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ドラマ感想 なつぞら

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 全体的に薄味だったな……。

 珍しくNHK朝の連続テレビ小説を見ていた。タイトルは『なつぞら』。描かれるのは『白蛇伝』(作中では『白蛇姫』)から始まる日本のアニメ黎明期。後発としてスタートした日本のアニメがいかにして発展したか。様々な技術が開発され、様々な表現の模索があり、それらを一つ一つ編み出していった人たちにどんなドラマがあったのか――。時にアニメは「ジャパニメーション(※)」と揶揄されつつも、いかにして世界のトップに、世界から支持される存在まで上り詰めたのか。その最初の一歩とも言える時代が描かれる。

 ※わりと勘違いしている人が多いが、「ジャパニメーション」は蔑称。低質な日本のアニメを揶揄するときに使われていた言葉。現在では「ジャパニメーション」という言葉は日本のメディアでしか使われていない。世界的にも日本のアニメは「anime」と呼ばれている。
 と、これだけの説明だと別の意味で勘違いされそうなのでさらに補足すると、日本のアニメがアメリカで放送されるとき、様々な変更……いやいっそ魔改造というくらいの改変が施されていた。『宇宙戦艦ヤマト』は悪い宇宙人をやっつける宇宙パトロールの話になっていたし、『超時空要塞マクロス』は『マクロス』と『超時空騎士サザンクロス』と『機甲創世記モスピーダ』が合体して『ロボテック』という別物アニメになっていたし、『機動戦士ガンダム』ではアムロは宇宙から来たロボトン・インベーダー軍団と戦う設定に変わっていた。
 これら改変されたバージョンがつまらなく、「ジャパニメーション」と呼ばれていた(『ロボテック』だけはヒットしたが)。現在ではアメリカのアニメファンも、「改変されていた」過去の歴史を知っている。

 ドラマが始まって前半は、まあまあ胸躍るものだった。この時代を代表する大スターが次々と顔を出してくる。
 といっても実在人物がそのまま出てくるのではなく、様々なアレンジが施されている。それを一覧にすると……。

 奥原なつ → 奥山玲子
 酒場一久 → 高畑勲
 神地航也 → 宮崎駿
 下山克己 → 大塚康生
 森田桃代 → 保田道世
 大沢麻子 → 中村和子

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 近い将来、学校の強化にも載るであろう、偉大な先人たちであり、我が国を代表するアーティストたちだ。日本人なら誰もが知っているような伝説的な人をモデルにドラマを描くなんて、なんて大胆な挑戦だろう(この中でなら、かろうじて大塚康生さんとは会ったことがある)。

 ……と、最初の頃は思っていた。

 始まってみると、アニメの現場話が思ったほど出てこない。メインのストーリーはどちらかといえば主人公なつの恋愛が主軸で、そのなつの現状が少しずつ作品に影響を与えていくという構図になっている。なつの日常が主で、アニメの仕事が従の関係になっている。

 このなつの日常に割く時間が非常に多く、いや多すぎで、このドラマだけを見ると「あら、アニメーターって結構優雅なお仕事なのね」みたいに感じられる。それくらいに、アニメの仕事がほとんど描かれない。わりとプライベートな時間がある仕事のように見えてしまう。
 当時のアニメ業界には、本当に“いろいろ”あったと聞いている。労働組合を作って闘争があったとか(坂場が組合に入っているという設定だけは残っていたが、具体的な描写はなかった)、東映内で独立して『太陽の王子ホルス』を作った話とか……。
 もちろん史実通りに作品を作るべきだとは言わないが、描かれているものがあまりにも薄味すぎて、残念な気持ちになる。
 後半はなつの出産のお話になるが、出産後の預け先問題とか、どこか現代的なエピソード。当時のお話という感じがしない。私としては、そっちの話よりも、アニメの現場の話を見たかった。出産や育児の話はどうにも退屈なので、早送りしたくなる。

 これと比較できる作品と言えば水島努監督『SIROBAKO』だと思うが、こちらは登場人物のプライベートなんてあってないようなものだった。家に帰っても何もない。一晩寝たらすぐに現場へ。その一方で、フリーのアニメーターは自宅を趣味のもので固めている……。この描写にはリアリティを感じていた。
 このあたり、アニメの現場にいる人がアニメの業界を描いたからこそだろう。こうしたリアリティは『SIROBAKO』のほうに軍配が上がる。

 あの時代の話としてよく聞くのは、何日も家に帰らず、机の下で少し眠り、日が昇ったらまた働きだす……。現場に寝袋を持ち込むアニメーターもいた。
 いま時代に聞くとただのブラック労働にしか聞こえないが、アニメーション制作の体制は長らく未成熟で、現場はかなり無理を重ねて、なんとか放送に間に合わせていた。それにブラックかどうか、という言葉では言い表せない、この時代ならではの「情念」があり、誰もがその情念に突き動かされてアニメ制作に向き合っていた。アニメに携わる人たちは、全てをアニメに捧げていた。
 『なつぞら』には残念ながら、そういう一面はまったく見えてこなかった。アニメの話……かな? という感じのドラマだった。

 でも、よくよく考えたら『なつぞら』の視聴者層を考えると、この内容の方が妥当なのかもしれない。『なつぞら』の放送時間を考えると、主婦をはじめとするファミリー層が見ていると予想されるから、味付けが薄めになっているのは当然かもしれない。
 『なつぞら』は私たち向けの作品じゃなかった。ファミリー向け作品だと思えば、まあこんなものだろう。

 とはいえ、ドラマの脚本作りには少し疑問がある。
 時々、なつが作品に対して「こうじゃありませんか」と提案するのだが、周りがことごとく「それ、いいね!」と肯定してしまう。しかも大袈裟に。この作りの何がまずいかといえば、周りの人間が馬鹿に見える。なつが提案する内容にしても、別に大したアイデアというわけではない。第一線で活躍するプロが思いついていないはずがない。クリエイティブな現場ではたくさんのアイデアが大量に飛び交っているので、ちょっと良いアイデアが出てきても「お、それいいね。じゃあそれでいこうか」くらいの感情で、さらっと次の話題に移るだけだ(制作が終わるころには、あのシーンのアイデアが誰のものかわからなくなる……よくあることだ)。この作品のように異様に感情的になって「それ……いいね!!」みたいな反応をすると、あまりにも白々しい。わざとらしい芝居に見えてくる。なつをヒーローにするために、周りのレベルを下げすぎているように見える。

 ドラマの終盤、集めた動画を水たまりの中に落とす……というトラブルが描かれるが、場に緊張感を作るためのシチュエーションに過ぎない、という感じがして感心がしない。脚本家の意図が見えすぎて、わざとらしい。

 弱体化したキャラクターと言えば、神地航也(=宮崎駿)だ。
 登場したはじめのころは、新人なのに上から目線で企画に口を出す(宮崎駿はそういう人です)。ベテラン並みに原画が描けるし、絵コンテも描ける。坂場一久(=高畑勲)とコンビとなる姿も描かれ、後の2代巨匠を予感される構図があり、胸躍った。この瞬間は。
 が、神っちにまつわる描写はここまでだった。その後の神っちはなんとなく登場シーンも減り、ほぼ背景キャラ。本当なら『神を掴んだ少年クリフ(=太陽の王子ホルスの大冒険)』は神っちが大活躍するべき作品だった。なにしろ高畑×宮崎コンビの第1回作品。でも功績のほとんどがなつのものになってしまったし、『~クリフ』自体、あまり深く掘り下げられることもなく、さらっと終わってしまった。

 作中、最後の作品となった『大草原の少女ソラ』こと『アルプスの少女ハイジ』もやはり高畑×宮崎作品の代表的な1作だ。この作品で高畑勲は「レイアウト法」を編み出し、宮崎駿が全カットのレイアウトを描き上げるという、「宮崎無双」ともいえる八面六臂の活躍をしてみせるはずだった。が、このあたりの描写も特になく。レイアウト法すら紹介されず。

 なつとともに上京してきた雪次郎君は新しい演技表現だった声優への道に入っていく。でも雪次郎君の声優としての期間は短く、あっという間に北海道へ帰ってしまう。
 あんたは何しに出てきたんだ……。
 最初の頃は初期の声優業界の事情が描かれていて、これが結構楽しかったのだが、雪次郎君が帰ってしまったことで声優業界について以降、ほとんど掘り下げられず。
 声優業界をしっかり描き込むためにも、雪次郎君には残留していてほしかった。

 カップリングをシャッフルした意図はなんだったのだろう。奥原×坂場はともに主人公だからの組み合わせかも知れないが、他はどんな意図があって設定したのかよくわからなかった。
 が、最後に神っちと桃代のカップリングができたところだけは面白かった。現実に考えると宮崎×保田の組み合わせだ。共に「戦友」と呼び合う深く長い付き合い。宮崎駿にしてみれば、本当の奥さんよりも顔合わせている人だ。そういう未来もあったかも……とちらっと思ってしまった。

 それで、時代考証はというと、こちらはわりとしっかりしていて、当時実際に作られたアニメをモデルにした、それっぽい作品が描かれる。

 わんぱく牛若丸 → わんぱく王子と大蛇退治
 百獣の王子サム → オオカミ少年ケン
 神を掴んだ少年クリフ → 太陽の王子ホルスの大冒険
 魔法少女アニー → 魔法少女サリー
 キックジャガー → タイガーマスク
 魔界の番長 → デビルマン
 3代目カポネ → ルパン三世

 その作品がドラマ中にも少し流れるし、ポスターや資料も出てくるが、これがわりとしっかり作られている。こんなにしっかり作られているのに、ドラマ中で軽くしか流れないのが残念。もったいない。

 最初の頃はずいぶん期待して見始めたのだけど、お話が進むごとに次第に残念なポイントが目立ってきて……。とにかくも味付けが薄すぎ。薄すぎて何も見えてこないドラマだった。
 一方で濃密すぎるのが北海道の描写。存在感ありすぎる泰樹じいさん。どうもこちらの描写が立ちすぎて、アニメ現場の仕事や人間の描写が薄味になってしまったように感じられる。もういっそ、北海道のパートだけでよかったというくらい。
 でも朝の時間帯のドラマとしてはこれが正解だったのかな……。これが深夜ドラマだったら、とことん深堀した作品になっていたかもしれない。NHKの朝ドラにあれもこれもを求めるのも良くないが。
 いつか同じテーマのドラマ(東映初期時代の業界話)を深夜ドラマとして……いや、今時代、民法にそんな力どこにもないか。あり得るとしたらNetflix。Netflixオリジナルドラマで濃ゆい作品を作っていただきたい。


余談

 『なつぞら』は第1の舞台が北海道だから、北海道の映像がよく出てくる。しかし、この映像がなぜか嘘くさく見えてしまった。
 嘘くさく見えてしまう理由はシンプルで近景→遠景だから。中景がない。いきなり近景から遠景にジャンプしてしまう。
 しかもその遠景というのがはるか彼方。ド遠景だから、近景と空気感が違いすぎて、両方を描写しようとすると近景の役者たちが合成に見えてしまう。
 北海道の雄大な自然を見せるはずのシーンなのに、どうしたものかな……。
 と、こう考えてふと気づいたが、中景がない風景の居心地の悪さ。やっぱり日本は狭い面積の中で生活しがちというのもあって、中景くらいのもので視野を覆われている状態じゃないと、少し不安定な気持ちになる。多分、日本出身のイラストレーターって、近景、中景までをがっつり作り込んじゃうんじゃないかな。可住面積が狭い世界で過ごしてきた民族だから、そういう傾向あるかも知れない。


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