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4月9日 『天子姉妹の祝福』における屋敷と美少女と幽霊

前回

 前回、長々と「屋敷幽霊」のお話したのだけど、本題はこっち。私は、その時見たドラマの話に絡めて、いま制作中の自分の作品の話をするつもりだった。『ザ・ホーンティング』の話も短くまとめるつもりだったのに、書いているとどんどん長くなっちゃって……。というわけで、章を改めて、こっちの話をします。

 ここからは私がいま書いている漫画『天子姉妹の祝福』のお話。

 まず『天子姉妹の祝福』とはなんぞや? の話から。いま私が描いている「ネーム漫画」のこと。今のところ、Facebookのみで公開している。

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(※ネーム  漫画の制作初期段階に作るもの。ネームで内容を確認し、スタッフと意識の共有をし、ここから漫画の本制作に入っていく。ごく最近、「ネーム原作」を各出版社が募集していることに気付き、こういうものを描くようになった)

 書き上がったら出版社に売り込みに行こう……と考えている。ブログやpixivなどに公開する予定はない。
 漫画ネームは「漫画の設計図」に当たるものなので、これだけをどこかに載せても、そういった仕事をしている人でない限り、何が描かれているかわからないようなものだから……。載せてもしょうがない、と思っているので、ブログやpixivなどに掲載予定はない。

 この物語には、お屋敷に住んでいる2人の女の子が登場する。そこに、さらに2人の女の子が迷い込んで来て、しばしの穏やかな日々を過ごす……。

 なぜ舞台がお屋敷なのか?
 この答えはシンプルで、私がお屋敷というものが好きだから。お屋敷に住めたらいいなぁ……とずっと思っている。
 こうしたある種非現実的、浮世離れした理想空間を描くなら、日常から離れた場所を舞台にしなければならないし、そこに住む人は美しい乙女でなければならない。「お屋敷+美少女」の組み合わせは私にとっての理想なのだ。

 しかし舞台をお屋敷とした場合、どうしても西洋文化の借り物で世界観を作ることになる。それは嫌だ。よくある漫画・アニメ・ゲームに描かれるお屋敷美少女はだいたい西洋文化の借り物だらけで世界観が作られる。どこか西洋文化の物真似をやってますよ……世界観やキャラクターに“ごっこ遊び”感が出てしまい、地に足のついた感じにならない。
 お屋敷を舞台にする限り、“西洋文化の借りのも”というのはある種仕方のないことではあるのだけど、少しずつ私たちの世界観“和”のイメージに引っ張り込もう。さらに西洋でも東洋でもないイメージも持ってきて合成しよう……。そうやって構想されているのが『天子姉妹の祝福』という世界観だ。

 例えば、17~18ページに描かれている天子邸手前にある建物は、私の絵は詳細まで描き切れてないのでわかりづらいが、実はこれは「寝殿作り」。寝殿作りをファンタジー世界の様式で建てたら……という想定の建物だ。
(描写されていないところだけど、お屋敷には上がり框がある。土足NGだ。こちらも東洋建築の様式で描かれている)
 「ファンタジー世界の様式」とはなんなのかというと、アラン・リーの描いた「エルフ建築」をベースにしている。映画『ロード・オブ・ザ・リング』に出てきたようなやつのこと。ファンタジー建築のイメージで、アラン・リーのイメージに勝るものはない。
 この作品独自の「規則性」は構想してはいるけど、その話は長くなるし、難しい話なので、また今度。

 さらに、「狭間世界」の森林は基本的には照葉樹林。西洋はブナ林帯なので、自然の植生も西洋とはあえて違うように描いている。

 81ページに出てきた建築物は「厳島神社」……を、ファンタジーっぽく表現したら……という建物。

 44ページには石造りのアーチが登場してくるが、これは「鳥居」。鳥居をファンタジーっぽく表現したもの。83ページにも出てくるアーチも同じく鳥居をベースにしたもの。
 鳥居は日本特有のもの……と思われそうだが、実は似たようなものは世界中にある。例えばイギリスのストーンヘンジも復元すると石造りの鳥居のような形になる。どこの文化圏に行っても、聖所の入り口は何かしらゲートになるものがあって、そこで「俗界」と「聖所」の区別としている。
 こういうところがわかって読むと『天子姉妹の祝福』に描かれているものがなんなのかわかってくる。意味もなく、「何となくファンタジーっぽいもの」を描いているわけではなく、和ベースをファンタジーっぽい様式に置き換えて描写しているもの……というのが見えてくる。

 召使いも登場してくるが、メイド服を着ていない。なぜかというと、「メイド」というより「家政婦」のイメージだから。
 今に限った話ではないけれど、「メイドキャラ」ってアニメ・漫画界隈に溢れすぎていて、「メイド服を着たメイド」が登場してしまうと、業界に溢れかえっている「メイドキャラ」のなにかと被っちゃう……。そこで、あえてメイド服は着せないメイドキャラクターを作ることにした。(メイド服を着ないメイドキャラ……そういうのもすでにいそうだけど)
(あと『ザ・ホーンティング』にもメイド服着たメイドなんていなかった。やっぱり本場にはいないよなぁ)

 物語の重要なファクターとして、「幽霊」も登場する。これが『ザ・ホーンティング』と絡めて語ろうとしたところ。
 描写を見てわかるように、『天子姉妹の祝福』の幽霊も怖がらせようという意図がまったくない。幽霊たちもあくまでも「迷い込んで来た者」として描かれている。そして天子姉妹にとって、幽霊も「客人」である、という描き方だ。
 幽霊が登場するけれども、エンタメ的な「ホラー」を描く気は全くない……というのがわかるはずだ。そうではなく、この舞台となっている場所が「虚像」であるから、幽霊も虚像世界のゲストになり得るのではないか、異世界というイメージを補強するために役者になり得るのではないか、と考えた。なにしろ幽霊は現実にはいないわけだから。
 もちろん、後々「幽霊とは何か?」を巡って、物語の中で掘り下げられていく。

 その幽霊たちは最終的に波際まで導かれて、最後には「送り出されて」いく。
 この作品にとって幽霊は「恐ろしいもの」「怖がらせるもの」ではなく、きちんと葬られなかった「かわいそうな魂」であるから、こうやって歓迎されて、丁重に送り出されていく……という描写で描くことにした。
 なぜ幽霊を「怖がらせるもの」として描かなかったのか、というと、現代人はもう「幽霊が怖いもの」という認識がほとんどなくなってしまったからだ。特に、漫画やアニメで描かれる幽霊が怖かった試しはない。漫画の幽霊で怖がらせよう……という発想自体がナンセンス。
 そういうものはわかっているから、では「幽霊とはどういうものであるのか」「幽霊とどう接するべきなのか」そういうものを踏まえた上で物語を作り込もう……という意図の元に描いた。

 では、こんなお屋敷に住んでいる乙女はどんな人であろうか?
 漫画でこういうお屋敷に住んでいるお嬢様……なんかが出てくると、大抵は「親がお金持ちで……」という設定になりがちだ。私はそういう設定が嫌い。だって、ただの「虎の威を借る狐」でしかないから。「親が何者か」ではなく、そこに住むお嬢様自身が、それに相応しい貫禄と佇まいをしなければならない……というのが私の考え方。
 漫画で描かれがちな「本人は何の能力もないけれど、虎の威を借る狐で威張り散らしているキャラクター」は絶対に描かないぞ、その本人がそこに相応しい人間である存在感と能力を備えていなければならない……ということを前提において設定が作り込まれている。
(そうは言っても、天子姉妹のお母さんって「女神」なんだけど)

 天子サキ&ミコ姉妹には基本的には装飾品は身につけていない。そういうブランドもの装飾品を身につけなければ存在感が示せないのなら、キャラクターとして失敗だと考えているから。そういうものがなくても、その身から存在感が出ていなければならない。
 他にも理由がある。
 現代人はありとあらゆるものを「認知外」にしてしまっている。例えば、食べ物を一つ取っても、それがどこから来たのかよくわからない。わからないから、考えない。でも漠然と不安……というのが現代人の心理だ。
 現代人は工場で作られたおにぎりは食べられるけど、人が握ったおにぎりは何となく食べられない……という(知っている人が握ったものであってもだ)。要するにそこに「属人性」を感じられるかどうか、の話だ。現代人はありとあらゆる場所から属人性を廃したいと思っている。認知外の世界に何が起きているのかわからない不安が、その原型にあるのだ。
(私はコンビニ弁当製造工場にも勤めていたので、「何を言ってるんだ」という感じだが)
 欧米のセレブは、農家にお金を払って、自分で収穫だけをする、という。なんでそんな酔狂なことをするのかというと、自分が食べているものがどの土から出たものか……という安心感が欲しいから。
 『天子姉妹の祝福』に出てくる「狭間世界」を構想するにあたり、「ほとんとのものは“認知内”にしよう」という考えがあった。食べ物はどこから来たのかわからない……じゃなくて、間違いなくその世界観の中にあって、生産者が間違いなくいて……。

 漫画で描かれがちなお嬢様キャラクターは、自分の身の回りのもののほとんどを「認知外」にしてしまっている。自分の知らないうちに、訳のわからないけれども、ただ“高級というだけ”というブランドもので身を固めている。そういうものを「裸の王様」という。
 天子サキ&ミコ姉妹は「裸の王様的お嬢様」にはしないぞ、と最初から決めていた。だから天子姉妹が身につけているもの、食べているものは実は「一級品」ではない。一級品である必要はない(なにしろ自分で料理して自分で食べるのだから)。自分の身の回りがどうやって構築されているか、認知して、その一つ一つの関係を持ち、心情的な連なりを持っていること……これが一番大事だ、と考えて設定を作っている。

 これはとある人のお話だけど、「女に高級バッグを買い与えてはいけない」という。なぜなら、その途端、嫌な女になるから。高級バッグを持たせると、その途端「私はこういう高級なものを持っているのよ」という、「プライドの高い女」に目覚めてしまう。するとそこから生活のレベルを下げられなくなってしまう。持っているもののブランド的な地位ばかり気にして、価値もろくにわかっていない高級品ばかり買い集めるようになってしまい、やがて身を破滅させてしまう……。

 漫画で描かれがちなお嬢様キャラクターって、こういうタイプだよね。持ち物ばかり高級品で中身はない。本人に存在感がなく、持っているもので存在感を出そうとする。そのように描くべきではない。
 そこで『天子姉妹の祝福』の天子姉妹は、ブランドものは一切身につけていない。食べているものは全部敷地内ものものを。どこで買ったかわからないような“超高級品”はなし。生産者の顔を知っていて、「私たちに食料を提供するのは当たり前でしょ」という感覚ではなく、「いつもありがとう」と生産者に感謝をする。そうやって作ってる人に感謝できる人間が尊いのではないか。値段ばかりが高いブランドものは天子姉妹には身につけさせない。そんなものはなくても、その本人が一番気高い……そういう描き方をすべきだと考えた。

(『天子姉妹の祝福』はそのうち出版社売り込みに行くが、編集者から「お嬢様なんだからブランドものを身につけさせろ」と言ってきてもアタシャ「NO」って言うよ)

 着ているものも敷地内に綿花畑があって、糸を作る工場と、服を作る職人を作ろうか……とかも考えているけれども……そもそも服ってどうやって作られているのかよく知らないから、この辺りの設定はまだ詰められていない。

 というのを、『ザ・ホーンティング』のお屋敷を見ながら考えていたことだった。
 『ザ・ホーンティング』は由緒正しいイギリス屋敷とお嬢様の暮らし、さらに幽霊も付いてくる……という全てにおいて由緒正しいもので描かれている。
 実は『天子姉妹の祝福』もある意味で由緒正しい「屋敷とお嬢様と幽霊」の構成で描かれている。『ザ・ホーンティング』は見ていると、お屋敷のいろんなシーンが出てきて、「ああなるほど……」と感心して、「参考にしよう」という感じでディテールを見ていたのだけど、そのまま使ってはならないな、『天子姉妹の祝福』に落とし込むにしても、どのように「翻訳」をしようか……と考えながら見ていた。
 お屋敷とお嬢様、の本家はイギリスの貴族屋敷だけど、それを参照に描くのは仕方ないけれど、色んなところで“和”様式を引っ張り込み、さらに西洋東洋どちらもない素材も合成する。

 そうやって設定を構築して、物語を作ってますよ……という話でした。


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