1月13日 孤独な天才。『ジブリと宮崎駿の2399日』の感想
NHKの『ジブリと宮崎駿の2399日』を視聴した。いやぁ、録画してたの、すっかり忘れてた。
内容はすごく良かった。編集に凝ったドキュメンタリーで、現在の映像とアニメの映像、過去映像がパッチワークのように組み合わせて宮崎駿の現在地を表現している。この表現が現実とアニメの境界が崩れかけようとしている人……という印象をうまく表現できている。
ドキュメンタリーの大テーマは、2018年にこの世を去った高畑勲との関係。宮崎駿と高畑勲。ともに東映動画出身で、高畑勲のほうが6つ上の先輩。2人は東映動画内で起きていた労働争議の最中に出会い、意気投合し、次第に一緒に作品を作るようになる。その第1回作品が1968年『太陽の王子 ホルスの大冒険』。監督高畑勲、アニメーター宮崎駿。このときの二人はいつも一緒というくらいのベストな関係だった。
それが宮崎駿が監督を務めるようになってから変化していく。
押井守は一時、スタジオジブリに通っていた時期があるのだが、その彼の証言によると、二人の会議というのは会議ではなく、ただひたすら怒鳴り合いをしているだけだった……という。そこに猟犬の押井守が加わるから、えんえん怒鳴り合い。押井守は一応、企画会議で呼ばれていたはずなのだけど、結局は宮崎駿と高畑勲のいるジブリでは相性が悪い……と去って行くことになる。
宮崎駿と押井守はちょっと変わった腐れ縁の関係だが、この二人を捉えた写真というのはほとんどない。動画になるとぜんぜん出てこない。ドキュメンタリーのカメラマンは絶対、二人が一緒の場面を撮っているはずなんだが……やっぱり怒鳴りあいしかやってないから、お見せできないんでしょうな。この二人が話している場面の動画、一度見てみたい気もするが……。
では宮崎駿と高畑勲は仲が悪いのか……というと、そういうわけではない。過去のドキュメンタリーを見てみると、宮崎駿はしきりに「パクさんならどう描くかな」「パクさんは見てくれるかな」と呟きながら絵コンテを描いている。あれだけ怒鳴りあいしているのに、いまだに宮崎駿にとって映画監督としての師匠は高畑勲で、尊敬はしているのだ。
なのに顔を合わせるとゴングが鳴る……どうしてこんなに面倒くさい関係になったのか?
ちょっと余談だが、ジブリ作品を見ていると、個人的な私信というものが結構入っている。例えば『紅の豚』ではポルコがフィオに「徹夜はいけねぇ。徹夜は良い仕事の敵だ。それに美容にも良くねぇ」――これはジブリスタッフに向けた私信だ。こういうジブリスタッフに向けたメッセージ的なものはよく入っている。
高畑勲も個人的な私信を入れる作家で、『おもいでぽろぽろ』では農村の風景を見ながら、「この風景は農民が作ったものなんだ」……というような台詞があるが、これは直前に宮崎駿と高畑勲の間で激論があり、そのアンサーとして作られたシーンだった。『平成狸合戦ぽんぽこ』でもやっぱり宮崎駿個人に当てたシーンがある。観客の誰も気付かないが、宮崎駿は勘が良いから気付く。こんなふうに二人は、映画を介してやりとりする……ということをやっていた。誰にも気付かれない、二人だけのメッセージの送り合いだった。
『風立ちぬ』では堀越二郎が新庄と一緒に仕事をしたい……という場面で、上司は「友人と一緒に仕事をするな。友情を失うぞ」と忠告する。これは誰に当てた台詞か……宮崎駿本人だ。老いた自分から若いときの自分に向けたメッセージだ。経験から出た言葉だとも言えるけど。
1978年、宮崎駿は初のテレビシリーズの監督を『未来少年コナン』で務める。このとき、宮崎駿は友人を一杯喪った。宮崎駿はご存じの通りあの性格だから、相手が友人であろうが先輩であろうが、気に入らない動画を見ると「なんだこの動画は! やる気あるのか!」とガーッと怒鳴りつける。そのうえで自分で全部修正を入れる。その修正があまりにも上手いから、誰も言い返すことができない。
周りのアニメーターからすると「だったら俺達いらないじゃないか」……みたいな心境になる。宮崎駿はそういう状況になっているのはわかっているけど「情念の人」だからとどまれない。
たった1本の監督作品で友人をまるごと喪って、「監督はもういい」と高畑勲の現場に戻り、1979年『赤毛のアン』の制作に参加する。しかしその時には高畑勲のそばには近藤善文という腹心がいた。後に『火垂るの墓』『おもいでぽろぽろ』の作画監督を務める凄腕のアニメーターだ。
しかも宮崎駿が出したアイデアはことごとく却下される。すでに宮崎駿と高畑勲の感性は合わなくなっていた。
俺の居場所がない……。それに一度監督を務めてしまったから、その感覚が身についてしまっていて、頼まれもしないのに『赤毛のアン』の現場で勝手に監督っぽいことを始めてしまう。他のアニメーターが描いているのを見て「なんだその動画は!」とかやり始めてしまう。高畑の現場にも戻れないし、アニメーターにも戻れなくなってしまっていた。
『赤毛のアン』の現場で宮崎が暴れ回っている……その状況を見た周りの人たちが、宮崎駿をトムスに引き抜いてしまう。そこで間もなく次なる監督作品『名探偵ホームズ』を制作することになるが――高畑勲との溝は埋まらないままだった。
宮崎駿はかなり面倒くさい人だ。思い込んだら、どこまでものめり込む。ひたすらに情念で動く人。今でいうところのストーカー気質タイプだ。おまけにブサイクで運動音痴だからスポーツもできない。ロリコンでスケベだ。女の子からは全く相手にされない。絵が上手い、ということを差し引けばダメ人間でしかない。宮崎駿監督作品でやたらと快活な少年が主人公になりがちなのは、宮崎駿自身のコンプレックスを写している。宮崎駿がやっと自分と向き合ったのは『風立ちぬ』の時。堀越二郎という人物を描いて、やっと自分自身を総括した。
ただ幸運にも宮崎駿には才能があり、その才能を消費する「アニメ」という仕事があった。本当なら、ずっとアニメーターをやっていたかった。アニメーターが自分の本文だ……宮崎駿はそう思っていた。
しかし自分をアニメーターとして使って欲しい……と思っている相手は自分の方を振り向いてくれない。NHK朝ドラの主人公の夫役になるような色男は、そういう宮崎駿の気持ちになんて目もくれない。「僕を受け入れてよ!」……しかし高畑勲は『じゃりン子チエ』や『母をたずねて三千里』といった人情ものを手がけるのに、本人は人情の欠片もない。どちらかというと冷酷ですらある。宮崎駿の苛立ちを知ってか知らずか、「知ったことか」という態度を取り続ける。
結局、片思いの相手からは認められることはなく、とうとう高畑勲はこの世を去ってしまう。宮崎駿はすでに『君たちはどう生きるのか』の制作に入っていたが、いつものように「パクさんならどう描くかな」と考えてしまったかどうかわからないが、「あっ」となる。その高畑勲はもういない。絵コンテに向き合うたびに、浮かび上がってしまうのは高畑勲の存在。相変わらず演出の師匠は高畑勲、尊敬する映画監督は高畑勲だったのだ。その対象がもういない。
高畑勲を頭から払えない……。思いがけないもので煩悶とするのだった。
ドキュメンタリーの後半、ラッシュを見た後、宮崎駿は「知らないカットがあったんだけど」と言い始める。自分で絵コンテを描いて、自分で原画チェックもしたはずなのに、覚えてない……。いよいよ認知能力にも穴が開き始めた。
宮崎駿はずっと映画と現実をごっちゃにして作品を作り続けたような人だ。次第に現実と映画が混濁していく。今回は引退宣言もなし、どうやら次回作を作るらしいが……どうなるやら。
宮崎駿に友人はいない。どんな相手であっても「なんだこの動画は! やる気あるのか!」と怒鳴りちらしてしまう。そんな性格だから、周りにいる人を遠ざけてしまう。
私はまだ『君たちはどう生きるのか』を見ていないのだけど、作品にはアオサギこと鈴木敏夫を「友人だ」と言うシーンがあるらしい。これはわりとビックリなシーンだ。宮崎駿には友人はいない。鈴木敏夫は普段から一緒にいるけど、友人付き合いなんてものはまったくやっていない。これも押井守証言で、はっきりと「あの2人は友人ではない」と断言している。
でも宮崎駿は友人だと思っているわけだ。
これがちょっと寂しげな話にも感じられてしまう。
「なんで俺だけ生き延びちゃったんだろうな……」
宮崎駿はこう呟く。宮崎駿と一緒に走ってきた人々はみんな死んだ。友人はいなかったかも知れないが“戦友”は一杯いた。大塚康生、保田道世、近藤善文……高畑勲。アニメ・漫画業界の人々は過酷労働だからみんな早死にする。そのなかで80代に入ってもいまだに現役の宮崎駿。一番めちゃくちゃな働き方をやっていたはずの宮崎駿だけが生き残った。きっと寂しいのだろう。気付けば自分一人。道連れにしたい誰かが欲しいのかも知れない。
宮崎駿の友人の話といえば、一つ思い出すエピソードがある。押井守証言によると、かつては年に1回くらい、宮崎駿から電話がかかってくるそうだ。「一緒に戦車観に行こう」とか、そういう内容だが、押井守も戦車好き・戦闘機好きではあるが、微妙に好みが合わないから……といつも断っていたそうだ。それも、数年前に大喧嘩したっきり、電話もかかってこなくなったそうだ。
もしかしたら宮崎駿は、押井守と友人の関係になりたかったのかも知れない。
という感じで、とにかくもやたらと面白いドキュメンタリーだった。最初に書いたように、編集がやたらと凝っていて、テレビドキュメンタリーの域を超えている。そのうち完全版Blu-rayが発売されるだろうから、ぜひそちらも観てみたい。
その前に、『君たちはどう生きるのか』を観なくては!
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