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ゴッホのたった10年間の画家生活の“ターニングポイント”を学ぶ。(ゴッホ展2019より) 【美術館やアートの楽しみ方】 #09

美術展『ゴッホ展』(2019年10月11日~2020年1月13日・東京上野の森美術館)を鑑賞してきた。
ゴッホの10年間の画業人生を縮図のように鑑賞することができ、新しい気づきがいくつかあったのでまとめておく。
※兵庫県にも巡回(2020年1月25日〜3月29日・兵庫県立美術館)

1、ゴッホの画家生活10年間を超要約すると…

ゴッホにはたった10年程度しか“画家としての活動期間”がない。
その10年間を時系列にして、ターニングポイントを単純化するとこうなる。
(通常より“今回の展覧会主旨”を強めに反映。)

ミレーに憧れ美術商から画家に(1880-)→
オランダ・ハーグ派の影響受ける(1882-)→
パリへ・印象派の影響受ける(1886-)→
アルルへ・色彩が開花(1888-)→
サンレミ・糸杉など独自タッチ開花(1889-)→
死去(1890)


我々現代人がよく知る有名なゴッホ作品とは、そのほとんどが1988年と1989年のたった2年間で書かれた作品ばかりだ。明るい色彩で、生命力に満ち満ちた、ゴッホらしい個性的な画風。

“今回のゴッホ展”の目玉はもちろん晩年作『糸杉』の来日で、自分の目で一度はジツブツを見ておく価値がある代表作だが、そのほかに“今回の展覧会らしい特徴”をあげると「ハーグ派からの影響」と「モンティセリからの影響」のキュレーションが印象に残った。これを記録しておく。

2、ハーグ派からの影響

ゴッホ初期のハーグ派時代の作品がこんなにたくさん展示されているのをはじめて見た。あんなに“ゴッホらしくないゴッホ作品”、そんなに目にすることはないからだ。いくつか「美術手帖」のサイトから引用させてもらおう。

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別名、灰色派と呼ばれるハーグ派。それはバルビゾン派の影響も受けながら民衆や農民の日常風景を切り取る作風。空は曇り、寒くて暗い。アルル以降のゴッホと比べるとその違いはすさまじい。

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作風だけを見比べると、ゴッホの“ハーグ時代とアルル時代には大きく分断”があるように感じとれるが、その画風の奥にある本質というか、書きたい事とかやりたい事は実はそんなに変わらないんだなとも思える。
どちらのゴッホも“日常生活”を描いている。
テオへの手紙にこう残している。

「作業中の農民の姿を描くこと、
  それこそが人物像の何たるかだよ。」

1885年 ゴッホからテオへの手紙

天使が舞い降りた瞬間でも、受胎告知がされる瞬間でもない。
農民の生活。そこにこそかけがえない神秘性がある。
(下記:詳しい参考サイト)


3、画家「モンティセリ」からの影響

ゴッホは1886年に思いたって突然、弟のテオを頼ってパリに出る。パリで出会った最先端の印象派作家たちの作品に触れて、ゴッホの絵にも明るい色彩が目立ちはじめる。

そのパリ時代の直後、ゴッホは「モンティセリの作品に出会い、大きな影響を受けた」と今回の展覧会で提示された。

モンティセリ(1824-1886年)は、フランスの印象派に先立つ時期の画家で、たっぷりとした厚塗りによる“色彩の強いコントラスト”が特徴の画風。代表作をひとつ引用する。

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モンティセリ『花瓶の花(1875)』

今回は、ゴッホがモンティセリの影響を受けて描いた作品が展示され(下記引用)、比較鑑賞する事ができた。

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ゴッホ『花瓶の花』(1886)

美術展に実際いって目で見るか見ないかの大きな違いのひとつは、こういったゴッホの厚塗りやコントラストが、画像だとわかりにくい点だ。実物はゴテゴテで色が艶光りしていて、100年以上たった今もエネルギッシュなパワーが溢れ出ているのが見てとれるのである。

この1886年の時点でゴッホは“厚塗りする画風”を自分らしく取り入れている。後年、1888年のアルルの麦畑でもそうだし、特に1889年のサンレミの“糸杉”やオリーブの木には、この“厚塗り技法”が効果的に生きている。
(下記:参考サイト)


4、まとめ:技術の経験がすべて繋がる

こうしてみると、ゴッホは、たった10年間の短い画業のあいだに、画風を転々と変えているようにもみえるが、そうではない。

ハーグ時代に培った「農民の日常生活を描きとる技術」、そして、パリ時代にモンティセリから学んだ「色彩の強いコントラストを生み出す厚塗り技法」は、ゴッホ後年の最盛期に、すべての経験と知識が“最高の状態で結びついていく”のだ。
10年間のすべてが、回り道ではないのである。

(おわり)

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