ゲーム感想 アストラルチェイン
この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。
Nintendo Switch2本で9980円キャンペーンで買ったもう1本のタイトルがこちら。『アストラルチェイン』。気になっていたタイトルが、そこそこの安価で買えたのはかなり嬉しい。
もう1本のタイトルはこちら→ファイアーエムブレム風花雪月
概要なんかは公式サイトなんかを見ていただくとして、ファーストインプレッション!
とにかく格好良い!
ソフトを起動すると、静かで怪しげなプロローグが始まり、そこから一転、バイクでトンネル内を疾走するシーンへと移る。この時点で気分はかなり上がる。続いて高速道路上でのバトルシーン。レギオンを託されてからのバトルシーン。その次が私のお気に入りのシーン、道路上を滑り落ちてくる車を次々とよけ、最後はレギオンを使った脱出シーン!
ヒャッハー! スゲーぜ! ってな感じてテンション上げまくりなアクションが次々と展開する。気持ちよくIQを下げられる。超痛快なアクション活劇だった。
ゲームを進めながら、なぜか懐かしい気がしてしまった。こういう感じの、一本道だけど勢いと力技だけで切り抜けて行っちゃうようなアクションものって、アニメでも90年代頃まで確かにあった。今でもそういうものはなくはないけど、見てみると「なーんか違うね。あの頃みたいな勢いはないね」みたいに感じてしまう。
でも『アストラルチェイン』には映像作品には失われてしまったエネルギーがあちこちに漲っている。楽しいし、活力になる。始めて5分でお気に入りのタイトルとなった。
キャラクターデザインは桂正和だが、これは大正解。桂正和といえば可愛らしい女の子キャラクターと有名すぎるラブコメ作品が多いからそれしかないと思われがちだが、桂正和のもう一つの顔はSF。SFの風景やデザインを格好よく絵に仕上げる作家だ。『アストラルチェイン』の世界観と桂正和の持っているセンスががっつりはまった作品だ。
ところで桂正和作品といえば美少女の尻だ。おケツマエストロであり、パンツマエストロである(と、呼んでいるのは私だけ……じゃないはずだ!)。
桂正和の尻描写だが、必ずしもリアリティに基づくものではない。どちらかといえば、いかに”魅力的なウソ”を描くか。現実以上に理想を、肉感を強調して描かれている。
例えば綿パンツは履いた時、左右に引っ張られて伸びる。目立つような皺はできない。しかし桂正和が描くパンツは、コットンパンツの特徴や、エナメルパンツの特徴も取り込んで、ヒップ周りの立体感と肉感をよりくっきりしたメリハリで、あるいは柔らかさを表現している。あと当然パンツマエストロであるから、作品を見ていると綿パンツ、コットンパンツ、エナメルパンツを意識的に描き分けているのがわかる。
その桂正和尻を、尻に定評があるプラチナゲームズが立体化する。つまり尻×尻で尻バーストをしたのがこの作品だ。作品を掘り下げる前に、間違いなくみんなの関心ごとであるはずだし、おそらく義務と思われるのでしっかり掘り下げて見ていくこととしよう。
アストラルチェインの尻
まずネウロイ本部へ行ってみよう。
おっと、こんなところに理想的なおケツがあったぞ。これをサンプルとしよう。
モデルとなってもらったのは、アストリット・アッカーマン。身長175.8、体重57.8、B90W70H86。
ふむ。これはなかなか味わい深い。
中心を通る溝に光が差し込んでいるのがなかなか味わい深い。
パンツスタイルでかなりぱっつんぱっつんな感じとなっているが、本来こうした履物で、お尻の形をなぞるような溝のラインができることはない。布が左右に引っ張られるので、溝のラインは消えてしまうはず。
もちろん、全くあり得るケースがないわけではない。布が股間部分に貼りつき、尻の谷間に沿って食い込んでしまうことはある。
ただここまでぱっつんぱっつんなパンツスタイルだというのに、インナーの形が示されていない。おそらくレーディングに引っ掛かるからと思われるが、惜しいところだ。
画像準備中
どうしてもツイート貼り込みがうまくいかないので、下のリンクから見てください。(note運営ファック!!)
https://twitter.com/9999toratugumi/status/1251305867888095237
続いて動画で見てみるとしよう。
モデルはまたアストリット・アッカーマンだ(この隊員はおケツに自信があるのだろう。なにかと我々に優美な曲線を披露してくれる)。尻の中央ラインから、尻の曲線に沿って皺が伸びていく様子がよくわかるだろう。さらに姿勢が変わるごとに、脚の位置を変えるたびに、尻に刻まれる皺が刻々と変わる。実に繊細で、エレガントな描写であることがわかる。
もちろん主人公が歩いている時でも、尻の皺は刻々と魅惑的に変化している。しかし歩きながらカメラをクローズアップできないので、ゲームプレイ中じっくり尻を鑑賞できないことが残念だ。
ただし別の美点も存在する。このゲームはカメラをこのように真下まで回り込ませるころができる。よくあるゲームでは主人公のフォルムがよく見えない、カメラが寄ると姿が消えてしまうということがよくあるのだが、このゲームはちゃんと鑑賞させてくれる。
ゲームプレイ中、「……ああ、女の子の股間が見たいなぁ」とふわっと思った時、どんな時でもカメラを股間下に持っていくことができる。そしてしばらく股間を鑑賞してゲームへのモチベーションを取り戻し、さあ進もうという気持ちにさせてくれる。プレイヤーに活力を与えてくれる良い仕組みだ。
尻ばかり取り上げるのは公平ではない。オッパイについても取り上げよう。
ネウロン隊オッパイ担当、マリー・ウェンス。B92W59H78となっている。
……んー、気持ちはわからないこともないのだが、乳揺れを大きくしすぎているのがちと引っ掛かる。この描写だと、無重力感が出てしまっている。もう少しオッパイの動きに重さが欲しい。
このゲームにはアンダーサイズの表記がない。仮定として、アンダーサイズをウエストの+10ということにすると(実際は千差万別なので、かなりいい加減な仮定)、トップとの差は29センチ。Hカップ相当ということになる。ふむふむ。味わい深い。
ところでアイリスを起動しながらネウロン内をウロウロしていたところ、気になるものを発見した。
ケイト・ワトソン。163センチB91W64H83。おおっとすぐ近くにマリーと並ぶ隠れ巨乳がいた!
ただしアンダーが74であると仮定すると、トップとの差は17。Dカップ相当だ。でもなかなか味わい深い。
医療担当ブレンダ・モレノ。
B90W63H87。こちらもDカップ相当。ネウロン隊員たちはなかなか逸材が揃っているようだ。実に探索しがいがあり、そして心地よい鑑賞体験をもたらしてくれる。こんな部署があるなら、精一杯頑張って隊員になろうという気持ちになれるはずだ。
私はもっとしっかり探索すべきだ、と感じて、アイリスを起動したままあちこち散策してみたのだが、すぐに「おや?」と気づくことがあった。というのもこの世界観、おデブさんが一人も見当たらない。少し太めの人はいるが、充分健康的な範囲内だ。
これはどういうことだろう? 未来の世界では現代よりも食習慣がよくなっているということだろうか。それとも脂肪を効率よく燃焼させる方法が発見されているということなのだろうか。何かしら表面には見えない設定があるように感じられた。これは作り手にぜひ尋ねてみたいところだ。
調べてみると、みんなスタイルがよく、Eカップ、Fカップ相当が結構な数でいることがわかった。
ゲーム中に出てくる女性キャラクターのキャプションは大量に作ったので、平均データを作ることは可能だが……面倒なのでやめておく。仕事があるのでその余裕がない。
ゲームについて
さてゲームについてだ……ゲームの話をしますよ! 尻とオッパイの話は終わりです! メインイベントが終了してテンションだだ下がりだと思うが、ついてきてもらおう。
ゲームの操作方法を雑に説明すると、ZLでレギオンを突撃させ、ZRで攻撃、あとAボタンとBボタンとちらちら使う――だいたいこれで全部だ。実は主人公だけだとできることは非常に少ない。ジャンプすらできない。主人公のみでできることはかなり絞り込まれている。
ここに多様さを与えているのが6体のレギオンたち。レギオンはそれぞれで違う特性を持っていて、レギオンによるアクションも変わるし、アドベンチャーパートでもレギオンの特性を活かした謎解きがたくさん出てくる。レギオンを6種取り込むことで多様性を作り出し、一方で複雑さを避けるため、操作系は合理的に削ぎ落されている。この選択が、『アストラルチェイン』特有の遊び方を作り出している。
で、ジャンプ問題だが、主人公はジャンプができない。その代わりに、レギオンに行きたい地点まで行ってもらい、引っ張ってもらうという手法を取る。
この方法でも「上の段」へはいけないルールとなっている。プレイヤーは同じラインを水平に飛ぶか、あるいは「落下する」しかできない(落下する、も隠し要素を見つけ出すのには重要なアクション)。
これも案外独特なポイントで、視点を上げれば気になるものが見えるけど、行けないぞ……というもどかしさと、あちこち回ってやっと行けたぞという瞬間に来るスッキリ感に、解放感がある。マップの作りも明らかにそれを込みとしていて、ギミックが作り込まれているのが良い。
『アストラルチェイン』はアクションパートばかりではなく、結構アドベンチャーパートが多い。 実は私はどちらかといえばアドベンチャーパートがお気に入りで、街の中を探索してミッションがないか探し回るのが楽しかった。
このアドベンチャーパートでも謎解きに6つのレギオンが役に立つ。主人公自身でできることは少ないのだが、6つのレギオンがゲームを彩りよくしてくれている。
異界に入っていくとアクションパート……と思いきや、ここでこそむしろ謎解きが多くなる。どちらかといえばちょっとしたゼルダ感のあるギミックの判じ解き、隠し通路の発見や隠されたアイテムと探す楽しみがある。
マップパターンについてだが、実は使いまわしが多い。しかし舞台となっているのは小さな町で、大きな繁華街といえばハーモニースクエアだけだったりするが、そもそも小さな島が舞台と最初から提示されているのであまり気にならない。
様々なギミックひしめく異界はどこも同じ素材に同じ背景だが、手抜き感はしない。設定上そういうものだ、という提示があらかじめあるからだ。
ゲーム作りのスケールは予算で決まる。予算感でスケールを考えると、かなり割のいい作りをしているといえる。
ゲーム部分について引っ掛かったところといえば、まずレギオン操作だ。ほとんどがZLで簡単に動かすことができるのだが、アクションの最中、これを自在に動かすのはかなり難しかった。レギオンと同時に主人公も動かさなくてはならない局面は一杯あったが、レギオンを動かすとどうしても主人公が止まってしまうし、主人公を動かそうとするとレギオンが止まってしまう。両方を同時に動かそうとすると、操作がぐちゃぐちゃになる。
鎖につながれたもう一体を操作することがこのゲームの特色だが、現実問題この2つを同時に動かすことは並みのプレイヤーにはかなりハードルが高かった。
(でもゲームが終わるころにはわりとできるようになっていた。苦労したな……)
もう一つの問題点は視点。
レギオンを使ってジャンプするのがこのゲームの特徴なのだが、レギオンを操作するとき、カメラが主人公の目高に近づいてしまう。レギオンの着地点が非常に見づらい。レギオン操作時はもう少しカメラは上、場合に応じてカメラを遠ざけてほしかった。
視点の問題はバトル中にも起きる。というのも、自分が攻撃している相手が頻繁にカメラの外になることが多かった。これは「注目」でフレーム内に入れる方法があるのだが、アクションの操作中、すぐに注目が外れてしまう。それでフレームの外の敵に向かって何となく攻撃している、という感じになってしまう。
これは『アストラルチェイン』に限った話でもないが、敵に壁際まで追い詰められてしまうと、カメラが奇妙な方向を向いてしまい、主人公がどういった状況になっているかわからなくなってしまうことがある。私はこれでなんだかわからないうちに炎に巻き込まれて、ゲームオーバーを取られてしまったことがあった。
3Dゲームによく起こりがちなカメラワーク問題だが、何か解決法はないものだろうか。
ビーストレギオンに乗って駆け抜ける場面がいくつかあったが、この時もカメラの視点が低くなる。さらにあらぬ方向へとカメラが回り込もうとする。多分、ビーストレギオンに乗っている姿を格好よくしようという演出的な狙いだと思うが、余計だ。ビーストレギオンで駆け抜けねばならないシーンというのはたいだいが足場が不安定な局面が多く、このカメラが動いてしまうことが原因で落下事故が起きやすかった。痛快なはずがかえってストレスを貯める原因となっていた。
アローレギオンの射撃。これ、ジャイロによるエイムをメインにしてほしかったなぁ……。
『Splatoon』が出て以降、スティックでカーソルを合わせるのが億劫になってしまって……。昔はそれが当たり前だったのだけど、より便利なものが出ちゃうとどうにもね。以前はパッドでエイムを合わせて撃つ、これ私うまかったんだよ。下手になっちゃったな……。
ストーリーについて
ストーリーや演出についての話をしよう。
最初に「このゲームに80年代や90年代アニメの香りがする」というふうに書いたのだけど、進めていくうちにそれは違うな……と感じるようになった。
もしも『アストラルチェイン』をアニメ化や映画化したらどうなるだろうか。確実に言ってつまんない作品になる。というのも、『アストラルチェイン』のストーリーそのものは平凡のボンボン。ドラマそのものには魅力はない。
まずオープニング冒頭からもう黒幕が誰なのかわかってしまう。いかにもな黒幕然としたオジサマが出てきて、きっと黒幕なんだろうなぁと期待裏切らず黒幕。
物語途上、かませ犬として登場してくるマッドサイエンティストのジェナおばさまは、いかにもな噛ませ犬で、悪役としては2流。というかこのおばちゃん、何がしたいのかよくわからない。テロを起こしたいのか、人類を救う何かをしたいのか。途中、電波ジャックして演説みたいなものを始めるが、意味深な言葉ばかりで具体性がない。ここではっきりと告発すればいいのに、それをやらない。ヨゼフおじさんの目論見が何なのか、それに対して自分が何をしたいのか、公開ディベードでもやって自分の正当性を主張すれば、味方に付く人も増えただろうに。
というかジェナおばさま、ボロボロの白衣着て徘徊していたらしいが、いったいどうやって生活していたのだろうか。謎が多い。
(ところでそこそこの年齢であるはずのジェナおばさま。しかしなかなかの美貌だし、なかなかのプロポーション。どうにかしてスリーサイズを確認したかったのだが、アイリスを起動すると表示されるのは体力……ジェナおばさまの謎が一つ増えてしまった)
物語は中盤、廃棄されたスラム伍番街へ向かうことになる。この物語の世界観には、こんな世界もある。富裕層と貧困層と2分されていることを示す一場面だが、これが物語の奥行きを広げる後半の展開に対して、特に貢献はしていない。ただ寄り道をしただけだ。
疑問なのが“優男”ことダグラスだが、あんな辺境伍番街のさらなる僻地にいて、どうして生存できたのだろうか? 不自然に感じる部分は多い。
このエピソードの最後で、ダグラスはジェナおばさまにアタッシュケースを奪われる。これがこの寄り道唯一の意義のあった場面だが……というかジェナおばさん、あの薬自分で発明したものじゃなかったんかい!
とこのように、『アストラルチェイン』のシナリオは一直線の一本道で、意外性もなければ捻りもない。どころか突っ込みどころだらけだ。これを映像作品にすればドラマガタガタの奇妙で薄っぺらいSFアニメになってしまうだろう。特に意味のない脇道は、マイナスポイントになる。映像作品でこのシナリオをやると、「なんの意味があったんだ、あのシーン?」みたいになる。
でもゲームとして『アストラルチェイン』と接したとき、なかなか楽しい体験だった。何がアニメとゲームが違うのかな……と考えたときに出てくるのは、ゲーム表現の成熟。「表現の成熟」という言葉はエポックな名作に使うべきだと思われがちだが、しかしこういう傍流の作品こそが「表現の成熟」の恩恵が得られる(“おこぼれ”という言い方もできるが)。
例えば第1話、高速道路が2つに折れて車やらトラックが滑り落ちてくるシーン。ムービーではなく、ここもプレイフィールドだ。プレイヤーにぎりぎりまで行動する機会を与えて、最後にムービーに入る。この展開の良さ。
中盤、巨大なホムンクルスが孵化し、街の中をのすのすと歩き回る。カメラの動きは持っていかれるが、この時キャラクターを動かすことができて、しかもアローレギオンでダメージを与えることができる(ただしこれでボス戦が有利になることはなく、クリアボーナスが得られるだけだった)。
後半には少しQTEのようなものが入る。ある行動を止めさせるためにL+Rを連打するのだが、後で確認すると、押さなくても展開は変わらなかった。しかしこの場面で連打させること、それだけでプレイヤーの気持ちがただのムービーを見ているだけの立場ではなく“気持ち”を介在させることができる。ムービーが始まったから“鑑賞モード”という気分にはさせない。ぎりぎりまでプレイフィールドであるということを維持してくれている。
と、いうゲーム的表現は別に『アストラルチェイン』特有のものではなく、最近のゲームではわりと普通のことだ。だから「表現の成熟」というのは「一部の名作」だけだはなく、その周辺の様々な傍系作品にも恩恵を与えるというわけだ。
で、こういう今時なゲーム表現がコントローラーを握っている間、ずっとそのゲームの世界観の中にいられて、そこで展開している祭りに参加しているような気持ちにさせてくれる。物語上の小さな矛盾点や欠陥なんてものはどーでもよくなる。目の前で起きている事件を前に、IQをがっつり下げて乗っかりたくなる。このゲームはそのための、とにかくカッコいいエクスストリームを提供してくれる。
映像作品はそういうところがあって、例えば名作『AKIRA』はストーリーそのものは何が起きているのかよくわからないが、目の前で起きている超展開と超作画にただただ唖然とし、作中で起きている祭りに参加したくなる。
90年代頃のアニメまでは、こういった「こまけーことはいいから」でただただ凄い作画で圧倒するような作品はたくさんあったように思える。これも2000年以降の「燃え」から「萌え」への転換があって、すっかり様変わりしてしまった。今でも「燃え」の方を取り戻そうとする作品はあるが、見ているとうまくいっているようには見えない。
現代はしらけ世代のその向こう側の「無」の時代に突入し、何もかもが冷笑に置き換えられてしまう。「情熱」という言葉すら忌避され、「中二病」と失笑されてしまう。あるのは「萌え」だけ。かわいい女の子と自分という関係性のみが今時の若者の内面テーマであり、大きなコンプレクスとなっている(アニメや漫画とは人々の影絵だ)。作り手自身もどこか自分で作ろうとしているものを信じ切れていない。客観視し、自分で冷笑している。本気になり切れていない。こんな時代でも前時代的な情熱を打ち出してうまくいっているのはTRIGGER作品くらいなものだろう。
このあたりが『アストラルチェイン』をアニメ化してもうまくいかないだろうと思う理由で、『アストラルチェイン』は現代のゲームだからこそ、かつてのアニメが持っているような熱気がこもっていたし、そしておそらくは作り手自身の「全力で弾けたい!!!!」という思いが恥ずかしげもなく作品に込められていたから。私はきっとそのソウルに圧倒されたのだ。
そういう理由で『アストラルチェイン』はゲームだからこそ得られるカタルシスがあり、この感慨はもはやゲーム以外のメディアでは得ることはできないのだと思う。アニメや映画に失われたものがここにはある。それはゲーム表現がアニメや映画の表現より、さらにその向こう側へ行きかけているからなのだろう。
こぼれ話
どっかに挿入するつもりで用意していたけど、なんとなく外れちゃったお話をここで色々します。
ゲームのシナリオ作法には2種類がある。すなわち「主人公が喋るゲーム」と「主人公が喋らないゲーム」だ。『アストラルチェイン』は「主人公が喋らない」ほうのゲームだ。喋るのは双子の片割れだけになり、プレイヤーキャラクターは息芝居だけになる。
感情表現やドラマは双子の片割れが、あるいはその時そばにいる誰かが代弁してくれる仕組みになっているのだが……やはり安済知佳さんの芝居も聞きたかった。聞きたかったが、こんな魅力的な「尻」がそこにあるのに、それを差し置いてプレイヤーキャラを男にして再プレイしようという気にはなれない!
男主人公にしてでのリプレイは、また気が向いたら……だな。
主人公双子の義父、マクシミリアン。
……ってオイ。今どきこんな風貌をした男がいるか! これはファンタジー世界のキャラだよ。
でもなんとなく成立しちゃって見えるのは、デザインの良さがあるから。
素敵オジサマのジン・ウォン。格好いい。お気に入りキャラ。
黒幕感モロ出しのヨゼフ。街に出たら10メートルごとに職質されそうな黒幕オーラを放っている。演じているのが土師孝也と、これでも黒幕じゃなかったらどうしようかというくらいの黒幕。
主人公の私服。
私はなかなかいいと思うのだが……。知らん男が選んだもの、というのが嫌だったのだろうか。
私はけっこう気に入って、衣装チェンジでしばらくこの格好を楽しんでいた。
あともう少し……もう少しなんだ!!
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