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ドキュメンタリー感想 食品産業に潜む腐敗

 前にもちらっと話したけれども、少し前からちょっとした隙間時間に少しずつNetflixドキュメンタリーを見ている。だいたい1日10分前後とかそういう短い時間だけど、それでも毎日見ているものだから、視聴している本数もそれなりになってきた。Netflixドキュメンタリーにもなかなか面白いものが多いこともわかってきて、そのうちの何本かを紹介しようと……それで今回ブログに取り上げることにした、というわけだ。
 という経緯で今回紹介するのはこちらのドキュメンタリー。『食品産業に潜む腐敗』――そのうちの1本である、「アボガド戦争」をピックアップしよう。

 アボカドはメキシコ原産の食品で、最初から人気の食材というわけではなかった。
 1980年頃、アメリカでダイエットブームが起き、その頃には「アボカドは脂肪分が多いからダイエットには良くない」と言われていた。アボカドのイメージを守るために、カリフォルニア・アボカド委員会なるものが設立され、アボカドは良質な栄養を大量に含む食品であると宣伝を打った。これが次なる健康ブームの波に乗れて、大ヒット食品となり、現在まで続く食卓の定番食品にまでなった。

 そのアボカドを生産しているのはカリフォルニア州だ。カリフォルニア州で実に95%のアボカドが生産されている。なぜならそこに最適な気候があるからだ。
 アボカドはもともと南米であるところのメキシコ原産の食品で、栽培には22度の適温と湿気が必要だ。もしも気温が氷点下を下回ると、たった4時間で全滅してしまう。これに適した気候があるのがカリフォルニアだったわけだ。
 1980年代、アボカドはカリウム、食物繊維、一過不飽和脂肪酸などを含む食材として注目され、健康ブームの最先端食品となった。そのブームに乗って、カリフォルニアのアボカド栽培面積は1970年から85年の間で4倍となり、生産高は2500万ドルから約1.6億ドルにまで上がった。

 アボカド農家の天下がいつまでも続く……ように思えた。
 1993年、米国、カナダ、メキシコを含む北米自由貿易協定(NAFTA)が締結される。これによって、貿易障害が取り払われ、外国の食品がいくらでも入り放題となった。
 これに打撃を受けたのがカリフォルニアのアボカド農家達だ。海外の農産物が入ってきて、米国アボカド産業は活性化する一方で、アボカド農家は低迷していく。特にメキシコ産アボカドの勢いは凄まじく、米国アボカドはある季節しか手に入らないが、メキシコ産アボカドなら一年中買える。現在では米国に100万トンのアボカドが消費されているが、そのうちカリフォルニア産は13万トン。残りは全部メキシコ産になってしまった。

食品産業に潜む腐敗 (2)

 ではアメリカという得意先を手に入れて、メキシコはアボカド輸出で幸福になったのか?  そうはならなかった。
 1990年代、NAFTAによってアボカド農家は莫大な利益を手にするようになった。そこに目を付けたのが、メキシコの犯罪組織だった。
 1990年代のメキシコは、麻薬カルテルを崩壊寸前まで追い詰めていた。麻薬は警察が厳しく目を光らせているから、手に入れるのも取引するのも難しい。そこでアボカドだ。

 90年代頃の麻薬カルテルは一般市民には手を出さない……というのが一つの掟となっていた。しかしロス・セタスが現れたことによって一変する。
 ロス・セタスはもともとは犯罪組織ではなく、訓練を受けたエリート兵からなる傭兵集団だった。その傭兵集団を、麻薬カルテルが買収したのだ。軍隊の生活は厳しいうえに給料は安い。しかし麻薬カルテルは政府の10倍の金額を提示して、彼らを手駒にしたのだった。
 ロス・セタスはなんでもあり集団だった。暴行、恐喝、誘拐……。儲かるならなんでもやった。アボカド農家の何人もがロス・セタスによって誘拐され、暴力を受け、アボカドで得た利益を奪い取られてしまった。ロス・セタスと警察は裏で繋がっているので、誰にも頼ることはできない(どうやってロス・セタスが儲かっているアボカド農家を特定しているかというと、農産省に賄賂を送って、リストをもらっていた)。誘拐されて身代金を要求されたら、自分たちだけでお金を用意して支払わねばならなかった。これによって、多くのアボカド農家は、儲けたお金を犯罪組織に奪われてしまった。
 それで助かった人達はまだいいほうだ。なかには指や耳を切り落とされた人もいたし、帰らなかった人もいる。

 メキシコは何もしなかったわけではなく、目には目をで軍隊を動員して、麻薬カルテル撲滅に乗り出したし、市民達も銃を持って武装を始めた。メキシコでのアボカド栽培はまさしく命がけだった。
 そこまでの問題を起こしながら、どうしてメキシコはアボカド栽培を手放すことができないのか。それはアボカド栽培が国の経済自体を支えているからだ。国の産業として重要で、これを手放すことができない。手放したところで、アボカド栽培ほど利益をもたらしてくれる産業がない。それに別の産業に手を出したところで、大儲けしたらどっちにしろ犯罪組織がそこに目を付けてくるはず。
 誘拐され、身代金のかわりにアボカド農園自体を奪われた農家もいるのだが、その後またアボカド栽培を始めてしまう。誰にもどうにもならないのだ。

食品産業に潜む腐敗 (4)

 所変わってチリはメキシコに次ぐアボカド栽培の中心地だ。しかしこの国にもたらしたのは莫大の儲けと――水不足だった。
 チリでの水問題は、他の国と少し事情が違う。1970年代、チリのエコノミストはアメリカに渡り、シカゴ大学で自由主義のフリードマンとともに経済を学んだ。アメリカで自由経済の方法を学んだエコノミストがチリに戻り、法律を作り、当時のピノチェト大統領が認可を出した。これによって、1981年、水が民営化された。
 水道民営化よって、資金力のある投機家が水使用権を買い占めることとなった。このおかげでほとんどの人は水を手に入れることはできないが、アボカドは水を得ることができる……そんな状況が生まれてしまった。

 アボカドはチリ原産の作物ではない。しかしチリは地理的に孤立しているために、病害虫が少ない。このおかげでチリはアボカド栽培に適しているとされた。
 しかしアボカドは大量の水を吸い上げる農産物だ。大量に栽培すれば、そのぶん水を吸い上げる。でも投機家は(環境問題なんて知ったこっちゃないので)なりふり構わず水を買い占めて、アボカドに注いでしまう。するとどうなるか。チリの水がどんどん干上がっていく問題が発生した。
 チリのペトルカ県には2つの大きな川があった。ペトルカ川とリグア川だ。1997年にペトルカ川が完全に干上がってしまった。リグア川は2004年には規制が入り、使えなくなった。水道は投機家が買い占めているので、一般人は生活の水を自由に使えなくなってしまった。貴重な水が全部まるごとアボカドに注がれる……そんな状況が作られてしまった。

 それでもチリはアボカド栽培を手放すことができない。世界的に売れているからだ。チリ産アボカドはヨーロッパで第2位のシェアを誇る。中国でもアボカドブームの兆しが起きており、数年で輸出量が1000倍にまで膨れ上がった。目先の利益を前にして、手放すことができない……その呪われた食品こそ、アボカドであった。

感想

 「安く買える食品には裏がある」
 ……という話を象徴するような話だった。今回は「アボカド」がテーマだったが、ワイン、水道、砂糖、チョコレート……。経済問題、環境問題、奴隷労働……なんでもありが食品産業の裏側にある話だった。見終えてゲッソリするような、毒を飲まされたような気分になるドキュメンタリーだった。
 このドキュメンタリーは米国製で、基本的には米国を中心にしたお話ばかりだったが、日本も例外ではないはずだ。一年を通して安く買える、消費者にとって嬉しい! ……ではなく、なぜその食品が安く買えるのか。それを考えてみるいい機会にもなるだろう。

 さて、日本の食糧自給率はわずか38%だ。非常に少ない。
 他の国を見てみると、
カナダ 264%
オーストラリア 223%
アメリカ 130%
フランス 127%
ドイツ 95%
イギリス 63%
イタリア 60%
日本 38%
 と日本が極端に低いことがわかる。それだけ日本は、食べ物を海外に頼っている……という意味でもある。
 こうした状態になっていても、ほとんどの日本人が気にしないし無関心でいられるのは、江戸時代の参勤交代が絡んでくるのではないか……と私は推測しているが、この話は長くなりそうなのでさておくとしよう。
 海外を見てみると食糧自給率は非常に高い。それは「もしもの時」が想定しているからだ。もしも何かしらがあって不作となり、国民が飢えたら……その時のために食料だけは確保しておこう、という考え方があるからだ。そのために農家への待遇が手厚く、国によってはなかば公務員のように生活が保障されているともいう。

 ところが日本では食糧の問題はあまり語られることはない。「自分の国で作るより、海外の安い食品を買った方が得じゃない」……という考え方を「賢明」とすら思う傾向があるからだ。それじゃ、その関係相手国との国交が不安定になったらどうする? これはジョークではない。世界情勢はいつでもそうなる危機を抱えている。他の国は、そういう危機を想定して備えているから、食べ物だけは確保しておこう……と考えているわけだ。目先の損得だけでしか判断できないのが、現代日本人の危ないところだ。
 それに食に関するイニシアチブを海外に持って行かれていたら、そのぶん国際関係は不利な立場になる可能性すらある。目先の損得勘定のみを賢明と考える人々は、その想定までしてほしいものだ。
 「自由経済に任せて、競争すれば良い。競争に敗れたやつというのは、それまでだったというだけだ」という意見も聞いたことがある。一般的には、「国営化すると良くない。民営化すれば何もかも健全に運営され、サービスも良くなる」とよく言う。本当にそうだろうか。それによって国内産業が廃れていったらどうする? それも「自己責任だ」と言い捨てるか。チリの例では、水道を民営化したら大企業が水を買い占めて、一般市民が水を手に入れられない状況が生まれた。国内産業が廃れたところで、関係相手国との国交が危なくなったら、その食品自体が手に入らなくなるのに。その危険性を想定せず、無責任に「自己責任だ」なんて言っている場合ではないだろう(ブーメランで自分の所に返ってくるだけだ)。まず自国の産業、自国の労働環境は守る。これは最低限押さえないと、もしもの時のセーフティすらも失う危険がある。ドキュメンタリーは海外企業も受け入れた結果、国内産業が荒廃し、ブラック化する現状も語られていた。「自由」というのは、最低限のセーフティを作った上で語るべきだろう。
 「自国ファースト」というキーワードは「グローバリズム」の思想に反するから、何かと非難されやすいが、まず自国の暮らしを守るのは当たり前の話だ。でも日本はグローバリズムが重要視されるので、「自国ファースト」なんぞ口にすると異端視扱いされる。「まず自国を守る」……本来、これが基本であるはずなのだ。
 こうやって考えてみると、日本にも『食品産業に潜む腐敗』が隠れているのだろう。アメリカでの問題を、「対岸の火事」にしておくわけにはいかない。どこかで日本版『食品産業に潜む腐敗』を見てみたいものだ。

 こうした食の問題や食が絡んだ危機や飢餓の話をすると、どうしても日本人は「ギャグ」だと思う癖がある(実際、飢えをネタにしたギャグ漫画は一杯ある)。それは戦後以来、ほとんどの人が飢えたことがない、飽食の世界を生きてしまったからだ。「食べられるのが当たり前」の世界を生きてしまったからだ。食べられなかったらいくらでも捨ててもいい世界。でもよくよく確かめてみると、日本の食糧自給率はわずか38%。私たちはとんでもない薄氷の上でどうにか飽食という幻を作っているだけ。改めて、そういう自覚を持って考えてみるべきではないだろうか。

 それで、私自身、このドキュメンタリーを見て生活の何かが変わったか……というと何も変わらなかった。なぜなら私自身、日々食べることで精一杯だからだ。毎日の食費は300~400円程度。半額になっているものがあったら買う。目の前の食品がどうこうとこだわることすらもできない。味の良し悪しもどうこう言えないし、健康がどうこうとか気にすることもできない。自分自身が食べていくのにギリギリ。私のようなギリギリの生活をしている人には、食の問題は抱えきれないテーマなのだろう……。


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