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【心揺さぶる名言6】風呂の中でこいた屁じゃねえけども 背中の方へ回ってパチンだい(男はつらいよ11 寅次郎忘れな草)

男はつらいよの全作品の中で、最もファンの多いのがこの第11作目なのではないだろうか。少なくとも、私にとっても大好きな作品だ。
いつも通り、「男はつらいよ」の説明は省きます。

今回の名言。
寅次郎のこの一言が、「男はつらいよ」の最終50作目まで寅とリリー(浅丘ルリ子)をつなげていたと言っても過言ではない。とても大切なシーンのセリフ。少し前の場面から紹介したい。

「男はつらいよ11 寅次郎忘れな草」はリリー3部作(残り二つは15作目、25作目)の起点となる作品。寅と同じように「流れ流れの渡り鳥」のようなマドンナはリリーだけだ。魅力的なマドンナは多々いるけれど、この2人ほどお互いの境遇を理解し合って、時に反目し、ののしり合いながらも寄り添った関係性はほかには見当たらない。

では11作目の当該シーンの少し前から。
「ピアノをほしい」とさくらが言っていることに奮起して、寅はおもちゃのピアノを買ってきてやる。本当は本物のがピアノが欲しかったことを言い出せないさくらたち。丸く収めようと一行はなんとかごまかしてやり過ごそうとするが、たこ社長が来て、「なーんだ、おもちゃか。寅さんに本物のピアノが変えるわけねえ」と余計な発言をして、場は緊迫。

そこから、いつものトラブルで、おじちゃんに「出てってくれ」と言われて、旅に出る寅。

旅に出た寅の夜汽車のシーン。
2席ほど後ろのリリーが窓の外を見て涙ぐんでいる。それが前振り。

北海道・網走で降りた2人。それぞれ歩いていく。
寅はテキ屋業にいそしみ、レコードを売るが、全く売れない。

そこでリリーが声をかける。
「さっぱり売れないじゃないか」
寅は「ふっ。不景気だからな、お互いさまじゃねえか?」と返す。
「何の商売してんだい?」と寅が聞くと、リリーは「わたし?歌、歌ってんの」と答える。

リリーの故郷などについて話をしながら移動し、波止場に腰掛けて会話を始める2人。
寅は「どうしたい。ゆうべは泣いてたじゃないか」と話題を振る。
リリー恥ずかしそうに「あらやだ、見てたの?」

寅「何かつらいことでもあるのか?」
リリー「ううん、別に。ただ、なんとなく泣いちゃったの」
寅「なんとなく?」
リリー「うん。兄さんなんかそんなことないかな?夜汽車に乗ってさ、外見てるだろ、そうすると、何もない真っ暗な畑なんかに一つぽつんと明かりがついてて、『ああ、こういうところにも人が住んでるんだろうなあ』、そう思ったらなんだか急に悲しくなっちゃって、涙が出そうになるときってないかい?」
寅「うん。こんなちっちゃな明かりが、こう、遠くの方へすーっと遠ざかって行ってなあ。あの明かりの下は茶の間かな。もう遅いから子どもたちは寝ちまって、父ちゃんと母ちゃんが2人で、しけたせんべいでも食いながら紡績工場に働きに行った娘のことを話してるんだ。心配して。暗い外見てそんなことを考えてると汽笛がボーッと聞こえてよ、なんだか、ふっと涙が出ちまうなんてそんなこたあ、あるなあ、分かるよ」

次のシーンで山田監督は、安定の象徴・渡世人の対極としての「家族」を提示する。漁に出かける父親を見送る家族たちの光景を、2人の目の前に登場させる。

リリーがこう話し始める。
「わたしたちみたいな生活ってさ、普通の人とは違うのよね。
それもいい方に違うんじゃなくて、なんてのかな、あってもなくてもどうでもいいみたいな。つまりさ、あぶくみたいなもんだね」

寅はうんうんとうなずいてこう言う。
「うん、あぶくだよ。それも上等なあぶくじゃねえやな。
風呂の中でこいた屁じゃねえけども、背中の方へ回ってパチンだ」

笑い出すリリー。
寅「え?おかしいか?」
リリー「面白いね、お兄さん」

寅とリリーが同じ渡世人であり、不安定な生活を送っているからこそ、自身をさげすみながらも、互いに現実を突きつける。どちらかが安定した生活を送っているとすれば、この会話は成り立たない。
「風呂の中でこいた屁じゃねえけども、背中の方へ回ってパチンだ」
同じ立場にいるからこそ、こう言って笑い合える。

2人が「仲間」だと認識した瞬間なのです。
セリフだけでは、十分に分からない重みが、この一言にずっしりと詰まっている。

それを知りたい人はぜひ、観てください。

ああ、でも、五十年ほど生きてきて、まあ、そう言われれば、あぶくみたいな人生だよなあ。生まれて、闘い続けて、やがて死ぬ。

まあ、みんなあぶくで、それでいい。(金子みすゞ・・・!?)

2022年8月29日 トラジロウ

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