は五万から十万人規模の中央図書館を
基軸にシステム設計されたネットワークで一番機能する
システムだと思っている元図書館司書ですけど、札幌市に
越してきてからは逆に新刊・中古の本を探すほうが効率的な
こともあって、本を借りる習慣は次第に無くなって行った。

この御時世もあって、基本的に映画館と図書館に行くことに関してはまだまだ憚っている。


 基本的に(せまいほうなぞ持たないので)旅行の参照になる
ファイルと軽く読んでおきたい本、資料をある程度旅行先に持ち込み、
ある程度用が済んだ本は宅急便で先に土産と共に送って、代わりに
旅先の本屋(や綺麗に捨ててある黄色い護美捨て場)でしか買えない本を
補充したりしてた。
(関西方面だと、よくジュンク堂でしか米沢穂信の「古典部シリーズ」を買わなかったり、「アタック25」や「きになるオセロ」「探偵ナイトスクープ」などのABC栞シリーズを大事に扱ったりしてた)



現地の図書館に行って、そこでしか読めない本でも読んでくる、に
シフトしてからは、結構気軽に読みに行ける図書館の
方が好みになった。少し雨足が強まる中で、地鉄の車輌の音を聴きながら、舟橋村の図書館で、阿久悠日記に関する本を
読んでたときはなかなかいい時間だったなと。


そんなことがある一方で。

 そんなふうにして視力は運転免許が取れる年になる前から
矯正視力でも怪しいあたりをさ迷っていたので、クルマに
乗るのは大概誰かに連れられて、だった。

 だからそんな人達が多分に「おだつ」時にも常に本を読んで
乗り切ってきた。

 だからとみに道北と道東へ行くときは哀しく、かつときに
感情的にもくさくさした気持ちにもなる、が如実に漏れ出る。

 親が水産系だったもので赴任先は北海道でも辺境が多めではあった。
だから稚内まで行くのに(多少まだ日本海側の蛸壺オーナー業が
広まる前の安定供給があった頃の蛸が食えたくらいの得はあったけど)
道案内しながら母親と行く道は単調で、やや徒労の感が常に付き纏う
ものだった。
(その頃はまだ初山別村にセイコーマートもなかったし、
雪印もまだ二度目の破綻に至ってなかった)

ひとまず一記事上げて風呂に入ろう、をモチベーションにして記事を割り付けて行きますか。まだまだ記事作成としてはスクランブルフライトの真っ只中、って感じですが。|torov

 まあその昔にも稚内に住んでた時期もあるんだが、その頃はあまりにも
幼すぎて、住んでたと言い張るには弱い部分も多いし、その後母親と
利尻へ行ったときに大喧嘩した記憶もあるので、利尻のことを思い出し
たくもない、なんて深めの傷もある。
(逆に蝗さんはそこまで行くんかー、とそこはあっけにとられるくらい
すげー、とは思いますが)

 で、一番軽蔑するに値する対象は「72時間」のときにも
VTRで見られたけれど、「セイコーマート」にインフラを
保って貰っている地域なのに、事情もわからず某求肥入りアイスの
「種類が複数あるー」と「おだつ」ある意味身の毛もよだつ発言を
カマすトトぶり、なんですが。
(それで似たようなアイス評をカマす人を雇ってる無能なところもあるんか、と猿払村が嫌いになったこともあった)

喪われた「雪印遺産」を求めて・「ダイマル乳品」|torov

教義上食べられなくなった、やダウトな件は多々あるから「俺達の宝石箱を返せ」、とするのがまあ道民古来の心情ではある。ってヤツから強火加減で定番ローテーションの曲「Dream Dream」までを語ってみる。|torov


それと道の駅に対する「行き過ぎた」が故の恬淡な態度に関しては
こないだも少し記しましたが。

リクルートとじゃらんと道の駅を欲するまでのトシじゃなし。合法的に「旅コミ北海道」をドカして、村重杏奈が出たところでそんな土スペは観ない。執筆時間に充てよう。その分アプリで観られた濃いめのテレ東三番組について。|torov

それは道の駅スタンプラリーに狂ってた伯父を思い出す供養の一つであると共に、「ほぼゼロ泊24時間道東道の駅スタンプラリー旅」に行く羽目に
なった悪夢が脳裏を横切るからでもある、と。

 まあ結局「しらぬか言問」で少し仮眠めいたことをした以外は特段
眠ることもなく、親の赴任先根室に行って(もろもろ片付けをして)
道の駅スタンプラリーして、普通に帰れればまだトラウマにはならん
かったと思うのですが。

 更にきのこ狩りに行くとか「おだった」人がおりまして。

それで砂川スイーツロードの「北菓楼」にすら寄れなかったのは
名残惜しくもあったのですが、結局このときも傍らにあったのは本で、
ここでも読書することで乗り越えてきたことがあったよな、と
思えるのですけど。



 自転車は最終的にロードバイクまでは乗っていたが、結局今の眼鏡に
新調した際に飛蚊症がひどく周りの安全確認をするときにすら
問題になるレベルで飛蚊症が進行してしまったが為に乗るのを諦めた。

 そんな普段から自分でクルマを運転するなんてとんでもない、と
思う人がいつも本を傍らにして状況を乗り越えてきたことに
対置するエネミーのようなブーブーに対して、ハスから入るのは
ある意味必然ではあるし、そんな事情もあるものなの。

 また旅をするたびに多様性のあったコンビニと毎度毎度お別れしなければならなかった旅をしてきた者にしてみれば、「コンビニイコールセブンイレブンという浅薄な人」を「そんな装備で大丈夫か」(そう浅薄なのは未熟だから仕方ないにしろ、根本理由が濁点銀行、と来ればそれはハスるしかないじゃない)とハスるのは必然かと。

(まあ多様性のあったコンビニと毎度毎度お別れしなければ
ならなかった旅をしてきた、は別テーマとしてまたの機会に
でも語ろうかと)

旅先でどんなことがあろうとも、そのたびにいつも本を読んで乗り越えて
きた。例によって前日なので考えてはおりました「歯医者へ行って来ます」
文学、でした。




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