必然の徒花



これはどうだろう

何らかのきっかけで 殺したい が生まれて

後からそれをクソにもならないようなリクツによって肉付けしていっただけのような気がする

殺したい を抑える方向ではなくて正当化する方向へ

やっぱり良心の呵責が相当あったんだろうなだからこんな無理やりなリクツが必要だったんだろうな

その遙かに高いハードルを乗り越えるためのエンジンみたいなもんだったんだろうか

流れを逆転させるにはエネルギーがいるんだな

道理に適う行動だったらエネルギーなんかいらないんです

道理に適っていれば自然と悠然と堂々と流れていきます

今はね社会全体がね常に流れに逆らってますからね

科学自体がもうそれで、更には逆らうためのエネルギーの源泉であるということに早く気付くべきですよね

それを理解せずにやみくもにただひたすら積み上げているから結果としてしわ寄せとして社会全体が生き方がとても歪んで辛くて苦しくなっているんじゃないのかな

根本を理解していないとそれを上手に御していくことなどとうていできないわけです

でもね、科学の力と無理やりな思想で逆転させていた巨大な流れがねもうねたまりにたまってね一気にね今まさにね正しい方向に流れようとしていると感じますよ

いや、真っ当に生きている方々はごく自然に解ってらっしゃると思います

もうこれ以上は逆転させることはできないんじゃないかってね

償うべき罪をただただひたすら重ねているだけだとね

日々現れているじゃないですか

日々突き付けられているじゃないですか

弱者の悲鳴や苦痛を伴って不合理が不条理が毎日毎日飽きもせず高らかに誇らしげに宣言して正義を善を英知を踏みにじっているじゃないですか

他の生き物や地球がもうこれ以上はやめてくれと苦しんで苦しんでそれでも憐れんで教えてくれているじゃないですか

なんのことはない植松被告は悲し過ぎる警告のような必然の徒花だったんですよ

それから必然と言う言葉は被害者の方々にではなくて、植松被告側だけに向けられ突き付けられるべきものです

なぜなら、この事件で自分の意志で能動的に動いたのは他ならぬ彼だけなんですから

彼は残念ながら自分で証明してさらけ出しただけなんです

欲望に勝てなかった しかも その欲望は最低で最悪なものだった

だから本当の意味で敗北し許されないのは彼とその賛同者だけなんです

構図はいじめと全く同じです

弱きものの存在意義を問われたとしたら、一つにはより強きものの真価を試す為にあるんじゃないでしょうか

それから

植松被告と息子殺しの官僚熊沢英昭さんとても良く似ていると思いますよ

法廷とか言ってね何の正義があるのか知りませんけど、コイツラにねこれ以上罪もない死者を大っぴらに辱めて欲しくないです

はっきり言って始めからそれが目的なんじゃないかとさえ思ってしまうんでね

だからこれを書いてます

そんなもんはどうやったってどう取り繕ったって絶対に許さないんだよって彼らのためだけじゃなくてコイツラのためにもその苦しく辛く悲しい徒労の結実のような徒花の根をここらで気持ちよくスコーーンッ!と抜き去ってしまうために高らかに誰かが宣言しなきゃならないんです













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?