見出し画像

"プロ"になる最後の20点。

中学2年生の夏。池袋にある某音楽大学の練習室にて。

ベートーヴェンのソナタ悲愴第一楽章を、
黄色いドレスを派手に着飾った小太りの女の前で、僕は得意げに弾いた。

その女は化粧が濃く、ファンデーションによって首と顔の色が明らかに違くて、ただの化け物に見えた。
弾きながら、ワンピースに出てくるアルビダに似ている、と思い、まさに悲愴な演出に力が入った。

僕が弾き終わると、女はわかりやすくため息をついた。

「君が器用なのはわかる。
まるで天才のように見える。
ちゃんと習っていないのにここまで弾けてすごいすごいと言われているのはわかる。

だけれども、
君がどれだけ薄情で、
上っ面で、
大した練習もせずにここに来たかもわかる。

私はプロ、あなたはアマチュア。
一度理解されてはいかがかしら?」

中学生にいう皮肉のトーンではなかった。

内容だけでなく、
こういうクラッシック高級志向のババァの
女言葉
「よね」「だわ」「かしら」
は、スラム街育ちの僕には、
昔から妙に鼻につく。

あぁ、僕にはあんたがどれだけ
すごいすごいと言われながら
嫌われているかがわかるよ。


「いい?学校で1番になろうとも、
それは小さな世界の話で、
ここにはたくさんの1番が集まるの。
あなたは1番の集まりの中では"最下位"だということをまず理解した方がいいわ。」

僕は顔色を変えないように我慢しながら

「ありがとうございます。
そうですよね。
ですが、僕は学校で1番になりたいと思って
なったわけでもないし、

ここにきた理由も、
あなたごときに教えをいただきたくてきたわけではないので。」


といって、席を立った。
ポカンと口を開けた女は化け物から
ホラーハウスの尸になったようだった。
数秒でいくらか痩せたように見えた。

僕は扉を閉める前に
深くプライドの一礼をしてその部屋をあとにした。


「ねぇ、俺、やっぱ普通の高校にいくよ」


と、外で待っていた母に声をかけた。

母は

「あらそうなの?もったいない」

と言ったが、それ以上深く何があったかは聞かなかった。

母がどれだけ僕のことを理解していてこう返したかはわからないが、
僕にはベストなドライさと、ベストなアンサーだった。
母のような女の子供に生まれたことを誇りにすら思えた。

それから僕たちは
2人で西武池袋の4階にある千疋屋で、
苺のパフェを食べて、
帰った。




その後、、

僕はもう一つ極めて得意だった英語を生かし、
英検2級を"適当に"取得し、
英語特待で都立高校に進学した。

その高校も結局3ヶ月で中退するのだが、
それはまた別のお話で追々。。。

⁡そんな"適当"を繰り返しながら、
あれから約、20年。

いまでもあの女の強烈なファンデーションと、
不愉快なシャネルの香水の匂いを、思い出す。

いや、思い出すのはあの女だけではない。

たくさんの大人たちが、、
どう見ても尖りきっているゴミのような僕に、
ヒントを与えてくれていたのだ。

「マナトくんはケアレスミスが多いですね。できるのに、もったいない。」

「続ける、という力さえあれば本物の天才に君はなれるのにな。」

確かにそうだ、確かにそうだ、
と、うまくいかないたびに、
頭の中をこだまする。

僕はたくさんの人に将来を期待されながらも
結局中卒のまま社会に適応できない、

警察のお世話に何度も何度もなるような、
本物のゴミクズとして、
人生を歩んできた。


うまくいかないたびに
スローモーションに低音でこだまする声たちは、
僕を苦しめつつも、
ある時からエネルギーへと変わった。

自信を全て失った状態で、
立ち上がろうと頑張った証が、

「ある程度できても、
結果が伴わなければ何の意味ももたらさない」

という社会の残忍さを僕は子供の頃に叩き込まれていたのだ。




それでもいじっぱりな僕の欠陥はほとんど矯正されぬまま、

こんな僕にでも簡単に辿り着ける
「80点」の世界で
進行していった。


歌手としてデビューをしたり、「美顔ボイトレ」がバズって、テレビに出たり書籍をを出したり、、
全国を這いずり回るようになった。

欠陥だらけの僕にでもできる、
ハリボテの世界で。

オファーが来るたびに、それっぽく演出をしてきた。

ある"程度"の人々にとっては
「若いのに、努力家ですね」
なんて言われてきたが

その全ては、
僕にとってはハリボテでしかないのだから。
成功したように見えれば見えるほど、
ただ、キツくなっていった。

ただし⁡、世の中にはその土俵にすら
立てないひとが九割だ。

かしこく器用にできてしまう
テレビ業界とは相性が良く、
「ハリボテ」を完璧にこなす僕は、
使いやすい存在だったのだと思う。

その度にあのころの大人の声がまた耳に轟く。


「そりゃそうだよな」
と苦笑いして、

僕は、全てを辞めた。

ハリボテ時代の僕



今、自分が表に出ず、裏方に徹するようになって早二年半。
僕は「80点」の先の世界にいる。

残りの20点は、

「継続」

だった。
わかってた。わかってた。

誰かに気に入られたいとか、
自分が這い上がりたいとか、
そんなの抜きにして、

ただ、目の前のクライアントを、
愛し、想い続けること。

必要なものを死ぬ気で考え、
補い続けること。

僕はもうすぐ34歳。ボイストレーナー歴17年。
続けたから、プロと言っていいでしょうか。
ただ続けただけ、だけれど、
今にしか見えない景色があった。

1人のプロフェッショナルとして、
あのアルビダに胸を張って

「いかがでざんしょ!!!!!?!?!」

と、伝えにいきたい。

そしてありがとうと、伝えたい。
ありがとうアルビダ。

ただしあんたは僕以上で、
もう以下かもな?



鳥山真翔


鳥山真翔公式HP

http://www.toriyamamanato.com


#創作大賞2023 #エッセイ部門 #ボイストレーナー #ボイトレ #プロフェッショナル #自伝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?