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なんか「だぎゃだぎゃ」したニコちゃん大王の方がまだ覚えている。~「この人を悼む」・第7回は大竹宏(2022年8月1日没)について~

まあネットでの関心度も高い割には「オスキニージャー
ナリズム」とは相性悪く報道しづらそうにしているのは
大問題なのですが、関心度も高かったので、こちらも
それに合わせて完成度の高い記事に仕立てられればいいの
ですが。

ま、一面においては「母と子のフジテレビ時代だった頃
今の子ども達が木村昴から逃れることが出来ないように、
フジの子ども向け番組に絶えず出演していたのは「マジンガー
Z」のボスであり、或いは同じ時間にオンエアされていた
『キテレツ大百科』のブタゴリラであり、「ママとあそぼう!
ピンポンパン」のカータンを操演しながら声も担当していた
大竹宏だった(水曜だと「だぎゃだぎゃ」と『Dr.スランプ
アラレちゃん』のニコちゃん大王もやってたし)と。

一応若い頃に児童劇団を主宰せざるを得ない地位に追い
込まれたことから(それは中堅の役者でカリスマもあった
師匠格の内田研吉が早逝したことによるものだが)、
劇団ちどり時代に池田昌子、菅谷政子、藤田淑子と並んで
三田佳子(入団当時は本名の石黒嘉子)を指導していたこと
でも知られる、と(藤田淑子は本人ではあまり語って
いないが、こけし座合流時も大竹宏と同じ劇団に合流
していた。が、青二創設時において最初の俳優16人の中に
藤田淑子は入っていない)。

 で、困窮している劇団経営の中からツテでNHKの教養部
青少年課制作の番組に呼ばれる縁が出来た上で、声の仕事にも
積極的に関わるようになると(劇団は東少に移籍し、声の
仕事の窓口は久保進を通じて俳協に)。で、「チロリン村」の
シリーズにタコチュー役で出ていた縁が繋がって、「ママと
あそぼう!ピンポンパン」のカータン役に至る、なんて話が
一応「カータンのなみだ」には書かれております。

まあ操演やってる人なら必ず惑う「子バレの恐怖」と、
操演であるが故の苦悩に関しては「キグルミ声優学」だと
必然的な通り道だけど、まあそのあたりは愛川欽也の時にも、
また『SHIROBAKO』の時にも通った道なので。
(ただ「カータンは「物」じゃない」と頭だけを運んでいた
当時の青二プロのマネージャーは叱られたらしく、そんな縁も
あって叱責されたと証言していたのは、大竹宏が最後に所属
していた81プロデュースの社長・南澤道義だった、って導線は
拾っておくべきなのかと)

まあ「ピンポンパン」を語るには当時は幼少すぎるし、
でもそれで後年酒井ゆきえおねえさんが司会をしていたから
こそ、「鶴瓶・ざこば らくごのご」にはスッと入れた、といふ
くらいの恩恵しかないので、カータンに対する類いの論評は
避けておきます。

ただ、ある程度大竹宏さんとしてはやるべき役柄の特徴分けは
整理されていた、とは書かれているようで。

(まずは動物系と人間系に別れる)
ネコ系がまず得意で、代表作は『ハッスルパンチ』のブラック、
『もーれつア太郎(旧)』のニャロメ、『What's マイケル?』
のマイケルなど。森永「おっとっと」のCMでとんねるずと
共演したネコの声も大竹宏氏の声だそうで。
 社会的な現象の一つにもなった反体制的なニャロメ(で、
結局主役クラスになってしまうのがいかにも赤塚不二夫先生がせ
存命の頃の作品だった、と)、まあ効果音的にネコの声を使われる
のは嫌った分『What's マイケル?』のマイケルの使われ方は
まことに自然で気に入ってた様子だった、とのこと。

で、サル系といえば新旧どちらも1号2号はキャスト変更に
ならなかったブービー(パーマン2号)が代表作。

 怪物・宇宙人系ではニコちゃん大王を中心に、藤子アニメでは
『ウメ星デンカ』のベニショーガや『怪物くん(旧)』のドラ
キュラ(新作と呼ばれる野沢雅子版のドラキュラは肝付兼太)。
フランケンがかなり複雑な変遷なんだっけ。旧作は兼本新吾、
新作は相模太郎が死去し兼本新吾がリリーフしたが1990年に
亡くなり、三代目は渡部猛が引き継いだ、だっけ。

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm36963912

『グレートマジンガー』のアルゴス長官、『夢のクレヨン
王国』ではドラゴンキングを担当。

人間系で一番代表作に挙げられるものでもあり、

その後のロボット物における三枚目のコメデイリリーフに多大な
影響を与え、数々のキャラクターが生み出されたが、ボスを
越えるキャラクターはついに生まれなかった。アニメ声優史を
語るうえで欠かせない人物のひとりである。

小川びい「こだわり声優事典'97」(徳間書店刊)p26

と激賞された『マジンガーZ』のボスに関しては、演出の芹川有吾
との相乗効果があってこそ、だと思うので「カータンのなみだ」の
記述と東映方面の演出史を合わせた形で紹介した方が後学の為にも
いいのかなと。

人間系で気付いたところでは「まいっちんぐマチコ体制」の
一人ではあったのか(あらま学園の校長先生役)。野沢雅子や
吉田理保子がいる上での抑え役ポジションが大竹宏氏のポジション
だったのか。まあそちらの詳細はまた出せる機会があれば、で
声優引退の頃、といふ話に持ち込むのがいいのか。

一度声優業を引退しており、1991年から1995年あたりを
休業していることもあって世代的に印象が薄いのも
ある程度納得は出来る、といふことで、その頃の事情は
雪室俊一さんの著書から。

ぼくの作品で長寿番組のナンバー2は、『キテレツ大百科』である。
最初は90分のスペシャルとして制作され、その反応がよかったの
で、レギュラー化される、という珍しい生い立ちの作品である。
原作は単行本でたった3巻。それが8年も続こうとはだれも
想像しなかった。

雪室俊一「テクマクマヤコン ぼくのアニメ青春録」(バジリコ)
2005.12,p183

で、ブタゴリラ(熊田薫)は完全にアテ書きで書かれていた
ものだったし、『キテレツ大百科』の脚本をほぼ一人で担って
いた雪室俊一さんも難儀したらしい。

今度はブタゴリラ役の大竹宏さんから降板の申し出があった。
声優界を引退したい、というのである。
 これには頭をかかえた。ブタゴリラが他の声でしゃべることは、
考えられなかった。それに声が代わったりしたら、その性格まで
変わってしまうかもしれない。
 他の理由ならともかく、引退まで考えている人を翻意させるの
はむずかしい。
 そこへ救世主が現れた。龍田直樹さんである。

雪室俊一「テクマクマヤコン ぼくのアニメ青春録」(バジリコ)
2005.12,p186

平成8(1996)年に創業当時から在籍していた青二プロから
オフィス薫に移籍。その後ぷろだくしょんA組にもいたようだが、
2015年1月から81プロデュースに所属。

ちょっと81プロデュースの公式サイトはニュースに軽く述べる
だけでちゃんと別途ページを設けていないあたりは気になった、
とは書きましたが、2022年8月1日大竹宏氏死去のニュースが
報じられた、と。享年90。改めて御冥福をお祈り致します。


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