ポケモン_ピカチュウ_実写

11月13日 『名探偵ピカチュウ』の実写映画予告編が公開されたので、こんな話。

 前から話には上がっていたけど、『名探偵ピカチュウ』の実写映画……本当に作っちゃったのか……。
 ハリウッドのこういう企画は、脚本家をえんえんリレーさせて、監督の候補が次々に挙がっては消えを繰り返して、いつの間にか「映画化」の話題はうすらぼんやりと消えていくものなんだが……。いやいや、早かったね。
(映画化できそうな小説や脚本があったら、とりあえず“映像化の権利”だけを押さえて、そのまま放置……というのも結構あるから。「ハリウッドで映画化決定!!」の大部分がこのパターン)

 『名探偵ピカチュウ』といえばオッサン声ピカチュウで知られているが……最近、「かわいいキャラクターにオッサン声」っていうの増えつつあるよね(私も計画していた。『ポプテピピック』の登場で断念したが)。
 目のところが人形に目になっていてちょっと怖い。人形の目と向き合っていると次第に「怖い」と感じる時のような心地を、有り体に映し出したような、そんな感じがある。でも現実空間にポケモンを登場を登場させるとした場合、あれくらいのディテールが落としどころとしてちょうどいいかも……という気はする。
 実際の映画を見たら、すぐに馴れちゃうかもね。
 もう1つ引っ掛かるのは、映像がやや暗めに見えるところ。コントラストが強すぎる。ポケモンはもうちょっと明るい世界観の物語じゃないかな……という気はするが。
 これも実際の映画を見ると、印象が変わるかも知れないけど。

 任天堂作品のハリウッド映画化といえば1993年の『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』を思い起こす人は多い。ご存知『スーパーマリオブラザーズ』を原作にした作品だが、あの作品とは似ても似つかない。なんだかよくわからない作品として、任天堂黒歴史コンテンツとして記録されている。 (私がこの作品を見たのはずいぶん昔だが……意外と面白かった記憶はある)

 でも、あの時のようにはならないだろう……とは思う。あの時代とは状況が違っていて、制作者が日本の作品を知っていて、さらに並々ならぬ愛情を持っているというケースが増えている。それにファンがどういう反応をするか……ということも理解している。『ポケモン』クラスの超メジャーコンテンツを好き勝手に弄り回したらどんなに恐ろしい目に遭うか……これがわからないわけがない。

 かつてはそうじゃなかった。
 ローランド・エメリッヒ『GODZILLA』はプロデューサーのディーン・デヴリンによれば、もともとレイ・ハリーハウゼンの『原子怪獣現る』のリメイクをやるつもりだったが、それでは予算が下りないので、「ゴジラってことにした」と語っている。あのゴジラは、実はゴジラと呼称されただけでまったくの別物だったわけだ。
 ローランド・エメリッヒがプロジェクトに参加した時はすでにあのデザインが決定事項になっていたらしく、どうもプロデューサーの企てにうまく騙されていたっぽい。

 世紀の駄作として知られる『ドラゴンボール・エボリューション』は原作の鳥山明もプロデューサーチャウ・シウチーも懸念を示していたが、監督は異議を唱える者を全員会議室から追い出し。その結果、なんだかわからない奇妙な作品となってしまった。
 監督ジェームズ・ウォンはめでたく干されて、この作品の後、映画界から姿を消した。明らかに原作を全く知らず、かつ原作への愛が全くなかったほうの例である。
(『ドラゴンボール』かどうか以前に、とんでもない駄作だった)
 ただ、『ドラゴンボール・エボリューション』はあの『ドラゴンボール』と思うと「うーん」という感じだが、コメディ映画と思って見ると大爆笑必死の作品でもある。気持ちを入れ替えてみるとあれほど笑える作品はないので、一度見てみるのもいいかも知れない。駄作もあるポイントを突き抜ければ、突き抜けたコメディ映画になるのだ。

 他にもケツアゴシャアとか、迫力のない百烈拳をやる北斗の拳とか……日本の漫画のハリウッド映画化には黒歴史コンテンツは非常に多い。

 かつてと今ともう1つ違うポイントは……?
 ぼんやりと聞いた話だが、日本側も映画制作に出資できるようになった……そうだ。これまでは日本側には金を出させない。金を出させないと言うことは、映画制作に対して何ら口出しさせない。そうい状態だったそうだ。
 これが最近になって体勢が変わってきた……たぶん、ハリウッドも不況でお金がないんじゃないかな。アメリカ人はお金を出す人の話はよく聞いてくれる。ようやっと日本側の意見も通るようになったので、だから原作からめちゃくちゃに改変されたり、まったくの別物にされたり……ということは今後少なくなるんじゃないかな。
(お金を出して作品をコントロールできるんなら、わざわざ映画制作の技術のない日本で作るより、ハリウッドで作ってもらったほうが……いや、危ない考え方なのか)
 最近の『GODZILLA』も東宝がお金を出している……という話も聞くし(この辺り本当かどうかわからない)。ギャレス・エドワーズ版『GODZILLA』には坂野義光や奥平謙二といった名前がスタッフリストに入っているし。かなり好意的な関係を築けているのではないかと思われる。

 2016年に任天堂はマリナーズとの契約を終え、その資金で「映像制作に取り組む」と発表した。
 2018年2月1日にアニメーション会社イルミネーションと共同の企画を発表。『マリオ』が再び映画化されることとなった。企画には『マリオ』の生みの親である宮本茂氏がどっぷり参加することが発表されていて、制作サイドとは良好な関係にあるとも報じられているので、これでおかしな映画が作られることはないでしょう。
 映像としての『マリオ』はすでにゲームの中でかっちりしたものが示されている。Switch『マリオオデッセイ』のムービーシーンなんかに出てくる映像をガイドにして作ればいいわけだから、ここで「いや、俺はボブ・ホスキンスのイメージで作るんだ!!」とか言い出さない限り、そこまでおかしなことにはならないでしょう。
 難しいポイントは、マリオは常にゲーム的なギミックと一体となって描かれる……という点だ。マリオはいつも同じではない。ゲーム的なギミックがあって、やっと作品が成立する。このアイデアなしでは『マリオ』はある意味で『マリオ』になり得ない。
 これをきちんと映画らしい題材にうまく組み込んで、2時間の物語にできるのか……。例えば「映画のフィルムの中に吸い込まれて……」とか「撮影所が舞台の物語」とか。ゲーム的体験と映画的体験とは少し違うから、ゲーム的体験のものをうまく映画的な物語に落とし込めるか。ここをきちんと押さえないと、「映像はマリオだけど内容は……」と言うことになりかねない。2時間のムービーシーンを見ただけ……になる。まあ、大丈夫だろうとは思うけど。

 まあそんなこんなで、日本のアニメ、ゲームのハリウッド映画化に関する状況はかつてとだいぶ変わっているので、そこまでおかしなことにはならないだろう。
 もしも結果的に奇妙な映画になっていたら、それは監督が無能か、脚本がゴミか、プロデューサーがポンコツか……このうちのどれか、という話だ。イメージが違うとかそういう話ではなく、単に映画自体がつまらない……というほうの話になる。マーベル映画にも駄作はある。
 そういうわけで、『名探偵ピカチュウ』が面白い映画になっていたらいいね。大ヒットになれば次に繋がる流れができる。『名探偵ピカチュウ』が大ヒットになれば、「他の作品もどんどん映画にしよう」という声も上がるだろうし。その流れを作れるかどうか、というところもあるので、この作品には期待したい。

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