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夏が終わっても、生きたい。

一年で"最も"嫌な季節になった。
元々僕の嫌な季節といえば、
暑いも寒いも嫌だし、酷めのスギ花粉症があることから
秋、以外の全ての季節が嫌いで、

日本という国で生を授かった以上は、
秋、以外全てが憂鬱の中で生きなければいけないことを約束されてしまったのだ。

ただ、"最も"が夏となったのはこの2年間の話で、
その理由は汗をかきたくないからでも
好きなファッションができないからでもない。

母が、死んだからだ。


僕の入院中、病院の個室の窓からの景色。


母は2021年8月4日。
39度の炎天下の中、
池袋というさらにビルの熱のこもる街中で、
彷徨い果て、倒れ、死んだ。

僕もその時体調がすこぶる悪かった。
# 7119に電話をしたがコロナ禍ピークで病床が空いていないので待機中。
そんな日だった。

母は過去にくも膜下出血をやっているため、
右半身に軽い障害を持っていた。
なので、本来1人で買い物には行かないのだが、

今にも死にそうな僕に気を使い、
1人で、飲み物を買いに出かけたようだ。
その時は、母を僕の住む池袋に引っ越させたばかりだった。
高次脳機能障害がある。
道がわからなくなって当然だ。

母が家にいないことを知った僕は
体調が最悪の中外にでて、
僕自身もその39度の炎天下の中
母を探し続けた。

一度だけ電話に出た母は苦しそうで

「どこにいるの?」

と慌てながら叫ぶ僕に

息も絶え絶えながら、

「もうすぐ家に着くけど、
なんか息が苦しい気がする」

とだけ言って

フと音声が途絶えた。
電話はつながったままだったので
僕は

「どうした!?何があった!?」

と、死ぬ気で叫び続けたが、
返答はない。

「あ、死んだ」

と不確定な状況の中なのに、
僕は感じてしまった。
しかし、そんなことは考えたくない。

慌てて警察や救急隊に出動してもらうが
母の居場所がわからない。

さらに病状が悪化し動けない僕の代わりに
二晩続けて大勢の方に探してもらったが、
どんな手を使ってもわからない母の居場所。

不安と苦しさに押しつぶされそうになりながら、
一筋の希望を託して、、

僕はそのまま意識を失い、、


救急搬送された。


--

その後、、

目を覚ましいつ急変するかわからないため
ナースルームの隣で寝かされた僕に、
絶対に見つかるはずのない場所から
母の遺体が見つかったこと。

僕自身が呼吸不全で死の瀬戸際にいて
歌手としての生活を取り戻すことは難しいこと。

母の遺体は炎天下で傷んでいた上、
コロナ禍なので、骨となってから自宅へ搬送されること。

などを、
たんたんと告げられた。

絶望の淵から新宿にある病院の16階の窓から
池袋の方を眺めて、
僕は呆然と感情を殺した。

遺体だってなんだって今すぐ会いに行きたい。
けれど微塵も動かない身体に、
無性に情けなくなって泣けてきた。

「ごめん」と、
空に登る母に、心の中で
何度も何度も謝り続けた。



まぁ、、
この話はまた今度じっくりするとして、、
問題はそのあとだった。

退院後、呼吸器のリハビリを死ぬ気で行う中で、
なんとか待ってくれるファンのために
歌手としての仕事に復帰できないか、

とにかく希望を持って生きていかなければいけないと踏ん張っていた。

退院後、10月。
ある日の昼下がり。
その日も10月にしてはやけに暑い日だった。
街を歩いていたら、突然発作が襲った。

「パニック発作」は、若い頃から何度も経験があったし、障害診断されたので、
気をつけながら生活をしていたが、
以前とは比べ物にならないほど、混乱状態に陥り、

僕は泣き叫びながら家へ走り、
その場にあったベルトで首を吊った。

幸いうまくはいかなかったようで
気がついたら深夜。玄関のドアの前にて、
僕はちぎれたベルトと共に目が覚めた。

心配してくれた知人と病院に行き、
重度のPTSDだと診断された。

身体の事と合わせて入院を勧められたが、
僕はそのまま家に帰った。


--

その日から、

"真夏のように暑い日"
"池袋"
などのキーワードがトリガーとなり、
フラッシュバックが繰り返されるようになった。 

この2年間、その度に、
ひどい時は搬送され
入院することもあった。

僕にとっての夏はそれが一番多発するため、
肉体的にも精神的にも、

「一年で"最も"嫌な季節」

が誕生する事となった。

今現在。
あれから2年が経った夏、となったわけだが、
やはり、灼熱で、僕は壊れてしまった。

この2週間ほど毎日発作に怯えながら過ごしていて、時には脳内がオーバーヒートし、
身体は発熱も繰り返した。

こんなことを言うと、周りから

「がんばらなくっていいよ」

なんて言われてしまいそうだが、
がんばりたい時にそういうこと言われると
人生ごと、ストップを喰らってしまう気がして、
奥底から不快感を感じる。

「無理しないで」
「休みなよ」

とロボットのようにみんなが同じ言葉を
同じトーンで僕にかける。

その優しさを理解しながらも、
それを続けてしまうとどうなるか、
みんなは想像できるだろうか?

恐怖で動けなくなり引きこもっている僕は、
孤独の部屋の片隅で、

「いっそのこと
永遠の休みを手に入れようかな」

なぁんて、
もうこの人生ごと終止符を打ちたくなる。

だから、がんばらなくっていいといわれたって、
少しは、がんばりたい。

僕は、希望を持ちたい。

今、正直、
本当に本当に苦しいのだけれど、

ただ、希望を持ちたい。

この灼熱の日々の中、
僕はお気に入りの新しいサンダルを履き、
外に出て、
「夏って最高だな」って思えるような時間を
仲間や友人や恋人たちと、過ごしたい。


新しい人生を生きるために。
新しい季節を手に入れるために。

みんな!
僕のサンダルを褒めてくれ。
見せびらかしに出かけるぞ。


夏が終わっても、生きたい。


鳥山真翔

鳥山真翔公式HP

http://www.toriyamamanato.com

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