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「青春の左折」とレミングのように身を投げていく「冴えない20代」に折り合いを付けて見さされる事象を回避する処方箋とは。

といふことでガイダンスの誘導導線として前回これは
書いたわけですが。

同調するのなら、コメントを書くのがnoteでは吉。
そうではなく筋違いならば一本の記事にした方が
いいのは、そこに「冴えない20代」の罠が待ち
構えているから。

今回はこちらのリファインを掲げつつより深く効き目の
ある処方箋を書くとすれば、の応用編になります。

まあ前回は避けたけど、今回は歌詞から引くところまで
はします。

幸せキャッチするアンテナ 
錆びて冴えない20代

都会の真夜中の空は
とてもぼんやりと明るくて
どうしてこんなに淋しいの

といふことでまず

「青春の左折」

レミングのように身を投げていく

の説明がいるかなと。

で、前者は橋本治がいろんなところで主張していた
ことだけど、テクストとしてはこれがわかりやすい
ですかね。

十八歳でもいいんだ、二十五歳でもいいんだ、「青春の
曲がり角」で、壁にぶつかって、こっちへ曲がっていく
わけですよ。

「橋本治の思考論理学」(夜中の学校②)(マドラ出版)
(1992.09)p74

このこっちが大体左に曲がっていくので「青春の左折」。

で、この現在から後ろを振り返ると、曲がり角の向こうは
見えなくて、青春の甘い記憶だけがこうあってね、この
点線の部分が”青春の記憶”ですね。

「橋本治の思考論理学」(夜中の学校②)(マドラ出版)
(1992.09)p74

だから左折したまま真後ろを振り返ると、曲がり角の
更に後ろに点線が広がってて、そこが”青春の記憶”に
なっていると。

後ろを振り向くと、曲がり角の向こうには”青春の記憶”
がある。これを別名「ユーミン」と言いますね。ユーミン
の歌にあるような青春で、これは「存在しないけど存在
するように思える青春の記憶」なんだ。ここらへんは、
いつもぬくぬくとあったかいわけですね。

「橋本治の思考論理学」(夜中の学校②)(マドラ出版)
(1992.09)p74-75

まあ後者のレミング話はいくつか以前も書いているし、
実質築地の鉄道線引っぺがした頃に似た事象が起きた、
って話もいくつか目にしましたが。

テクストは石ノ森章太郎の「日本経済入門」にしつこく
書かれた概念で、そうした悪戯に身を投げていくような
特攻兵士に近いレミングが雪崩落ちていくサマを何度も
見さされる(北海道ことばでは重要な使役動詞)ことに
対して何の痛痒も感じられずダダ流ししまくるから、
そのあたりのグログモ耐性に鈍感過ぎるジャーナリストを
自称する輩が本質的に嫌われる社会になりつつある、と
思うのですが(そこらへん無自覚なままやらかしてきた
リトグリやMBSがああも転げ落ちていく近頃のサマ
なんぞを見さされていたりもするとね)。

まあ根本的に「青春の曲がり角」は直角ではなくて、
自分の「生きるじたばた」を含めた「ブザマ曲線」を
描いているようなものなんだから、その経験値を踏まえた
上で、どこまでは観られるのか、これは耐えられないのか
をメンタルファーストに気を付けながら、身を持って
体感した上で「切りどころ」を先に見つけておくことが
やはり大事で、お大事にの処方箋はやはりそこになると。

を踏まえた上で多分noteで起きた実践編が付くと
思ったのですが、1回分としてはここがキリもいいので
今宵はここまで。

 なんでこの紆余曲折部分を「ブザマ曲線」だなんて言う
かっつうと、この紆余曲折は、「こうしたい!でもできない
!」っていう、欲望と無能力のせめぎ合いの結果なんだ。
だから、こんなもん誰も見たくないの。自分のブザマを、
もうそんなブザマと関係ない時期になってわざわざ直視し
たいなんて思わない。「ちゃんと振り返って直視しなきゃな」
と思ったって、それだけの力なんてなかなかないよ。だから
おおざっぱで観念的な、九〇度の直角の「青春の曲がり角」
ってのを作っちゃうんだ。

「橋本治の思考論理学」(夜中の学校②)(マドラ出版)
(1992.09)p90

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