脱コルについて
最近ツイッターで主に反出生や単身者の一部に脱コルを謳う者が現れた。もしかしたら前からだったのかもしれないが、某フェミニストの漫画が発端のようでもある。その漫画も含め一部のフェミニストの主張は私には過剰に思われる。「装飾をやめろ」という主張だが、確かに現代日本には若い頃から「モテかわ」「愛され」がファッション誌を跋扈し、テレビを見ればやれ「うるつや髪」だ「絶対焼かない」だと煩く、電車には「脱毛」の広告があちこちに貼られ、ネットを見れば「ダイエット」だ「豊胸」だ、歳をとればとったで「若見え」やら「シミ・タルミ」だわと本当に煩わしい。これらがせめて今の半分になったらどれだけストレスフリーだろうとは思う。その点においては共感できる。また、男性には必要とされていない化粧、歩きづらいだけのハイヒールやパンプス、動きづらいスカートなどを仕事で働く上での条件にしないこと、などは本当に「脱コル」だとは思う。
男ウケの呪い
過剰脱コルを唱えるフェミニストたちが相手にしているのは、特に夜職と呼ばれる人たちなので、過剰になる気持ちもわからないではない。ただ、「髪を短くしろ」だとか「Tシャツとジーパン(のようないわゆる男性モノのファッション)にしろ」だとかは同意できない。性犯罪被害者の女性に男が「そんな格好をしていたからだ」と言うのと何が違うのだろう。彼女たちは、男性を惹き付ける(外見の)女性が一人でもいることでその女性だけが男性全てを味方につけ、他の女性のいわゆる奴隷長(名誉男性)になってしまうことを怖れているのだろうか?
オス化する女性たち
確かに、今の日本で「男ウケ」の呪いにかからないのは不可能だ。だからこそ装飾に対する強力な否定は必要なのだろう。しかし、気になるのは彼女たちの行いがオス化していることだ。化粧品を破壊した画像をツイッターに上げるなど、マイメログッズの件でキャラクターグッズを破壊した画像をツイッターに上げるアンチフェミ男と何が違うのだろう。銭湯で柚子や林檎やハロウィンボールを破壊した男をあれだけ非難していたのは何だったのだろう。自分のものなら破壊しても構わないという価値観の持ち主だったのかと思うととても残念に感じる。
装飾は男のためだけのものなのか?
また、髪を短くしろだとかTシャツとズボンにしろというのもよくわからない。髪は放っておけば伸びるものだし、今は車椅子などの障害者男性を含む男性向けに現代的な服装に合うスカートが商品開発されている時代だ。発達障害があり、股に貼り付く感覚が苦手でスカートしか履けないと言っている女性も見たことがある。そもそも痴漢が「服装は関係がない。騒がなさそうな女性を狙う。」と言っているように、彼らの目的はあくまでも「女体」であるため服装はその全てではない。
彼女たちはどこまで行くのか?
ここ一週間くらいのことだが、彼女たちは過剰にオス化しようとしていっている。どこまでが「脱コル」でどこからが「自分の意思によるもの」なのだろうか?彼女たちは今まであれほど男たちを「臭い」「汚い」「気持ち悪い」「乱暴者」と言ってきたのに、どこまでそのオスの姿に近づいてゆくつもりなのか。腋毛を剃るのをやめ、制汗剤を使うのもやめ、ブラジャーをするのをやめ…その先はどうするつもりなのだろう。ある女性は、男性用のパンツを履くと言っていた。ただ、背広にしろネクタイにしろ、そして短髪(男性でヘアワックスをつけている人も多い)にしろ、本当に男性向けのものは全て合理的なのだろうか?
全ての女性が、かの漫画のように短髪でTシャツにズボンというお揃いの姿になった時、我々女性は「何」から解放されるのだろう?
漫画の脱コル女性は短髪にトランクス(?)でパンツの中に手を入れて股を掻いていたが、女性でもそういうことをするようになるのだろうか。男のサル真似に何の意味があるのだろう。
あと、動物としても考えてみてほしい。動物は装飾しなくてもオスがメスを求める。だったら、メスはオスを求めるだろう、と言ってほしい人はいるだろうが、メスはいるだけでオスが寄ってくるのでオスほどメスへの求心力はない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?