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2月7日 宇宙時代の魔女の呪い 水星の魔女

 一周遅れでやっと13話まで視聴を終えたよ、『水星の魔女』。『機動戦士ガンダム』シリーズの「異伝」にあたる作品。これまでのガンダムと違い、改めて「ガンダムとはなにか?」という問いに目を向けた作品。

 まずはプロローグとなる第0話。この0話にいろんなものが凝縮されている。まずは0話がなんだったのかを掘り下げていこう。

 この時代ではガンダムはモビルスーツの中でも“特異”な位置づけにされている。ガンダムとはGUNDフォーマットを応用したモビルスーツのことを指している。GUNDフォーマットを応用したモビルスーツは圧倒的な機動力を持ち得るが、同時に搭乗者を“廃人”にしてしまう可能性がある。というのもGUNDフォーマットは搭乗者の身体内部まで侵食してくるシステムで、描写を見ると、どうやら“代謝”を無理矢理上げさせて、それで反射速度やら判断能力を高めている……というものらしい。

GUNDフォーマットによって廃人になった男性。特徴として皮膚表面に幾何学模様が現れる。

 この前提で面白いのは、「そもそもガンダムってなによ?」というシリーズ全体を貫く「?」に挑戦しているところ。結局のところ、ガンダムってなにをもってガンダムなのか? あのV字型アンテナを付ければなんでもガンダムなのか?(かつての時代では、どう見てもただの風車や、どう見てもマンモスといったものもV字アンテナを付けただけでガンダムと言い張っていたこともあった……) そしてなんでガンダムの搭乗者はことごとくニュータイプなのか? このあたりの疑問に正面から挑もうとした作品が本作。で、本作はGUNDフォーマット搭載型モビルスーツがガンダムですよ……と新たに定義した。外見の形ではなく、中身がどうなのか? ということに答えを出している。

 ではGUNDフォーマットとはなんなのか?

 作中の台詞にはこうある。
「GANDフォーマットは本来、宇宙環境で生じる身体機能障害の補助を目的とした医療技術です」
 人類が宇宙に出ると、猛烈な勢いで骨と筋肉が弱ってしまう。そこで実際に宇宙に出て活動をすることになるパイロットは、筋肉を衰えさせないようにワークアウトを欠かさずやらなくてはならなくなる。

『地球外少年少女』というアニメの主人公。宇宙で生まれたために骨と筋肉が弱っていて、車椅子で活動している。

 そもそも人類は地球で生活をすることを前提に身体が構築されている。無重力下に入ってしまうと、手はともかくとして“足”なんかは必要なくなってしまう。すると生物界の神はその環境に適応しようと、猛烈な勢いで人間の身体を破壊させにかかってきてしまう。宇宙空間において、人間が人間の形を維持すること自体がなかなか難しい……という葛藤があった。
 さらに宇宙世紀時代に入っていくと、宇宙空間で戦う必要が出てくる。人間が1万人以上集まるとなにかしらの理由で衝突は起きて戦争は始まるので、宇宙空間に適した形の武装をして戦う必要が出てきてしまう。アニメではモビルスーツに乗って鮮やかに宇宙空間を駆け回る姿が描かれているが、あんなふうにうまくいくわけがない。アニメでは表現としてモビルスーツの頭を画面の上、足を画面の下へ向けるように描かれるが、本来宇宙には“天地”なんてものはない。天地もない空間の中を鮮やかに動き回る……ということは実はできないはずなのだ。
 さらにモビルスーツというのはだいたい20メートル前後ある。リアルな身体感覚とまるっきり違う状態にさらされる。これを操作することも難しい。例えばガンダムのコクピットに乗って重力のある場所で1歩踏み出すと、その1歩ぶんの体重がパイロットにドスンとかかってくる。それだけで内臓にすごい衝撃がかかってくる。体重だけではなく、腕を動かす感覚、バランスを取るときの感覚(普通に歩くだけで“振り回される”ような感覚になる)……あらゆるものがリアルな人間と違う感覚が要求されてしまう。
 そうした地球上とはまるっきり違う世界に置かれた人間が、どうやって適応するのか。あるいは進化するのか。そこで宇宙時代の新人類として描かれてきたのが“ニュータイプ”だった。要するに第6感が際立っていくんだ……という。

「想像してみてください。非生物機構で動く18メートルもの巨大な体を無理矢理人体とリンクさせて制御させるんです。搭乗者の負荷は計り知れません」

 宇宙空間は人間の身体を猛烈に崩しにかかってきて、そのため機械で人間をアシストする必要が出てきた。それがGUNDフォーマット。


ママが腕を外しても、エリィは驚かない。こういう状態が日常的なものだということがわかる。

 ただしGUNDフォーマットは人間の神経やら脳波ともリンクさせてしまう技術。だからこそ遅延なくスムーズに動かせる。エリィのママが義手を自分の腕のようにコントロールできるのも、脳波との高度なリンクがあるから。
 これを戦闘という場面に持ち込むと、GUNDフォーマットは神経やら脳波ともリンクしていて、機械の方から一方的にパイロットの代謝を引き上げて、判断速度や反射速度を高めることができる。このおかげでものすごい機動力を発揮させられる。しかしこれをやり過ぎると脳がぶっ壊れる。

 『サイバーパンク:エッジランナーズ』でもあった描写だね。人体をサイボーグ化すればスーパーパワーを発揮させることができるのだけど、肝心の脳は人体がそんなふうに動くことを想定していない。身体を機械化させても、脳に「体に合わせろ」と命令を送ったところで脳がいきなり進化するわけはない。最後には脳がぶっ壊れる。

 システム側にも一応セーフティがあるらしく、「レイヤー33」というものまでやってくると、自動で引っ込むようになっている。
 この「レイヤー」とは人間の神経や意識の奥……ということだろう。神経の奥までシステムが入り込んじゃいから、皮膚にその症状が出てきてしまう。レイヤー33までGUNDフォーマットは入ってくるけど、“レイヤー33”で止まってしまう。そこから先は、“危ないゾーン”……もしかしたら“魂”とかそういう領域かも知れない。
 ところがこのレイヤー33を突破しちゃう子供が出てきてしまった。それがこの幼女エリィ。
 GUNDフォーマットを搭載しているのがガンダムであって、そのGUNDフォーマット認証を突破できる人間がガンダム搭乗者であって、その認証を突破できる人間がニュータイプである。だからガンダムパイロットはことごとくニュータイプなんだ……と(「ニュータイプ」とは明言してないけど)。この辺りがこの作品の最初に描かれた前提。
 ただ、どうやらGUNDフォーマット認証は“呪い”でもあって、おそらくこの時、エリィの“半身”はガンダムの中へ取り込まれてしまうことになる。この時持って行かれたエリィの半身は、どうやら幽霊のようにガンダム内に残存しているらしく……。
(ちょっと『エヴァンゲリオン』みたいな話でもある)

 ところが「モビルスーツ開発評議会」なるものが出てきて、ガンダムは技術そのものが封印されることになってしまう。

「私はこれまで、数多の戦場を経験し、一つの結論を得ました。兵器とは人を殺すためだけに存在するべきだと。一点の言い訳もなく、純粋に殺すための道具を手にすることで、人は罪を背負うのです。しかしヴァナディースとオックス・アースのモビルスーツは違う! 相手の命だけではなく、乗り手の命すらも奪う。これは道具ではなく、もはや呪いです。命を奪った罰は、機械ではなく人によって課されなければならない。人と人が命を奪い合うことこそ戦争という愚かしい行為における最低限の作法であるべきです!」
「自ら引き金を引き、奪った命の尊さとあがないきれない罪を背負う。戦争とは、人殺しとはそうでなければならない」

 戦争とは、人殺しとは、もっと泥臭いものでなくてはならない。人が人を殺す。罪悪感を背負う。刑罰を受ける。それが人殺しというもの。
 宇宙世紀時代にはモビルスーツというものが前面に出てきて、どこか人間と殺し合いをしているような感覚がない。でも「人間を殺している」という実感と自覚は絶対に必要なのだ。戦争は殺人が合法化される場面だが、人を殺したという罪は“呪い”として受けねばならぬ。
 しかしガンダムは乗り手の命を奪っちゃうし、ガンダムはガンビッドをコントロールして相手を殺せるので、“殺した実感”が希薄になってしまう。軍人としてガンダムのようなものは認められぬ!

 ……と、ここでは倫理の問題が問われている。
 人を殺しちゃダメという倫理じゃなくて、人を殺すんなら殺した罪を背負えっていう。人を殺す判断を機械に委ねちゃいかん。人殺しは人間同士が背負うもんじゃろ……という。

「地球というゆりかごで生まれた人類が宇宙へ出るにはこの体では脆弱すぎる。赤子が服を着るように、私たちはGUNDをまとうことで初めて宇宙に出て行ける」
「生け贄を擁する技術が詭弁だな」
「わかってないね。お前達が奪うのは、GUNDが救う未来だぞ!」

 一方のカルドばあばは宇宙時代に人類を適応させていくために、GUNDは絶対必要だぞ。これがむしろ人類を救うことになるんだぞ……。もしかしたらニュータイプを示唆した台詞だったのかな……という気もするけど。
 生物界の神は宇宙に出たら宇宙に適用させるために「人間の形」を破壊しにかかってくるので、いっそサイボーグ化したほうが人間の体を維持させられるのかもしれない。いや、サイボーグ化したら生身の人間じゃなくなるんだけど。

 こうしてガンダムは存在を封じられ、その技術を持った人々を「魔女」と呼ぶようになった。
 「魔女」とは中世以後のヨーロッパで、キリスト教に駆逐されていった土着宗教の伝道者たちのことを、揶揄を込めてつけられた名前だった。ガンダム技術は封印された技術なので、その技術の伝承者は差別され、揶揄と恐れを込めて「魔女」と呼ぶようになった。
 後の時代の人々にとって、ガンダム技術は経緯は忘れられて「恐れ」だけの存在になっていた。

 吃音で対人能力にかなり問題があるスレッタ。でもガンダムパイロットの人格に問題があるのは、毎度のこと……。

 ところがガンダム……じゃなくてエアリアルに乗っているときは吃音が完全に治る。ずっと一緒に育ってきたガンダ……じゃなくてエアリアルの中にいると安心する……というのもあるかも知れないが、自身の“半身”がずっとエアリア……じゃなくてガンダムの内部にいるからかも知れない。
(ガンダムなのかガンダムじゃないのか、どっちなのさ)

 0話から10数年後の物語が第1話となる。スレッタ・マーキュリーがアスカティア高等専門学校へ通うところからお話しが始まる。「学園もの」という言われ方をしているが、「兵隊訓練学校」だね。ガンダムは戦争を題材にしているのに、今までなかったことが不思議なくらい。そういう今まで言及されてなかったものをやろう……というのがコンセプトなのだろうね。
(『アルドノア・ゼロ』という作品では、主人公達は訓練学校の学生という設定だった。他にも訓練学校を舞台にした作品ってあるかな……?)

「ツンデレ慣用句」をためらいなく口にするグエル君。この台詞を意訳するともちろん「好きだ」という意味となる。

 学校内の仕組みはよくわからないのだけど、校風なのか“ツンデレ”が多すぎる学校だ。
ミオリネ・レンブラン←ツンデレ
グエル・ジェターク←ツンデレ
エラン・ケレス←ツンデレ
シャディク・ゼネリ←ツンデレ
チュチュ←ツンデレ  と、どこを見回してもツンデレだらけ。彼ら彼女らの親たちも漏れなくツンデレ。ツンデレ、ツンデレ、一つ飛んでツンデレ。学校内を歩くととりあえずツンデレに遭遇する。ツンデレが集まるツンデレ専門学校のような状況になっている。こういうところには、あんまり行きたくないなぁ……(いきなり怒鳴られるのは怖い)。ニカみたいな子がいてくれると安心する。

 ツンデレ多すぎ問題はさて置き、『ガンダム』といえば地球と宇宙移民との間にうまれた格差社会が戦争の問題を引き起こしている……ことでお馴染みで、今回も相変わらず地球と宇宙の間に格差問題が生じている。富裕層の宇宙派と、貧困層の地球派の対立だ。問題は顕在化しているけれど、現状のところ武力衝突は起きていない……という状況になっている。
 大人社会での武力衝突は起きていない代わりに、子供社会の中でルールを作って戦わせている。ミオリネを商品代わりにして、どの子息が勝者になるか。学園の勝者になれば、将来の冨も得られる……ということになっている。大人社会の権力闘争を子供に押しつけ、そうすることで暴力をコントロールしている。
 ついでに決闘は大人達が作った最新機種のテストを兼ねている。決闘をさせることでその会社のモビルスーツがいかに強いか、同業者へのアピールになっている。決闘に勝てば市場も独占できるので、大人達は子供に対し、決闘を奨励し、勝つことを望む。
 そうはいっても、大人達の権力闘争の代理をさせられている子供たちはたまったものじゃない。ミオリネも父親のやっていることを了解しているわけではなく、それゆえに学園内のライバルと同時に親たちとも敵対する。

 でも子供に押しつけていれば暴力は抑え続けられるのか……というとそんなわけはない。わずかなほつれから綻びがぽつりとぽつりと……。
 まずグエルパパが密かにデリング・レンブランの暗殺を計画している。シャディク・ゼネリはグエルパパと協力のフリを見せて、独自の勢力を作ろうと画策。プロスペラはデリングへの恨みは忘れておらず、大人しそうなフリをして復讐の機会を窺っている。実は「地球勢力」もいて、日頃の差別の恨みを晴らさんとこちらも画策。
 危ない勢力が多すぎて大変だ。
 さて、「秩序ある学園もの」の規律がどこで崩壊するかな……。

 第1クール後半に入り、案の定「穏やかな学園もの」は完全崩壊。その最終段階に入って、プロスペラ母ちゃんは娘・スレッタを修羅の世界に堕とそうとする。
 この時の能登麻美子さんの演技は見事で、普通に聞くと優しげに聞こえるけど、少しずつ声のトーンが落ちていく。「母親の声」から「悪魔の囁き」に変換していっている。この演技があまりにも上手い。

 境界線になっていた血しぶきを踏んで……

 こうなりました。
 GUNDフォーマットは宇宙時代の人類の身体機能を“順応”させるために開発された技術のはずなのに、プロスペラは完全に「復讐の道具」にしてしまている。カルドばあばの理想は完全に崩壊し、「魔女」として扱われたことによって、文字通り本当の「魔女」になってしまった(この復讐のために娘も「道具」扱い……というおぞましさ)。これが今作における悲劇として描かれている。

 1シーズンざっと見た感想だけど、めちゃくちゃに面白い。面白い理由は“物語を作動させる”切っ掛けのキャラクターが多く、常に何かしらが起きているから。「なにかが起きている」というだけではなく、“状況”が変わっている。
 第1話の決闘の後、すぐにエアリアルにガンダム容疑がかけられる。しかし第8話ではガンダムがいるという状況を引き受けて次の状況へとお話が進んでいる。最初は「学園もの」「ミオリネを賭けての決闘」さらに「ガンダムはタブー」というお話しの前提があったけれど、8話あたりですでに崩壊している。もう誰も決闘とかしない。すでに“次のフェーズ”へとお話しが進んでいる。
 お話しは多層構造になっていて、その構造が一つ一つ剥けていく……みたいな感覚になっている。『魔法少女まどか☆マギカ』のような構造に近い。入り口はお気楽な「学園もの」で始まって出口は地球・宇宙・水星勢力がぶつかりあう戦争ドラマへと変質している。入り口と出口でまったく違う作品に変質してしまっている。でも軸はブレていない。ただ状況を変えました……という話ではなくキャラクターたちがきちんとドラマを作り上げている。だから常に人を惹きつける物語となっている。
 こうした物語構造をおそらく計算尽くで出しているから、ストーリーテラーとしての資質はめちゃくちゃに高い。私もまんまと魅了されて、続きがあまりにも楽しみな1本になった。「あのキャラクターはどうなる……?」と思える作品は間違いなく良作である。


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