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何故(なにゆえ)にノブヤボの「蜜月の終焉」まで辿り着けたかは好奇心の賜物としか言えないですけど。侮られやすい小役人の合祀郡名が存在するのは、定見のない小役人のその場凌ぎな体質が根幹にあるからああも侮られる、という歴史の不思議は調和的。段取り力もあって一件片付きREGZAのテレビが治りました、な今日この頃。

『ウマ娘三期』六話感想の看板画像は画定してるが纏めるのは
結構ナンギな一面があるな。

まあそっちはそっちでタイトルだけは大体定まったか。

涙も引っ込む「ザラキ」がいるのでそこはググッと堪えることの
鍛錬にはなるけれど。感情移入できないかな、と判断出来たら
後は何を代入するかを考えればいいだけか。なので看板画像はこうなると。『ウマ娘三期』六話「ダイヤモンド」感想。|torov|note

 それよりかは方向性の定まったこちらを出す方が収まりは
いいか。

といふことで段取り力は大事なんだねえ、といふ一連がやっと
決着したんですわ。
 といふわけでまあその一連の話、とはなる次第。

データロスはキツいよね。から1ヶ月以上経ってたわけなの
ですが。

 まあ東芝から外れてハイセンス傘下のREGZAを諦めていた
のですが、最終的には買ったショップと元の保証書が完全に
見つかり、足労と手間はあったけど無償の基盤交換な荒技で
REGZAから人が派遣されて治りましたわREGZA。

 きっかけは引き出しにしまってた買ったショップの保証が
三年保証だったことに気づけたことから。店持ち込みまでは
スムースだったのですが、そこから盥回しの刑に遭いまして。
 まあそのムダな努力も報われた形で商品の保証書も程なく
発見できたのも幸いした。

残念ながらデータロスから、USB-HDDで使ってるトロッカの
復帰までには手間がかかるのでしてませんが、それ以外は
ほぼ原状回復で視聴体制が復活した次第。

こんな話も伝わっていますが、まずは感謝、といったところ。

割り切れたが故に攻めに転じている姿勢はある程度好感が
持てるかと。

 まあ節制はしてたけど、あざやか、な画面がはっきり見えて
こりゃいいや。ここは節電モードにはせずにしばし使って
見ようかな、と。


そして訪問修理の時間も終わったので、体力ゲージはあまり
ないけど買い出しにも行った。って経緯もあって時間調整と
回復が覚つかずにこの時間に至っても呻吟してはいるわけで。

 でも余裕のあるうちになんとか調味料のストックは出来た。
 今期はなかなかかぼすに出会えず、市販されてるものは
すだち系が多くて買いあぐねていたけどなんとか確保。
フンドーキンのシリーズからカボスぽん酢はストック出来た。

 やはり名東県的にすだちが使われてた讃岐うどんでは
添え物だったものよりも先に獲れたてのかぼすの洗礼を大分
で受けた人にとっては、これをアクセントでかけざるを得ない
何かがあるもので。

ま、ここで過ぎたるをしすぎたからどこかしら盲目的に捩じれ
やすい「うどん県の添え物的な面積最小の県と『県庁の星』に出てくる
くらい無機質な県庁を持つ」あれ、が形成されるわけで。

 なので、「サカつく2002」で三木町をホームにしようとすると、
ワケわかんない木田(何故か木田郡、の元凶)でしか名付け
られない捩じけた姿が露わにもなる、なんだけど。
(何故かもう三木町しか存在しないのに、山田+三木、
って合成地名で木田郡、というわけわかめな合祀郡名が
形成外科されちゃったんだっけ。六郡くらいあったこの地域だけど

大川(大内+寒川)
綾歌(阿野郡(あやぐん)と鵜足郡(うたぐん))

とか合祀郡名が残存しまくってたところから
侮られやすい小役人の合祀郡名(整形されて原型を留めないほど崩れてる)が存在するのは、この辺りの定見のない体質が根幹にある、なんだっけ)

古代郡名としては「山田郡」ではあったのか。

三木町を構成してる旧井戸村のあたりの話は「公文明駅」の
記事で少し語りましたけど。

ことでん長尾線乗車記と公文明(くもんみょう)駅の不思議。|torov

旧大川郡の中に大内があったり、綾歌郡の綾川町に陶(すえ)なんて
地名や駅がことでんにあったりするのは、このあたりに大内氏の
ゆかりがあった痕跡、と観る一面だってあるわけだし(戦国時代
齧れているなら陶晴賢(陶隆房)は基礎タームだろうし)。



まあ、大内や陶は渡来人だったからこそ、石臼で引いて
小麦粉を作りうどんを伝えたから、の一連があるからこそ
綾川町の滝宮(たきのみや。ことでんの駅名にもある)の
辺りが讃岐うどん発祥の地となるわけですけど。

そろそろ例年よりも遅く初雪が平野部でも降りそうな気候
になりつつありますので、少しづつストックする食材や調味料
は増えてくるのですが。

 季節の変わり目なのでくれぐれも無理が祟るような社畜の
体質にならないようとかく用心する、そんな時節柄になってきたのかなと。