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無神経さに抗うまっとうなプロテストの方法とは~小林信彦「生還」とあいみょん「生きていたんだよな」

といふことで、ようやく小林信彦「生還」(文春文庫版)
を読了&ノート写経完了。一部まだ写経しきれていない
別の話題も含まれているのですが、それは別立てすると
して。普段の家庭内環境を考えるといつ脳梗塞でぶっ倒れる
かわかったものじゃない絶望が目の前にぶら下がっている
からこそ、こまめな水分補給と血管や首回り或いは足回りの
血管を詰まらせない為の工夫と目配せはこの家で生きてる
限り必要だな、と感じる一助にはなりました(私の居住
空間も専ら一軒家の二階の部屋なので)。

不満は、二階の自室に行けないことであった。私はそこに
自分のあらゆる分身を封じこめている。とくに性的な欲望を
分散させているので、それらは私が部屋に踏み込まぬ限り、
宙にただよっているだけだろう。そこに私は入って行けない
という不条理。

小林信彦「生還」(文春文庫版)(2022.02)p115

で、本日本題にしようとするのは「生還」の写経ノート
に記した部分からを芯にして。
 次いで該当するのはここから。

 私がなんとしても許しがたいと感じたのは、病院の従業員
の活字に対する無神経さである。
 私は新聞、週刊誌、その他の活字をベッドのまわりに積み
上げている。しかし、ただ積み上げているのではない。

分類して、保存する分、捨てる分、そこがまだあいまいな分
の三つに分けているので、ゴミを保存しているのではない。

 部屋をつねにキレイにしておきたい、そしてそのことが
日常の習慣になっているナースたちは何も言わずに、すべて
をまとめて捨ててしまう。

小林信彦「生還」(文春文庫版)(2022.02)p72

まあこの類いの「見てくれのおかたし」に関してはここの
ところ主張しているところと相通ずるところはあるわけですが。

まあそれも含めてこのテのふつふつした憤りとその抵抗に
関しては何か覚えがあるな、と思って辿り着いたのがこの曲。

安藤なつ(メイプル超合金)らが主演してた「吉祥寺だけが
住みたい街ですか?」主題歌。田口トモロヲや又吉直樹も
出演していた怪作オムニバスドラマでしたが、この曲サビの
インパクトが強いところだけを抽出したくらいで、まだそんなに
知られてもいなかったからテレ東ドラマの主題歌に納まった
わけですけど、セミないしフルMVで聴くと印象がかなり
異なってくるデビューシングルではあったと。

彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに二秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ

その「キレイになりました」という見せつけ方の虚しさに
対してどうリアクションすればいいのか覚束無くなるのと
同時に、そのいかにもな「狗の行動」に対してどれだけ
それは醜くて「きたないやり口」だとは思わない?と反発
するコトバの一つでも放り投げてみたくはなるもので。

そのあたりは「きっと何かを片付ける」という積極的な
諦めを伴いながらこれまでは流されていくことが多かったの
かもしれないけれど、こうした現象をしっかり書き留めておく
のが証文の一つ、とも記しておくことは出来る。

これを一言のやり口としてコトバにすると「強制代執行」
って身も蓋もない単語になるのですけれどもね(某パーティの
得意技ですけれども。「投稿写真」の得意技に「イッたふり」
って書くくらい大恥ずかしい)。

ただ、ベッドに寝ている人間は、「上にあがって」と言われて
も、身体が舞い上がることは絶対にない。

小林信彦「生還」(文春文庫版)(2022.02)p113

要はまず目線をどこの視点に置いて喋るか、そこから想像
するしか無神経に対処するないし、寄り添う視線の確保は
永遠に出来ない人もいるんだろうな、という見積もりから
補正していくより他にないんだな、と覚悟することなんだ
ろうねおそらく。
 ま、そんなときはまずもって「リスペクトベース」を念頭に
置きつつ、「自分(の居場所)を取り戻す」姿勢がいかなる
場においても必要なんだろうな、と。

小林信彦「生還」とあいみょん「生きていたんだよな」を
中心に今回はまず書いてみました。

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