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12月14日 【雑談】「教養」とは知識と知識の間にできるもの

 たまにはテーマなしの雑談。

 某動画で「教養とは何か?」ってな話をしていたので、私の場合はどのように考えているのか……という話。
 私は「教養」とは、「知識と知識の間にできるもの」……と考えている。
 知識は単独ではほとんど役に立たない。役に立つ局面というのはあるけれど、それは人生の中でも稀なこと。まあ、世の中には凄い人もいて、ありとあらゆる知識を頭に入れていて、色んな場面で自在に取り出せる人……という人もいる。『ブレイキング・バッド』の主人公ウォルター・ホワイトもそういう人物。こういう人は率直に頭がいい人なんでしょうな。

 知識というのは積み重ねていくと、連なりができてくる。単独の「知識」はほとんど役に立たないし役に立つ場面を選ぶけれども、「連なりになったもの」はいろんな場面に使える。まったく関係ない知識と触れていても重ね合わせて考えることができるし、当てはめて考えることもできる。
 この連なったものが「教養」。なので私は「知識と知識の間にできるもの」という言い方をしている。
 歴史の本を読んでいて、そういうえばこの頃は気候の変動があったはずだ、とか、こういう人物がいたから文化的な変革があったはずだ……とか。本に直接書かれていないようなことでも、自分の脳内で補完して広げていくことができる。

 その一例を示そう。

 1815年4月10日インドネシアのタンボラ山が噴火した。火山爆発指数というのがあって、この時の噴火はVEI7。1000年に一度クラスの大噴火だ。火山灰は半径1000キロの範囲で降り注ぎ、噴煙は高さ40キロに達した。
 この時の噴煙が成層圏に達し、北半球に寒冷化をもたらした。これにより翌年1816年は北半球で「夏のない年」となった。

 この当時の日本は将軍が徳川家斉。日本での影響は少なかったといわれるが、歴史的な冷夏となり、各地で大洪水を引き起こした。

 深刻な被害を受けたのはむしろヨーロッパで農産物が壊滅的な被害を受けて、6月頃に雪が降り始めたという。

 この時、文学的な有名な事件といえば、スイスの「ディオダティ荘の怪奇談義」。バイロン卿の別荘にメアリ・シェリーやパーシーといった作家達が居候していたのだが、あまりにも長く続く雨に、暇をした一同はそれぞれで怪談を作ろう……ということになった。そこでメアリー・シェリーは『フランケンシュタイン』を、医者のポリドリは『吸血鬼』を描き、それぞれ名作になっていった。

 インドネシアで起きた自然災害が、巡り巡ってスイスの大雨をもたらし、それが世界的に有名な文学作品を生み出す切っ掛けを作り出した。1816年の世界的大飢饉……その話が出てきたら、だいたいインドネシアの大噴火が原因とみて間違いない。一件関係なさそうな事件だが、連なっているのだ。

 単独の知識はそれ自体はほとんど役に立たない。積み重ね、連なっていくようになると、いろんな横の繋がりができてきて、本に書かれていること以上にわかってくることが出てくる。
 映画を観ているときでも、映像に出ているモチーフを見ながら「これは神話的な説明で言うとアレだな……」というのがわかってくる。制作者もそういう知識は間違いなくあるから、作品の中で語らないものを一杯入れ込んでいる。そういう厚みを持っているのが映画。教養があると、作者が込めた「裏の意味」を読み取れるようになってくる。私の映画感想文で、その映画とはまったく関係ない話題をし始めることがよくあるのは、そういうこと。

 それで何の得があるのか……というと、私の場合、「普通の人より映画が10倍楽しくなる」ということだけ。
 私の場合は基本的に引きこもりの生活をしているので、知識が何かしらの役に立った……ということがほぼない。だって、社会と接点を持ってないんだもの。
 ブログに映画の感想文を載せるときには役に立っているけれど、まあそれくらい。
 ごく普通に社会と接点を持てている人なら、仕事で役に立てられることは一杯あるでしょう。私が社会と接点を持てない人間だから、せいぜい「映画が普通の人より10倍楽しんで見ている」というくらいにしか役に立てていない。

 というのが私の「教養」についての考え方。知識と知識の間にできるものが「教養」。
 といっても、これは私の解釈なので、人によって違うでしょう。こういうのはいろんな考え方があってもいいので、それぞれで違う考え方を持ってもいいでしょう。

 某動画では、「教養」は「枝葉となって連なったもの」と説明していた。知識とは「葉」。「葉」を一杯集めても意味がない。幹にして連なりを持たないと駄目だ……と説明していた。……あ、言ってたのは山田五郎さんね。
 私の考え方とそう変わらない。
 私と同じような考え方もいるでしょうし、違う考え方もいるでしょう。この件について「そうじゃない! 正しくはこうだ!」というふうに議論する意味もない。これについては答えを求めたって仕方がない。


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