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なんで日本だけかたくなにChinaをまんま呼んではいけないのか、そこには断絶と時折の外来とこじらせがファクトチェックもされないままつまらないパージをカマした不届き者が多数いたことの所産なんだろうなと、「カンタンキョーハク語」の居丈高に陥らない語学の学び方をしたから得られることもある。
ひとまず切り出し作業までは終わったけれど、もう一つの案件
まるきり手がついてないので節制収縮期間は継続です。ただ
節目なのでこちらを看板記事に変更しておきます。
あんまり私が10代から20代に至るまで現代詩を書いている
人だった、って話はあまりしないところではありますが。
|torov|note
たまにはこのHNからスタートしているtorovの詠み(トロフ)
と一応現代詩はある程度通って来てるからコトバに対する
効力と好奇心は尽きないことくらいは主張しておくべきかと。
(だから必然的に誤脱字も自他ともに鋭くなりがち、なんだ
けどね)
しかしMADや周辺しかほぼ残ってないあたりがEテレらしく
もあるのだけれど。正調「アルゴリズムたいそう」はこれか。
なんか「こうしん」よりもこっちかな、しっくり
来るのは、は確かにある。
大学は英語を習いたくなかったのでドイツ語専攻
でした。なので支那そばだってあるのに、なんで日本だけ
かたくなにChinaをまんま呼んではいけないのか、って
命題にも繋がるんですが、Chinaをドイツ語詠み
するとヒーナになります(だから本来の日本語の
詠みに即すると支那ことシナになるわけで)。
と以前コメントにも書いたのですが、新設学部学科の一期生で、
しかも二部だったから元が英語学校からスタートして
いる大学なのになるたけ英語の悪影響を受けてない授業を
基本的には大学で選択していました。
なものでそんな頃からみちみちと高島俊男は読んでいたから、
こうしたあたりがどうしても引っ掛かるので、まずはそこを
みちみち引いてみると。
一般的には「から」「もろこし」などと言い、文字で書く
際には「漢土」「唐土」などと書いた。中華崇拝の儒者や
唐語学者は「中華」「中国」と言うこともあった(だから
「中国」は儒教文化が流入した影響の残滓でもある)。
19世紀になって洋学がさかんになるにつれ、おいおい
「支那」がひろまった。
(文春文庫版,1998.03,914/タ)p135
で同じくこの本には各国語におけるChinaの呼び方がカタカナ
で書いてある。
ギリシャ語だとシニカ。フランス語だとシーヌ。
イタリア語だとチーナ、ドイツ語はヒーナ。
で、英語になるとチャイナになる。
で、大学時代の日本文化学科だった話に戻すと、ですね。
英語よりも便利で簡略化出来る曜日表記とかはこの頃整頓して
今も使っている感じですね。
月曜はMo.金曜はFr.土曜はSa.日曜はSo.と。
(ただまだ土曜の表記はニ種類あるって習った世代。
ザムスタークかゾナベントか、ってハナシ)
ハンザ同盟の地域あたりで、Sonnabendを使うってイメージ
っぽいようだけど。
物事の捉え方によって言語は変わる、を体得できただけでもやはり
それは効果的で「カンタンキョーハク語」の居丈高に陥らない
のはやっぱり大事やな、と。
なのでドイツ語すらヒーナ呼びなのに、日本人だけ英語でしかチャイナと迂遠廻りでしか読めずに、シナとは詠めない形なのは
不憫に拗らせた形だな、とも認識出来るわけで。
まあこの頃と今はどう違うかの最たるものは結局
ドイツワインが高くなりすぎて、ワイン自体を呑む
ことが皆無になったことぐらいでしょうか。
結構それなりに知識は蓄えてたけど、全く使わない知識にはなって
しまったなと。
(ま、ワイン程度でごちゃごちゃと御高説垂れる
人間にはホトホト飽きた、ってのも多分にあるが)
「支那」ということば、ないし文字は、日本が中国
に対する蔑称として作ったものだ、と言う人があって、
またそれを真に受ける人もあるらしい。いったいど
うしてこれが蔑称になるのか、というと、日本の
「本」は本部・本店の意味で、対して支那の「支」
は支部・支店の意味だ、というのが一説。
(中略)
よくそんな奇想天外なことを考えつくものと思う。
(文春文庫版,1998.03,914/タ)p129
今の自分たちのありよう・考えかただけを、人類の
唯一のそれと思っている人を「無知」と言う。
「以前はこうではなかったのかもしれない」
「他の所ではこうではないのかもしれない」
と考えられる人は(たとえ具体的にどうであるかを
知らなくても)知性のある人である。
(文春文庫版,1999.10,914/タ)p164
ま、看板に選んだのはドイツ語が公用語のオーストリー。
ま、ドイツ語詠みのエスターライヒの方が間違いよう
が無くていいな、と思ってはいますが。