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あの頃を思うと、思い出の曲はKAB.の「カレーライス」。~積み残してや、から邪神ちゃんと帯広編の感想も添えつつ。

ひとまず念頭にあったのは「#思い出の曲」ってタグで
(所謂憲章タグの一つ)曲系では意外とここからの連想で
書いたことそういやないな、と思ってつらつらと進めてみる。

久々に日記を書いてた頃っていつだっけ、と思い初めは
中学の終わり頃からかな、と記憶しているけど、どうやら
27歳くらいまでは日記を書いていた模様。その後はネットでの
書き込み(コメント)が主に日記代わりの備忘録になっていて、
でも最後の方は何日分かの纏まった日記的備忘録で、次第に
出納帳だけが別に残っていった、って感じなのかと。

まあメインとしてはその日記をそれでもつけていた頃が
数ヶ月途切れて、ラスト4ヶ月分の主な出来事などが書かれて
いた(モノをさっき発見して少しだけ読んでた)その前の年の話。

だから、この曲が出た年がそれくらいだった、ってことでも
あるのだけど。
で、その頃には通っていた「無認可校」はまだシアターキノの
近くにあった頃で、しかも夜の深い方のクラスではあったから、
イベントを観てから「無認可校」に通うことも少なくなかった。

そんな時にイベントに行ってから、同じクラスのヤツとその
アーティストについて語ったこともある曲がこちら。

どうしても「カレーライス」は追憶の歌になりやすくて、
そしていつもどこかもの哀しい。
 KAB.はよく音楽処の石川のおばちゃん(千鶴子さん)が
よく呼んでいたアーティストの一人で、「ソングラ」に出て
いた直後も、本を自主出版してた時も札幌時計台でミニライブ
やった時もよく観に行ってサインを貰ってた。最後に観たのは
たまたま松澤由美とコラボした曲で二人来ていた時かな。
 今でも心に残るアーテイストだし、デビューアルバムの
「日吉」はKAB.が紛れもなく東急線沿線のアーティストだった
ことを伝えてくれるいいアルバムだなあ、と。

>積み残してや
なんとか「邪神ちゃんドロップキックX」は12話まで走破。
今期は流れ流れたけど来るべきところにちゃんと落着した。
 まあこの10年でモブやってた連中がもろもろ売れてても
律儀に(特に落合福嗣とか花江夏樹などの男性陣)出てる
あたりが「邪神ちゃん」らしいし、クラウドファウンディング
で増えた4話の旅編も私自身は問題なかった(この4話の
中では帯広編が一番納得)。

ちぎりパンなどでも有名な満寿屋パンは残念ながらこの
御時世にブチ当たり本州からは撤退しましたが、「麦音」
だけはしっかり余すところなく紹介されたと。

 ま、よく満寿屋パン買ってたのは帯広駅近くの店が数多く
いい思い出にはなっているけど(まだ看板が白スパサンド
くらいの頃か)。
 一人で買いに行ってたのはさっぽろ東急でちぎりパン
売ってた頃の懐かしさ、かな。冷凍して小分けでチンして
食べる人も多かったような。

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131702/13202302/dtlrvwlst/B280450918/

https://www.masuyapan.com/onlineshop/

 ま、採り上げられていなかったところで藤丸閉店は寂しい
あたりですけど、こと藤丸の首を絞めたのは帯広と釧路が
高速で繋がるようになってしまったから、ってのもまた一つ
の皮肉でもあるな、と。
(一時期百貨店の早く無くなった釧路の客を呼び込むような
バスツアーなんて企画があった頃が最後の華かと)

あと『魔王様でおやすみ』は残り1話まで来たかな。ゆるり
と観るのも一興かなあと。

聖地厚別の激闘の後は、予想通り2段階で寒さが増してきて
いる、そんな札幌からつらつらと今日もお送り致しました。

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