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#在日朝鮮人文学
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04 鄭承博(チョン・スンバク)(その1)
鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その1)林浩治
鄭承博(チョンスンバク)は在日1世の作家だ。金石範とはほぼ同世代だが、京都大学卒の知識人で愛想のない金石範に比して、鄭承博は学歴は殆ど持たず、農業、旋盤工、鍛冶、電気通信技術、新聞配達などの仕事を経験し、料理も得意だった。営業スマイルで周囲を取り込み、戦前戦後には闇米や物資の調達販売なども行った。スナックのマスターと
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04 鄭承博(チョン・スンバク)(その2)
鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その2)林浩治
→(その1)からのつづき
2)植民地朝鮮に生まれて
鄭承博(チョン・スンバク)の出身地は、韓国慶尚北道安東郡臥龍面、朝鮮半島の中心を南北に流れる洛東江の上流に位置する山村だ。
家族は農業を中心とした自給自足に近い山村生活を送っていた。先祖である両班の清州鄭氏は儒学者の李退溪(イ・テェゲ)を招いて安東市陶山面土渓里に
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04 鄭承博(チョン・スンバク)(その3)
鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その3)林浩治
→(その2)からのつづき
3)日本に渡って逃亡生活が始まる
鄭承博はわずか9歳で単身日本に渡航した。
承博少年は父の牛を売り払って得た金と叔父からの手紙を握って日本へ向かった。1933年8月ようやく和歌山県田辺市に到着する。
やっとのことで富田川上流の飯場で土木工事の飯場頭をしていた叔父に辿り着き、工事現場で炊
林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04 鄭承博(チョン・スンバク)(その4)
鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その4)林浩治
→(その3)からのつづき
4)栗須七郎と出会う
一日2時間の自由時間に近くの寺で休んでいた承博は、そこで水平社運動の指導者栗須七郎と出って、こんなことを言われる。
「おまえはまだ子供のくせに、こんな汚らしい着物を着て、仕事ばっかりしていたのでは人間になれない。」
栗栖七郎は「学ばざる者は草木に等しい」という持論を持
在日朝鮮人作家列伝──すごくいい!からぜひ読んで! 01 金達寿(キム・ダルス) 前ふり篇
金達寿(キム・ダルス)1920~1997在日朝鮮人作家の先駆的存在。
生涯を通じて「日本と朝鮮、日本人と朝鮮人の関係を人間的なものにする」*ことをめざして筆を執り、たえず理想を求め、知識人として社会的な発言、活動をしました。
1920年、朝鮮半島、慶尚南道生まれ。
地主の跡取りだった父親が、植民地政府(日本帝国)によって土地を奪われたため、一家は働き口を求めて日本へ。
10歳で日本へ渡り、教育は
在日朝鮮人*作家列伝 ──すごくいい!からぜひ読んで!
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はじめにみなさまこんにちは。
編集工房けいこう舎の編集人(栗林佐知)です。
この企画は、1945年8月の敗戦(解放**)~今日まで、読み応えのある作品を世に問うた、在日朝鮮人作家の人生と作品について、
文芸評論家の林浩治さんに紹介していただき、初心者である編集人も実際読んでみて、日本と朝鮮半島の近現代史を