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9月25日 デューンの予告編を見ながら、映画って変わったね……としみじみ

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督(何度聞いても名前を覚えられない)があの難題作『DUNE/デューン 砂の惑星』を撮るようです。
 予告編はこちら。

映画『DUNE/デューン 砂の惑星』予告編

 こうして見ると、40年の間に映画の技術ってめちゃくちゃに上がったんだな……。
 何を言っているのかピンとこない人は、1984年版『砂の惑星』の予告編を見てください。

砂の惑星 (1984) 予告編

 もうまるっきりの別映画でしょ? 同じ映画の予告編だとは思えないくらい。同じ原作の映像化でも、技術や作り手のセンス次第でここまで違うものになる……というお手本みたいな映画。
 1984年版デヴィッド・リンチ監督の『砂の惑星』はすいぶん昔に見たのだけど、まあ……つまらない映画で……。当時可能な技術で精一杯がんばっているのはわかるけれども、でも映像作品として成立していない。単純にいってどのシーンもショボい。いかにも「作り物」という感じで、見続けてみてもその世界観に入っていけない。「CGを使えば何でも表現できる!昔の映画のほうが迫力があった!」という擁護もあるかも知れないけど、それでも擁護しきれないレベルのダメ映画。物語のほうも何についてお話をしているのか、ずっと見ていてもぜんぜんピンと来なくて……。なんだかわからないうちにお話が進んで、最終的には戦争になるのだけど、どうしてそうなったのかまったくわからなくて、しかも戦闘シーンの映像がまたショボくて……。

 改めて2本の予告編を比較しながら、イメージを実現するためにどんな技術が必要なのか、ということを考えてしまう。
 「見せ方を工夫すればどんなものだって表現できる」とはよくいうけど、それは「そういう見せ方しかできない」ということで、表現すべきものをきちんと表現したとは言えない。よくあるものや通俗的なものに落とし込んだだけ。大きなものをきちんと表現しようと思ったら、技術は絶対に必要。特に『デューン』のような世界観を表現する場合には。
 また物語の見せ方・語り方も考えなくてはならない。1984年版『デューン』はまずいってお話がどこに進んでいるのか見ていてもぜんぜんわからなかった。見る側に何を見て欲しいのか、その整理ができていないまま映画を作っちゃったから、よくわからない映画になっていた。

 わかりやすい比較として、『デューン』からインスピレーションを得て制作された『スターウォーズ』という映画がある(『デューン』に『スターウォーズ』に出てきたメカとそっくりなメカが登場してくるが、元ネタは『デューン』のほうだ)。こちらは超わかりやすい。一人の若者のがフォースという特別な力を得て、悪い軍団と戦うというストーリーだ。本当は『スターウォーズ』も深く分け入っていくと複雑で奥深いストーリーや裏設定が山ほどあるのだけど、映画を見て楽しむぶんにはそういうのは知らなくてもいいようにできている。作り手側の「ここだけを見ればいい」という配慮があり、それ以外の枝葉はざっくり刈り込んでいるから見やすい作品になっている。
 物語設計のほうは脚本家の腕前次第だけど、やはりどんな「物語が描けるのか?」「それできちんと伝わるのか」は技術に依存する。『デューン』のような映画の場合、この両輪がうまく噛み合っていなければならない。
 2020年版『デューン』はどんなふうに物語が整理され、表現されているのか……。ここはどちらかといえばちょっと心配なところで。もともとの『デューン』が複雑なストーリーだからどう扱えばエンターテインメント作品としてスッキリ見られる作品になるのか、私にもよくわからない。

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は『メッセージ』『ブレードランナー2049』と取り扱いづらいSFを2本を撮って、批評的興行的にも成功させている監督だ。こういう作品をエンターテインメント映画として成立させヒットさせられる(要するに「甘口」にする)って相当すごいことだよ。凡才が『メッセージ』なんぞ撮ったら、むやみに複雑で見づらい作品になり、エンターテインメントにならないから。この上に『デューン』も成功させられたら、いよいよドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はスゲー監督ってことになる。
 果たして『デューン』は成功するのか……。


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