結局はまた「けさいの河原」で「石ナントカの積み直し」か。トロッカとテレビの接触が悪くて、100本近くのビデオグラムを諦めまた一から。~分けてたフォルダの名前だけメモリーされてたのがなおのこと哀しい。
といふことで「ドメサカ用語の基礎知識」(ドメサカを応援
する人達は基本的に哀しみに満ちているので、それにまつわる
コメディとお笑いと附随するターム(用語)が結構心の支えにも
なるくらい重要なのです。それでもダメに落伍すると「いずれ
ジェフのサポのように毎年生え替わる」と戒めてまた自分を
奮い立たせたりもするから時々「エジリズム」を聴くのも大事)を
訥々と語りながら(微細を語りつつ)メンタルケアをしながら
「笑ってやって下さい」を混じえつつ時には自分をなぐさめる
文章も書いておくべきだなと。
ラヴィット!の在り方はスキだけど
「らっぴい」とは、呪いそのもの|torov|note
まずは「けさいの河原」から行きますか。今年はしっかり底に
沈んだあたりのベガルタ仙台にまつわる単語の一種ですが。
フォルダで「けさいの河原」とラベリングされてたのは確か・・・
2007-2008年にあたる時期に「ら」スレを観察してた時のメモが
「けさいの河原」か。
一応時代背景的には望月達也監督が辞任し、ヘッドコーチから
昇格して手倉森誠が監督に就任した時期か。
手倉森誠監督時代(第1期)は東日本大震災にも絡んで努力した
ので、贔屓ジャッジも強く吹いてJ1リーグ2位までは行ったけど、
末期は「手ブラモリ」とかの舌禍もあって辞任した形だっけ。
因みにここは兄弟としても有名で、手倉森兄弟はスカイラブハリ
ケーンで有名な立花兄弟の名前(つか兄弟サッカー選手として)の
モデルです。
弟の手倉森誠監督は後年舌禍事件も起こしたくらいのダジャレ好き
で有名、兄の浩氏は山形や仙台でヘッドコーチまで務めていたが、
ドメサカ的には2011年の「僕はスカパーですね」で知られると。
具体的な「けさいの河原」を狭義で示すと「監督クビにしないと
死んじゃう病」を毎年発症していたベガルタ仙台がいつものお家騒動
(相変わらず東京ヴェルディとベガルタ仙台は「樅の木は残った」
みたいなお家騒動を毎時起こす事で有名)を経てもなお2009年に
監督を交代させずにいたら、2010年にJ1昇格が出来た故事に基づいて
それまでの「監督クビにしないと死んじゃう病」をこじらせていた様を
具体的には「けさいの河原」と称すると。
(具体的に話が進展していたのはよりによって「人間力」こと山本昌邦
招聘があり得たことで、条件交渉まで至ったが消滅とある)
なお「けさいの河原」は「けさい」+「賽の河原」ではあるけれど、
「けさい」の説明はこれが妥当か。
個人的には昇格した際のほっこりエピソードで、
待ってけさい!仙台ば置いで行ぐな!!!
待ってけさい!仙台ば永遠にJ2さ置いで行ぐな!!
待ってけさい!なして仙台ば置いでぐのっしゃ!!!
と6年追いかけて歩いていたら目的地着いちゃった
ってエピソードが何より暖まるなと。
といふことで現実の「けさいの河原」はこうですよ。
9月に導入したトロッカはテレビに直接刺さっているわけですが、
毎度初めの数回はまだ準備が出来ていないとグズりまくる。
そして今日起動させたら、一つも認識せず、接続されてない、
の一点張り。断腸の思いで100本近く録れてたデータを破棄
する形で再起動したらケロッとしてやがる、と。
何本か改めて録った後に各フォルダへ仕分けようとしていたら
分けてたフォルダの名前だけしっかり分けたフォルダの名前だけが
メモリーされてる、ってところにも哀しさが滲み出ると。
そして結局TOSHIBAのテレビとトロッカを買いました。|torov|note
で、もう一つが「石ナントカの積み直し」ってヤツですね。
「石ナントカ」と良く呼ばれていたのはヴィッセル神戸のDF
だった石櫃(いしびつ)選手だったかとは思うのですが。
石櫃洋祐。その後はお約束の神戸→名古屋→京都コースだっけ。
もともと気質的にこの性格が残留しているからこそ、根本的に
勝つためのメソッドが弱い、と言われるものが見つかったので、
まずはそれを前提で。
大阪から阪神間のガッコへ行ってて、
クラスは神戸の人と大阪のが半々くらいって分布だったんだけど、
神戸の人は何にしても、さめた印象だった。
自分の損になることはやらないと言うか…
文化祭みたいなので、遅くまで残って馬鹿やってるのは、
ほぼ9割方大阪方面に帰るメンツだった。
要領がいいなぁ、って思ったなぁ…
関係あるかないかわからないけども。
それをベースにいくら名古屋の三馬鹿の一人が指導したところで
(確か平野孝って名前だったような)所詮技術も精神も強靱には
なれそうにない、ってベースがやはりあるような。
を踏まえた上で、有名な「スラムダンク」構文が展開されてたっけ。
まあそんな感じでアトシマツダ(現在は長崎を追われて
ガンバ大阪の残留に向けて手を尽くしている松田浩監督の
馬名)は「まだ生きてる」けれど、半端な理由で神戸を
トンズラしたカイオ・ジュニオールはもうこの世にいないわけで。
神戸退任時の言い訳が酷かった呪いもあって、シャペコエンセで
飛行機事故に巻き込まれて死亡って結末。むろんそれまでに
神戸は2度ほど降格→昇格枠を2度ほど無駄に埋めてしまう
わけですが。
それを含めての「石ナントカの積み直し」もまた虚しくは
あるが、覚えて置いて時々使っておかないとしばしばやりきれ
ないと。
時々やりきれなさが前に出てくる秋の夜半。
たまには心を鎮めるコメントの一つでも下さいな、と懇願
したくもなるそんな日の繰り言の一つ、でした。
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