「青春の左折」とレミングのように身を投げていく「冴えない20代」に折り合いを付けて見さされる事象を回避する処方箋とは。
といふことでガイダンスの誘導導線として前回これは
書いたわけですが。
同調するのなら、コメントを書くのがnoteでは吉。
そうではなく筋違いならば一本の記事にした方が
いいのは、そこに「冴えない20代」の罠が待ち
構えているから。
今回はこちらのリファインを掲げつつより深く効き目の
ある処方箋を書くとすれば、の応用編になります。
まあ前回は避けたけど、今回は歌詞から引くところまで
はします。
幸せキャッチするアンテナ
錆びて冴えない20代
都会の真夜中の空は
とてもぼんやりと明るくて
どうしてこんなに淋しいの
といふことでまず
「青春の左折」
と
レミングのように身を投げていく
の説明がいるかなと。
で、前者は橋本治がいろんなところで主張していた
ことだけど、テクストとしてはこれがわかりやすい
ですかね。
このこっちが大体左に曲がっていくので「青春の左折」。
だから左折したまま真後ろを振り返ると、曲がり角の
更に後ろに点線が広がってて、そこが”青春の記憶”に
なっていると。
まあ後者のレミング話はいくつか以前も書いているし、
実質築地の鉄道線引っぺがした頃に似た事象が起きた、
って話もいくつか目にしましたが。
テクストは石ノ森章太郎の「日本経済入門」にしつこく
書かれた概念で、そうした悪戯に身を投げていくような
特攻兵士に近いレミングが雪崩落ちていくサマを何度も
見さされる(北海道ことばでは重要な使役動詞)ことに
対して何の痛痒も感じられずダダ流ししまくるから、
そのあたりのグログモ耐性に鈍感過ぎるジャーナリストを
自称する輩が本質的に嫌われる社会になりつつある、と
思うのですが(そこらへん無自覚なままやらかしてきた
リトグリやMBSがああも転げ落ちていく近頃のサマ
なんぞを見さされていたりもするとね)。
まあ根本的に「青春の曲がり角」は直角ではなくて、
自分の「生きるじたばた」を含めた「ブザマ曲線」を
描いているようなものなんだから、その経験値を踏まえた
上で、どこまでは観られるのか、これは耐えられないのか
をメンタルファーストに気を付けながら、身を持って
体感した上で「切りどころ」を先に見つけておくことが
やはり大事で、お大事にの処方箋はやはりそこになると。
を踏まえた上で多分noteで起きた実践編が付くと
思ったのですが、1回分としてはここがキリもいいので
今宵はここまで。