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KANにも遂に「逢魔が時」が来たかと覚悟はしていたが。にしても事務所の後輩のコメントがここまで観られない仕様なのは報道のベースソースに浅はかさがあるとしか。Adoが執念でヒャダインまで辿り着いたたこやきレインボーの話と共に。たまにはそんなラジオデイズ。

『ウマ娘三期』の話は七割方できた感じだけど、
まあまだちと出すには早いか。
STVニュースの捕捉待ちでも良かったけれど、やっぱり
構成されてたVTRでも福永のしゃしゃりがあったから
(かつ彼のべしゃりが劣悪だったからアタックヤングは
終わったんだよな、という印象が強いので)やっときますか、
といふあたりで。

まあKANは遂に来るべきときが来たかな、って感じで。
『Love Music』てaikoのホスト役になってたのが最後の華かな。
「ロックボンソワ」とかは流石に聴いてなかったし。

たまには書式に則って。
~ショウワヨモダンがお水取りに行ったと
思えば、積もる想い出はぬぐえないので
清々しいともする。|torov|note

KAN「千歳」とaiko「えりあし」|torov

『YAWARA!』では隠れた名曲「雨にキッスの花束を」の
演奏を「our music2」時代にやってたっけ。

https://m.youtube.com/watch?v=tSlnZSOf0Xc

ひとまず一記事上げて風呂に入ろう、をモチベーションにして
記事を割り付けて行きますか。まだまだ記事作成としては
スクランブルフライトの真っ只中、って感じですが。|torov

三月にガンを公表してから程なくして、ではあるけれども
まあなりに覚悟も出来ていたな、と。享年61。
御冥福をお祈り致します。


しかしここまで来ないと事務所の後輩のコメントが観られない
のは報道のベースソースに浅はかさがあるとしか。

KANのサインがある音楽処にまた今度行ってみますか。



んで、も一つの話題も主にラジオデイズなネタで。
まあでもほぼ元音源があるのは素晴らしい。

この若干早口め(オタク成分強め)の語り口があるあたり、
真の意味でAdoの語りの真骨頂ではある。

 で、みやーんさんの書き起こしだとこうなると。

(Ado)今も定期的に流れてくるんだけどちゃんとたこやきレインボーさんの曲『ありがとう たこやきレインボーです』っていうのを意識しながら思い出しているの。
で、ちなみに誰が作詞・作曲しているんだろう?って思って調べてみたら、ヒャダインさんが作詞・作曲をしていたの(笑)。
「ああ、道理で脳裏に焼き付くわけだ!」って思って。「このワードセンスと耳に残る感じ、道理で! ヤバいな! 天才の仕業でした!」って思って感動をして。

作詞・作曲はヒャダイン

(Ado)しかも、ありがたいことに直近でヒャダインさんとお話をする機会があったんですよ。インタビューか番組かなんかで。
それでヒャダインさんといろいろと番組のことをお話してたい後に、「最後にヒャダインさんにお聞きしたいこと、ありますか?」みたいな風に言われたの。
私、「これしかない!」と思って「ヒャダインさん、たこやきレインボーはどういう経緯で作られたんですか?」って聞いて。まさかAdoがこんなことを言うと思ってなかったからヒャダインさんも「ええっ!? なんで知っているんですか?」ってなって。
で、その時に「ゲレンデで聞いて」「えっ、なんでゲレンデで流れてるんだ?」みたいな風になって。「ありがとうございます。これは僕が作詞・作曲して、たこやきレインボーさんに書いた曲なんです」っていう話をして。「ああ、そうなんだ。なるほどね」ってなって。5年もかけて伏線回収というか、もう浄化されたみたいな感じがあって。

「ああ、あの時の私の無視されたことは間違いじゃなかったんだ!」って思って(笑)。なんか救われた感じがして、ちょっと嬉しかったんだよね。


たこやきレインボーは御時世前後のアイドルがババッと出て
た中にもいたような。「RAGAZZE!」だっけ。

出番前の掛け声とか結構深めの質問になってたのは青井実の
仕切りにしては上手く動いてるアイドル特番だった印象が。

Adoが探してたスキー場で流れてた曲はこれか。
たこやきレインボーで「ありがとう たこやきレインボーです」。

たまにはラジオデイズ(まあサマリーにもみやーんにも
「テレ東60祭」の話はなかったから、それはいずれ)から
KANの逝去とAdoの執念、って話を繋げてみました。

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