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Netflix映画 聲の形

 子供の頃というのはだいたい何か間違うものだし、その間違いを取り戻すために何年もかかる時もある。最後まで取り戻せないこともある。子供の頃の失敗は、実は重くつらい。

 石田将也は下を向いて、耳を閉じる。声は掌に遮られて、耳の中でかすかにこもって聞こえるだけ。ずっと下を向いているから、足が描かれることが多い。色彩は淡い。明度も彩度も高い。なにもかもが漂白したような絵に、線画が際立ってくる。
 繊細な線の束、慎重に作られた演技。描いたのは西屋太志だ。私が最も好きな京都アニメ作品である『氷菓』のキャラクターデザイン、作画監督を手がけた人だ。西屋太志の絵は線の厚みがもの凄いが、しっかり整理されている。ハイライトも線で描かれている。線でしっかりキャラクターの実在感を浮かび上がらせるし、なによりキャラクターが愛らしい。鉄壁のヒロイン像を描きだしてくれる。ただデザインが可愛いだけではなく、動きの一つ一つでキャラクターを語ってくれる。
 山田尚子監督は『けいおん!』で素晴らしいデビューを飾った監督だ。『けいおん!』はキャラクターが先行しすぎている印象があるが、山田監督の特筆すべきは少女の何気ない、何でもなさ過ぎる心情の機微。その捉え方。台詞や物語ではなく、まるでドキュメンタリーのようにカメラを回している印象、空気感をアニメで作ってしまう。
 山田演出は『聲の形』という作品の中であまりにも見事な輝きを放っている。映像がどことなくアニメ的な感じがしない。どこかハンディカムを回しているような雰囲気で、しかしアニメだ。実写的、というものとも違う。独特なのに異端な感じがなく、ふわっと観る側の心象に入り込んでくる。
 映像は、主人公将也の心象を描くことに徹底的に集中している。全てを遮断している将也は、キャラクターが並んでいても、なかなか同じ構図の中に2人が並ばない。まず足下だけを写す。わざわざ切り離すようなカット割りで、あたかも一緒に並んで撮影していないかのような雰囲気を出す。そういうプロセスを経て、やっと2人が同じ構図に入ってくるが、将也はだいたい下を向いて、目の前の人を見ていない。顔を上げても、そこにあるのはバッテンだ。結局、相手の顔は見えない。
 色彩は漂白したように全体が白い。空を見上げても雲はなく、映像にすっきりと抜けるようなものが何もない。美しいがもやもやしている……という印象だ。全体が淡いが、描き方は非常に繊細。僅かに赤味を入れたり、僅かに青を加えたり。将也がその時感じている印象、相手との距離感とで、少しずつ色が変わっている。
 いわゆるアニメという感じがない中で、しかしアニメという今までにない映像観を作りだしている。それは『聲の形』という物語を表現する手法として、素晴らしくはまっている。見て数秒で、もうこれしかないと感じさせる力強さがある。
 キャラクターの演技で特筆すべきは手話。単純に、今まで全編手話を使いながら対話するアニメキャラは見たことがない。その動きに嘘が感じない。手を動かしながら、その動きにすら感情が表現されている。絵の表現力の凄さに参ってしまう。ただただ見事だった。

 物語は聾唖といじめを取り扱っている。平凡な小学校の中に混じり込んだ一つの異物……耳が聞こえず、喋れない女の子。子供たちは最初は受け入れようとするが、間もなく嫌悪と憎しみを向けるようになる。
 最初の切っ掛けは大人達が特別扱いをしているような気がした。不公平だ。合唱コンクールの結束が乱れる。邪魔だ。
 将也が西宮硝子を標的にした切っ掛けは、「面白半分」というのも多分にあるように思えるが、切っ掛けそのものは隣に座っている女の子の不満を感じたから……という気もする。
 とにかくも将也は西宮を攻撃した。……子供はいつも自分が正義だと信じている。自分が正しいと信じている。自分の意思が無制限に世界に対して通用すると思っている。そんなわけはないのに。
 結果的に将也は、自分の犯した罪を、自分で背負うことになる。これが将也にとっての原罪となり、その後ずっとつきまとってしまう。“自身”を失ってしまう。

 実際には、その時そこにいた当事者全員が間違っていて、その時自分たちがしたことに背を向けて、なかったことにしようとしている。将也に罪を押しつけて逃げている。その後ろめたさをずっと抱えながら、日々を過ごしている。原罪を背負い、自身を失っているのは、将也だけではなく、当事者全員だった。……後半に入り、その実像が浮かび上がってくる。
 間違いに気付きつつも、目を向けようとしない。その後ろめたさの話。今ある社会から弾かれないために、ごまかしを続けていく。
 基本的には将也が失った社会性を取り戻すための物語だが、将也たった1人の物語ではなく、当事者全員が自分の罪を向き合い、乗り越えるための物語だ。社会の中にいるが孤立している……という人達の物語でもある。

 山田尚子監督は明るい性善説を描く作家だ。『聲の形』は一見すると「嫌な人」が描かれるが、実は決して“悪意”があるわけではない。むしろ“善良さ”を描いている。ただその善良さが過ちとすれ違いによるもので狂ってしまっている……その状況を描いている。しかし結局は最終的に“善良さ”が最後に勝利する。
 将也が失ったものを取り戻すための物語だ。それはごく当たり前のこと……耳を塞がず、目の前の人を見ること。たったそれだけの話。それだけのものを取り戻すために、ただひたすら葛藤し、戦いつづける物語だ。

5月21日


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