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ゲーム感想 ファイアーエムブレム 風花雪月

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

!!ネタバレあり!!


 『ファイアーエムブレム 風花雪月』の発売月であるファミ通No1604では、パッケージ売り上げ14万3130本であるのに対して、ダウンロード本数6万8377本とある。ダウンロード購入比32.3%。そこそこ多い(通常は10~20%の間に収まる)。
 この理由について、私は賢いからピーンと来ちゃったね。さてはみんな、「2本で9990円キャンペーン」で購入したな。うん、私も「2本で9990円」で買った。みんなこのタイミングで買うよね。


 次にファミ通No1611を見てみよう。
 ファミ通No1611では大掛かりなユーザーアンケートを中心とした『風花雪月』特集が組まれている。これによると、このゲームを4周以上プレイしたユーザーが最多1149票!! ファミ通のアンケートに答えに行くような人だから、濃いユーザーが集まるのは自然な流れだが、だとしても非常に多い。
 私は11月8日(昨日……これを書いた当時)にやっと1周目クリアしたというところなのに。

 ちなみにアンケート男女比は、男性1564人、女性1928人。……なんと女性プレイヤーのほうが多い! そうか、もはや女性プレイヤーのほうが多い時代になったのか……。

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 というわけで、私はまだこのゲームを一周(つまりストーリーを4分の1)しか進めていないわけだけど、ここでちょっとした感想。
 Nintendo Switchの任天堂タイトルは「これまでのアタリマエを見直す」がテーマにあるのかどうか知らないが、今回の『ファイアーエムブレム 風花雪月』も今までシリーズとだいぶ違う。
 どこかどう違うのかというと…………多すぎて挙げようがないくらい違いが多い。これでもかというくらいに様変わりしている。しかしちゃんと『ファイアーエムブレム』になっている。『ファイアーエムブレム』をどこまで変えることができるか、どこまで深めることができるか。シリーズの懐深さを試したような作品になっている。

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 『風花雪月』の大きなポイントになっているのが、ガルク=マクの存在。かなり大きな拠点で、ここを自由に散策し、様々なミッションをこなしていく。月の終わりになると必ず出撃することになっていて、この出撃パートでやっと『ファイアーエムブレム』の本題であるウォーゲームが始まる。
 これまでのシリーズでも「出撃前」のパートで色々することができた。アイテムを買えたり、仲間との対話を楽しんだり。『~if』では今作の雛型となる、自由に歩き回れる拠点が導入されていた。
 だからガルク=マクとは、それまでのシリーズでは平面、記号的なテキストに過ぎなかったシチュエーションに、「空間」と「時間」を与えたものだといえる。ガルク=マクという大きな場所がゲームに導入されたが、『ファイアーエムブレム』というゲームの形自体は揺るがないし、むしろその世界観を今まで以上に近いところで感じられるようになった。『ファイアーエムブレム』の本題というべきウォーゲームがゲーム全体のほんの一要素に格下げされているし、本題へ進むまでのボリュームが大きすぎて迂遠になっているのだが、そこにストレスをまったく感じない。これまでのシリーズとはまったく違うもの、違うコンセプトの新しいゲームとして接することができる。
 大きな拠点の導入は私は正解だと思っていて、それぞれの場所でそれぞれのキャラクターが思い思いの場所で過ごしている。また市場に行って武器や道具を購入する。これまでテキストのみで進められていたものに、場所と時間が加わり、実際にやりとりすることによって急速に行為に“真実味”が浮かび上がってくる。ゲームとプレイヤーの距離が近づいて感じられる。

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 私は相変わらず女子ハーレム部隊を作ろうとガルク=マク内を走り回り、見つけた女の子を贈り物をして、好感度を上げ、月末になったら出撃というルーチンを作っていた。
 ……と、いうのをやっていて、これ何かに似ているなと思ったら『サクラ大戦』だ。私がたまたま『サクラ大戦』みたいな遊び方をしていただけかも知れないが。

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 ガルク=マクは士官学校になっていて、大陸中の若者たちが集まってきている。その中には帝国、王国、同盟の若き盟主も含まれている。
 ふとしたら対立もしかねない三者が同じ学び舎にいるのは、それ自体が同盟の現れなのだろう。それに、お隣のクラスと模擬戦もやるわけだから、お互いの強みも弱みも知ることができる。お互いの手札を知り、知られていることを知っているからこそ、お互いが攻めづらい相手になる。
 その一方で士官学校で高い教育レベルにあれば、フォドラ外の侵略者に対しても防壁となる。
 同じ学び舎にいることで若き盟主の間に友情が生まれる可能性もあるし、もしかしたらその場所が大聖堂の目の前、大司教のお膝元ということで、お互いを攻めることが宗教的な禁忌になっているのかもしれない。
 でもエーデルガルドはガルク=マク、王国、同盟相手に宣戦布告してしまうわけだが。

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 ガルク=マクには若い士官たちが集まっているわけだが、これが後の物語的なポイントになっている。ガルク=マクの若者はほとんどがどこかの貴族の出身だ。ということは当然、後編の戦争篇では彼らの家族が戦闘の中心に立つことになる。親がどこで死んだか、という物語がキャラクターたちからぽつりぽつりと語られるようになる。
 今回の『ファイアーエムブレム』はフルボイス。すべてのセリフに音声が付けられている。私はゲームのボイスが多すぎると、展開のリズムを崩すから肯定的ではない。ゲームのボイスはボタンを押さないと次に進まない構造になっており、これが“掛け合いのリズム”を崩す原因になっている。今回の『ファイアーエムブレム』でもはっきりとテンポが悪い。リズムが欲しいところでテンポを崩してしまっている。
 だが肉声が付くと、ニュアンスが生まれるというのもある。今作ではボイスが付いているから声に重さも軽さも生まれる。そのキャラクターが何を背負っているのか、どんな心境でいるのか、ボイスが付いているからこそ、正しく伝わっている。フルボイスはプラスの部分の方が多かったと見ていいだろう。

 私の場合、エーデルガルドと袂を分かつ「白銀の章」を選択したから、クラスメイト達の迷いと葛藤を見ることになった。生徒たちが戦う相手は、自分たちの家族、親族たちだ。これもボイスがあったからこそ重さが伝わってくる部分だ。

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 士官学校に集まってくる貴族たちは、みんな「紋章」を持っている。でもこの紋章がなんなのか、よくわからなかった。そもそもなんで紋章なんか持っていたんだっけ……? たぶん、ストーリーのどこかで解説があったような気がしたけれども……。プレイ時間があまりにも長くて忘れちゃった。
 まあまあ、とにかく。貴族たちはみんな紋章を持っていて、紋章を持っていることが貴族の証。しかし紋章は親から子へ確実に継承されるものでもなく、貴族の子でも紋章がないと立場が悪くなったり、最悪、家から追い出されたりもする。
 こういうのは……多分、歴史のどこかで紋章を持った人がたまたま優秀だった→紋章を持った子供は優秀に違いないというふに変換されていった歴史があるんだろうな……想像だけど。
 紋章を持っていたら戦闘中様々な“特攻”が発動するので、「たまたま」というわけでもない。
 そんな歴史の末端にいるガルク=マクの若い貴族たちは、紋章を持って生まれてしまったから周りに期待され、期待通りの人間になろうと努めなければならない。若い貴族たちの悩みの源泉がここにあるように感じられた。
 その一方で、紋章持ちの貴族で生まれたことに何の疑問を持たない若者たちもいる。貴族に生まれたんだから平民よりも優秀で、平民を統治するのは当然だろ……。と。ローレンツやフェルディナントあたりがそうだが、こういった人たちは「貴族であることの悩み」を持つ若者たちとあまり仲が良いようには感じられなかった(単に私が他のキャラと絡ませなかっただけだけど。女の子キャラしか育てなかった)。

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 少し余談をしよう。
 第1次世界大戦の頃、前線に立ち、銃で相手を殺したことのある兵士は全体の2割くらいだった……という話がある。それ以外の兵士は何をやっていたかというと、後方で塹壕を掘り、怪我人の面倒を見て、食料を調達したり、武器の整備をしたり……と兵隊の全員が必ずしも最前線に立って戦っていたわけではない(最近の戦争ほど、「戦闘の効率化」が図られるようになり、最前線に立つ兵士の割合は多くなる)。
 古代ローマ時代にまで話を遡ると、ほとんどのローマ兵は戦わず、道路工事をやっていた。「ローマ軍」とは名ばかりで、実際には「ローマ公共事業団」だった。と、この時代はこの時代ならではの特殊性……ローマ帝国の領地を拡大するためにも、何もないところに道路を作る必要があったからだけど。
 この『ファイアーエムブレム 風花雪月』の場合だが、紋章を持っていると、それだけで無条件に「2割の最前線」に押し出されてしまうわけだ。若者たちが理不尽だと感じるのはわからなくもないだろう。
 貴族たちを守っている護衛兵士たちは何をやっているのだろう? それはゲーム中の画面を見てわかるように「ワーワー!」と叫んでいるだけで何もやってない。主が戦っているところを囲んで応援しているだけである(主がやられると、一目散に逃げやがるし)。貴族たちはひそかに「お前らも戦えよ」と思っていたかもしれない(「計略」で戦わせることはできるが)。
 『ファイアーエムブレム』の世界観は見ての通り「銃」ではなく「剣と魔法」の世界観だ。相手に近づき、持っている剣で肉を裂き、血を浴びる……。無傷で帰ってきても、精神的ダメージは大きかろう。紋章を持っているだけで、無条件にこの立場に立たされるわけだ。一般兵士の視点からすれば、「あいつら貴族がみんな手柄持っていきやがって」と妬みと羨望の眼差しで見ているしかできない。血を浴びる側の苦悩なんて、経験した人間にしかわからないものだ。
 大人たちはこんな子供たちの悩みについて、無頓着だ。それどころか、自分たちの後を継ぐことを当たり前とすら思っている。
 なぜこうなるのか。なぜ大人になると子供時代の悩みがなくなるのか。
 それは私たちの意識を振り返ってみればわかる。大人になると、ほとんどが子供時代の悩みなど忘れてしまう……そういうものなのだ。子供時代がなぜ悩むのかというと、自身の社会性が未成熟だから。社会における自分の居場所がわからない。アイデンティティの有り様に悩んでいるのだ(ローレンツみたいなのが他の学生と同じ悩みを持っていないのは、貴族である自分という立場に迷いがないからだ)。
 でも大人になると、社会の中に一定の立場が生まれる。すると急に悩んでいた過去が失われる。
 人間、自身の感情や悩みについて“今”の立場からしかいえない。立場が変わり悩みが解消されると、かつて悩んでいたことすらも忘れる。そういうものだ。だから大人になると、子供時代特有の悩みがわからなくなる。我が子がかつての自分と同じ悩みを持っていたとしても、感情移入できない。なんでそんなことで悩んでいるんだろう? と奇妙にすら感じてしまう。
 それどころか現在の悩み――今の自分の権威を維持するために、子供に自分の後を継いでほしい、ということしか考えなくなる。子供が後を継いでくれなかったらどうしよう、としか考えなくなる。ここで親と子は意識の違いで葛藤する。
 『ファイアーエムブレム』はまさにそういう時代。権威を維持するために貴族が貴族であろうとすることに固執している。そこで親の意識と子の意識のすれ違い。葛藤が描かれているように感じられた。本当はもっと両者の意識のズレとぶつかり合いの物語を描いてほしかった気もするが、そうするとゲームの本題とブレるから求めすぎというやつだ。

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 王族となると、紋章を持っていることが王位継承の証にもなるらしい。が、紋章は親から子へ、確実に受け継がれるものでもない。時に誰一人紋章を受け継がずに生まれてくる場合すらもある。この場合、魔改造を施してでも紋章を持たせるようだ。
 帝国の王位継承者であるエーデルガルドの悩みの源泉がここで、この魔改造によってエーデルガルドの兄弟たちは死亡したか正気を失ったかして、エーデルガルドが唯一の生き残りとなってしまった。
 この辺りにエーデルガルドの動機があるんじゃないかと思ったが、私は「紅花の章」ではなく「白銀の章」を選択してしまったので、なぜエーデルガルドがこんな無茶な開戦に踏み切ったのか、その動機をきちんと知ることができなかった。

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 また余談。
 エーデルガルドは魔改造を受けていた経験を、後々まで夢に見てうなされるようだが……。
 私はその漏れ聞こえてくる声を聴いて、エーデルガルドがひとり〇〇〇をしているのかと思った。
 「部屋に入る」というコマンドが出てくるが……いいんですか? 突撃しちゃっていいんですか! いま突撃しちゃってもいいんですか!! 行きますけれども!! エーデルちゃーん!!!
 ……まあ別に一人で〇〇〇していたわけじゃなかったんだけど。いや、よくよく考えれば、そんなわけないよな。
 私はそっと脱ぎ掛けていたものを履いた。

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 私は初クリアまで138時間もかけていたわけだが、そんなに時間をかけてしまった理由はただ一つ。このゲームにはレベル上げ沼があるからだ。私はまんまとこの沼にはまり、ストーリーを進めず、えんえんレベル上げを続けてしまった。
 月末になるとストーリーの展開があるわけだが、そこに至るまでえんえんレベル上げ。今までのシリーズだと、ある程度シナリオが進んでしまうと、レベル上げのチャンスがなくなってしまい、後から入ってきたメンバーほどレベル上げしづらい。武器スキルに関していえば、ほとんど諦めるしかなかった。
 が、今回『風花雪月』にはレベル上げの機会がたくさんある! フリーマップでチャンスはあるし、毎週の授業で武器スキルを高めるチャンスもある。しかも今作では職業(クラス)の制約がほぼない(一応キャラによって苦手スキルというものはあるが、時間をかければ問題がなく、向き不向き問題はあってないようなものだった)。制限がない、ということは、無限にレベル上げができてしまうということだ。これはレベル上げ沼になる。
 私は武器スキルを上げて、剣をS+に、槍をS+に、斧をS+まであげて職業レベルが最大になったら次の職業へ。また職業レベルが最大になったら「試験」コマンドを見て「次、なににしよかな」と吟味。
 とりあえずアーマー系クラスをマスターして「金剛の一撃」「守備の覚醒」を覚えさせ、騎馬クラスの「移動力+1」も覚えさせ、魔法使い系には「魔法距離+1」を覚えさせていき……。
 とやっていたらストーリーはさっぱり進まないうえに、プレイ時間だけ延々伸びてしまった。
 時々シナリオに戻るのだが、レベルが上がりすぎ。何も考えずに突撃してもみんな向かってくる敵を無双で薙ぎ倒してくれる。しかもノーダメージで。あまりにもゲームが簡単に進みすぎるので、途中から「壊れた武器」「錆びた武器」のみで出撃するという謎縛りができたくらいだ(あえて弱い武器を持たせて、武器スキルを上げさせようという目論見もあった)。
 ラスボスも楽勝でした。
 こういうところも、今作の自由度の高さを語るポイントである。

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 『風花雪月』のマイナスポイントはビジュアル面。キャラクターが3D化しているが、そのクオリティははっきりと高くない。ディテールははっきりしないし、奇妙なところで光沢が出てしまっているし。
 対話シーンに使われる背景は、奇妙にねじれた空間で、その中でキャラクターたちはいつも棒立ち。テンプレート化した個性のないリアクションを少しする程度。振り向く動きは首だけでグググと動くから、ロボットのように見える。
 これだったら、止め絵でセリフのみだった前作とたいして変わらない。いや、3D化したことによって、むしろ違和感が大きくなった。
(止め絵なら想像で補えるが、3Dキャラクターは“それそのもの”が画面に現れるから想像で補えるものがない)
 これは……やはり作業的な問題だろう。『ファイアーエムブレム』シリーズはとくかく対話シーンが多い。支援会話だけでも毎回「小説何本分だろうか」というくらいのボリュームがある。このすべてにカメラワークを付けて、演技を付けると思うと……。この作業量やかかるコストの問題を考えると、あれが妥協点だったのだろう。すべてのセリフにボイスが付いたことだけでも特典だと思おう(こっちもとんでもないコストがかかったはずだ)。

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 戦闘中のアイコンがいまいち見づらかったのも惜しいところだ。キャラはサムネイルが付いてないと誰が誰なのかわからなくなる。こういうところは、何もかもがシンボル化して示せるドット絵のほうがわかりやすい。
 あと敵が狙っているキャラクターを線で示すのは嬉しい試みだが、常に見えるようにしてほしかったなぁ……。

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 もう一つの問題点は、上の話との地続きになるが、演出面。一部のシーンがムービーで語られるが、このムービーの出来がはっきりと悪い。
 まずムービー自体のクオリティが低い。例えば物語の中盤、レアが白竜の姿となって向かってくる大軍勢の前に大立ち回りを演じる場面。一見派手に見えるが、何も伝わってくるものがない。
 何が不味いかというと、キャラクターたちの顔がまったく見えないこと。あの中でキャラクターたちが戦っているんだという緊張感がまったく描かれない。
 これはゲーム的に、そのキャラクターが仲間として参戦しているかどうかわからないし、プレイヤーによってはロストしてしまっている可能性がある。だから描けなかったのだとわかる。
(それにやはりコスト面の問題。オープニングシーンを見ていると気づくが、3Dでモデリングされているのは本当に主要な数人のキャラクターだけ。あとは手書きで描かれている)
 が、問題はそこだけではない。レイアウトの一つ一つが弱い。背景とキャラクターが一体となった画作りが意識されておらず、書き割りの背景の中で、平面的な演技をしてしまっている。
 カメラワークがロングサイズとクローズアップしかなく、中間距離がない。だから向かってくる軍勢に対してガルク=マク軍がどのように応じているのか、描写がない。描かれているのは向かってくる軍勢と、その端っこで展開されている小さな戦いだけだ。なんとなくの雰囲気でごまかされているが、これは「戦争の画」ではない。

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 ムービーを入れるタイミングも悪く、それまでの助走がなく、だしぬけにムービーを導入したという感じで効果が薄い。あれではそのシーンのショックさが伝わってこない。
 ムービーに入る前、ムービーに至るまでの段階をきっちり作り、その最後のキメとして使わないと効果は最大化しない。見ている側の気持ちは盛り上がらない。これでは初代プレステ、セガサターン期くらいの駄目なムービーゲーと一緒だ。

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 では具体的に何を活用すれば良かったかというと、バトルシーンに使われるフィールドだ。あれは+ボタンを押すと見ることができるのだが、なかなかしっかり作り込まれている。なのにバトル中しか使われなかったのがもったいない。
 このシーンのモデリングをムービーの手前に活用して、出撃中のキャラクターの顔もしっかり見せて、ドラマを盛り上げていけば自然とムービーのインパクトも高まったはずだ。

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 3DSシリーズの頃からそうだったが、シミュレーションパートの俯瞰地図と、バトル中のビジュアルは双方最初から読み込まれていて、スムーズに切り替わるように作られている。戦闘シーンに入ってから背景とキャラクターを読み込んでいるわけではなく、最初から読み込み済みとなっている。
 その上に、今回はキャラクターの顔も識別できるくらいまで作り込まれている。兵士が案山子にしかみえなかったのは残念だが、Nintendo Switchのスペックを考えると、ここまで作り込まれていることの方が驚く。
 せっかくここまでしっかり作り込んだ素材があるのだから、ストーリーイベント中にもここの画を使ってほしかった。

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 ストーリー面もどこか弱さがあって、「白銀の章」を選択すると、後編に入る直前、エーデルガルドと再会することができる。おそらく同窓会の約束を思い出して、会いに来たのだろう。しかしいくらガルク=マクが荒れ果てているとはいえ、あんな真っ赤なドレスの女が歩いていたら誰からも目撃されるだろう。しかもその人は、世界を相手に戦いを仕掛けている皇帝だ。どうして誰とも遭遇せず、たまたま主人公とだけ会うことができたのか。都合がよすぎる。
 対話シーンの後、またムービーが挿入されるが、やはりだしぬけ感があってムービーの感動は薄い。

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 後編に入り、真の敵が明らかになって次の戦いが始まり、さらに次の戦いへと続くのだが……。クライマックスへ向かっているのに緊張感が全くない。「あ、ここが最終章だったのか」という感じだった。
 『ファイアーエムブレム』シリーズはシナリオにおざなり感があるのは毎度のことだが、今回ほど感動薄いクライマックスはない。特にムービーの印象が薄く、ただの書き割りにしか感じられなかったのは残念だ。

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 さてさて。やっと一周目を終えたところだが、次はどうしよう。一周目は全シナリオの4分の1でしかなく、結局のところ、エーデルガルドがどういった目論見で戦を仕掛けたのか、わからないままだった。「白銀の章」だけだと、エーデルガルドが戦争をしなければならない理由がまったくわからず。わからないまま戦うというスッキリしないストーリーになってしまった。
 非常に気になってはいるところだが……。まあ、もうしばらく後でもいいかな。再開するとしたらまたレベル上げ沼にはまって、100時間くらい使いそうだから。


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