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10月29日 新しい文化はいつも大人達に怒られる

 先日のラジオで、広井王子さんがこんな話をしていた。

「俺のお婆ちゃんは小説を読んでいて怒られた。俺の親は映画を観ていて怒られた。俺は漫画を読んでいて怒られた。俺の子供はゲームをやってて怒られた。出始めたやつってみんな大人に怒られるんだよ」

 うろ覚えだけど、だいたいこんな話を仰っていた。

 新しく世に生まれてきた文化は、子供や若者が喜び、大人達が否定する。
 どうして子供たちが喜ぶのか……? たぶん、「自分たちと同世代の文化」が生まれたからだろう。自分たち世代の価値観とリンクし、文化が一緒に育っていっている……自分の成長と文化の成長がリンクしていくから、より「自分たちの文化」という印象が強くなっていく。文化とはそのコミュニティの性質を映す「顔」となるわけだが、自分と一緒に育った文化はより自分たちの「顔」を映しているように感じられる。
 私はファミコン世代だから、やはりゲームは一番特別な文化。私という人間を構成する上で、ゲームは絶対に欠かせない。ゲームがなくなるともはや私ではなくなる……というくらい結びついている。

 生まれたばかりの文化は、大抵はショボくていい加減なものだけど、やがて成長していき、より大きなコミュニティを包括する文化となっていく。アニメや漫画も、長い間(今も?)大人達に否定されているけれど、アニメや漫画ほど日本の「文化の顔」が見えてくる文化はない。海外の人からしてみれば、自動車や電子レンジといった日本製品よりも、漫画のほうが克明に日本人の姿や文化観を見ている。今や「日本文化の顔」にすらなった漫画を否定する間抜けな大人は……まあまだいるわね。

 そうした新しい文化を否定する大人達の心理の中には、子供に対する「見下し」の意識が込められていると思うんだ。
 子供に自由に娯楽を与えれば、その娯楽に飲み込まれて、抜け出せなくなる。中毒になる。子供は考える意思がないから、娯楽で描かれているものが現実と思い込むようになって、暴力的な素質が身についてくる。
 ……とか大人達は考える。
 いやいや、子供を馬鹿にしすぎでしょう。でも大人達は「子供はバカだからどうせわかってない」という前提で、こう考えがちだ。
 子供にだって良いもの悪いものを見分ける能力は当然ある。つまんないものは見ない。バカな奴はバカだと思う。ついでに、本人がバカだと、ちゃんと作れた作品を読むことができなくなる。娯楽を読み解くのだって、当然教養が必要だ。
 宮崎駿監督は、「子供だましのアニメで子供は喜ばない」というようなことをずっと言っている。大人も騙せるような作品じゃないと、子供は本気になって見てくれない。作り手だけは子供がバカじゃないことはよくわかっているから、きっちり作品を作り込む。
 大人だけが「子供だまし」だと思い込んで、そこから先を見ようとしない。大人は「子供はバカだから」と思っているから。

 私たち世代はファミコン世代で、ゲームは精神史において欠かせないものだ。私の同世代達はみんな精神構築のどこかで、ゲームに触れて、それに影響を受けて育っている。今世代の大人で、触れてない人は絶対にいない。でも大人になってしまうとそのことに無自覚に、無関心になっていく。「ゲームは子供のものだから」と、そこにある文化的な厚みを軽く見るようになっていく。
 こうやって、どこにでもいる「つまらない大人」になっていく。そういうつまらない大人になっていった人達が、子供の精神を作る文化を見下すようになっていく。
 その娯楽が「文化である」ということに気付くためには、その文化が「権威」にならなければならない。例えば宮崎駿作品は、ある時期までは単に「子供の作品」と見なされてきた。『となりのトトロ』も『天空の城ラピュタ』も当時はたいして売れておらず、消えて忘れられる作家だと思われていた。でもテレビで頻繁に取り上げられる過程で、権威となり、「インナーサークル」が生まれていった。今では誰もが宮崎駿作品を知っている。日本人のみならず、世界中が知っている。なぜなら、宮崎駿が「権威」になってしまったからだ。「権威」に格上げしないと、大人は自分が子供たちに接したものに対して、価値を見いだすことができないのだ。
(宮崎駿を権威化させるために日本テレビと手を組んで画策したのが鈴木敏夫プロデューサー。悪いとは言っていない。もしかしたら忘れられる存在だったかも知れない宮崎駿作品が「実は偉大な作家だった」ということを多くの人が知るようになり、高画質で作品が見られる今の時代が生まれたわけだから)

 おっとっと、脱線した。

 不思議なことに、かつて世の中から否定されていた文化が権威になっていくと、その文化圏の人々がありきたりな「権威ある人」として振る舞い始める。
 小説の世界で権威的な人間になると、新しい文化である映画を見下し始める。映画が権威になってくると、次の文化である漫画を見下し始める。映画やテレビ業界の人は、今でも漫画の世界にいる人を見下している感じだよね。映画業界の人は、漫画を「ちょうどいい原作」くらいにしか思ってないもんね。
 「大御所」になっちゃうと、より権威的な人間になってしまう。
 ……大御所にゃ、なりたくないもんだ。

 ゲームが生まれて40年ほどが経つけれども、未だにゲームが一番新しい文化だ。だから小説の権威も映画の権威も、ゲームを見下している。自分たちの方が上だと思っている。
 歴史は繰り返すものだから、次なる文化が生まれると、やはり漫画界の権威やゲーム界の権威は、その新しい文化を見下すんだろう。


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