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12月16日 受験に長けた民族

 ラジオで藤井聡さんという人がこんなお話をしていた。

「最近は高校が予備校化している。たいして頭は良くないけれど、受験対策だけはがっちりやってくるから、大学に入れてしまう。俺たちは地頭のいいやつがほしいのに、そういうやつが減っている」

 というような感じのお話をしていた。

 この話を聞いて、
「あー美大入試でよく聞く話だー」
 と思った。
 美大予備校というのはなかなか凄まじいもので、受験対策のノウハウがめちゃくちゃにしっかり作られすぎていて、「来年の試験官はあの先生らしいぞ」という情報が入ると、その先生の絵柄、その先生が好む絵柄が調査されて、その年の受験生がテストでみーんな似たような絵を描いてきてしまう。
 みーんな同じものを描いてきちゃうから、評価が「ドングリの背較べ」になってしまう。絵描きの個性とか、資質とか、そういうものが見えなくなっちゃう。みんな同じものを描いちゃうから、本当に上手いやつとか、本当に才能があるやつかどうかわからなくなっちゃう。
 受験する側はなにがなんでも大学に入りたい、大学に入れるかで今後の人生が変わってしまう、大学に入れなかったら人生終わりかも知れない……くらいの切迫感で来るから、個性を押し殺してでも周りと同じ絵を描いてしまう。入学のためなら全部捨てる覚悟で、受験対策をやっちゃう。
 美大側も「これはマズい」とあれこれと手を変え品を変えて試験を考案するんだけど、すぐに美大予備校で対策されて、みーんな同じものを描いてきてしまう。
 試験官と受験生の間で「イタチごっこ」みたいな現象が起きていた。

 こういうのって、今ではどうなってるのかな? 最近の事情はよく知らない。

 日本人ってやっぱり優秀なところがあって、何かしらのノウハウを蓄積し、それを教え、足並みを揃えさせる能力に長けている。1人1人のポテンシャルが高い……というか「全員の平均点を同じレベルに上げさせる」能力に長けている。ただし「それ以上」の人材は育てられない。
 アメリカ人にはこういのはできない。アメリカ人って能力がバラバラすぎるから、いくら言っても教えても身につかないやつは本当に身につかない。日本人だったらどんなやつでもある程度以上に平均値を上げさせることができる。
 こういうのはどんな受験でも似たようなところがあって、「来年の受験の傾向はこうらしいぞ」という情報が入れば、それに向けた対策だけを充填させる。で、どんなポンコツでも受験を合格させられることができる。
 じゃあ「自由筆記」を試験のメインにすればいいじゃないか……と思われるが、そういう場合でも、「自由筆記でこういうテーマでこういう書き方をすれば得点がもらえやすい」みたいな対策が取られてしまう。予備校対策試験をやればそれも対策されるだけなんで、どうにもならない。
 で、そんな感じで入学させてみれば、受験対策だけをしっかりやっただけで、実はただのおバカさんが入ってきちゃう……。
 でもこういう能力に長けているのって、日本人特有ではなくアジア人の特徴かも知れない。中国も韓国も受験戦争は苛烈で、予備校での受験対策ノウハウは凄いらしい。もしかするとアジア人全体にありがちなことかも知れない。

 試験は対策できるものだから、それで地頭の良さや発想力に豊かさを推し量ることはできない。日本人がそういうものを人を審査する時の基準にしない。地頭の良さや発想力に豊かさは、大人になって何かしらの企画を考えなくちゃいけない……という時になって始めて審査されるもの。しかもそういう能力は10代の学生時代の中で一切教わらない、鍛えられないから、大人になってオタオタする奴らが出てきてしまう。能力は高いはずなのに、個性ゼロの企画しか出せない……みたいになる。それどころか、「新しいこと」を提唱する人を「邪魔なやつ」「場を乱すやつ」だと思い込んで追い出してしまう。で、優れたアイデアを持った日本人が外部に流れ出てしまって、後で後悔……ってパターンが起きる。
 「モノ作りの国」を標榜しているのに、モノを作れる人が外に出て行ってしまう原因を自分で作ってしまう。

 ちょいと話は変わるけれど、「不良」っているじゃない? 私からしてみれば、不良ほど無個性的なものはない。
 「不良」というのは学校という体制に対する「反抗/カウンター」に対する意思表明である。「学校」という、格好も考え方も全て押しつけのものに対して「カウンター」のつもりで不良達は少し変な格好をしているのだけど、しかしその格好というのがビックリするほどテンプレート的。私の中学生時代、頭に剃り込みを入れて学ランの下に赤いシャツ着ているやつとか本当にいてビックリしたもの。「あ! 漫画でよく見かける不良だ!」って思ったもの。私からしてみれば「アニメのコスプレしているやつが学校にいる」みたいな感じで、もはや恥ずかしいと思ったくらいだもの。
 不良は「個性的な自分」でありたいと思いながら、結果的に「ありがちな不良」のテンプレートの形に安心を覚えて模倣してしまう。テンプレートから外れたつもりがテンプレートに陥る。それどころか、普通の学生よりもはるかにテンプレート的。テンプレート的すぎてコスプレにしか見えなかったくらい。
 不良ですら結局「型」にハマっちゃう。それが日本人。
 そういうのって、一杯あるんだ。「社会が決めた人間像とは違うジブンになるんだ!」とか言いながら、典型的なアーティストや、典型的なミュージシャンの型にはまっちゃう人とか……。型から逃げようとして結局型にはまっちゃう悲しい人達っているよね。
 不良達って、コスプレして学校に来ていたってこと黒歴史にならないのかな……?
 日本人はどこまで行っても型にはまっちゃう。型から抜けようとしたら「型から抜けようとした型」にはまっちゃう。本当に「型破り」なやつを評価できない。

 話を戻そう。
 でもそれは、日本人の優秀さが受験対策的なところに向いちゃっている……それゆえに、ということかも知れない。
 日本人が一番重視するのは「どこの大学出身か」ということ。肩書きでしか人を見ない。審査基準がそこにしかないから。どんなイマジナリーを持っているのとか、「構想力」とかそういうもので審査しないし、できない。そういう能力に長けた人がいても、その人のことを「優れた能力の持ち主だ」とか思わない。なぜならそういうのが得意な民族じゃないから。
 私みたいな専門学校卒(しかも代々木アニメーション学院)の底辺の話なんて、誰も読まないでしょ? プロフィールの段階で回れ右をしちゃう人って結構いるんでしょ? もしも「有名大学卒」と肩書きに乗せたら、途端に読む人が増えるんでしょ?
 そういうことです。


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