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「何者か」になるという未来

僕たちは、生きていく。
こうじゃなきゃいけないなんて決まりはない。まるで、人生は「何者か」にならなければいけないものだ、そう錯覚してしまっているのだ。決してそうではない。何者かにはなろうとしてなれるものではない。そして「明日、いや1年後には、5年後には、自分はこうなっていなくてはいけないのだ。」でもそのこうなっているという何かは分かっていない。だから不安なのだ。それが現状。未来のことを考えるのはとても難しく、辛くて寂しい気持ちになる。今と未来との距離が離れれば離れるほど、僕たちは不安になってしまう。未来と、今という現実の距離が縮まれば、今日を生きることが出来る。

どんなに考えたところで、未来はやってこない。どうなれているか分からないような恐ろしい未来を想像しても、未来へは行くことが出来ない。時間はみんなが平等に過ぎていくからだ。

そんな未来の自分が、理想になっているのだ。今がいつだって最高。今日が今まででいちばん最高。いつの日もそのはずなんだ。未来のことを考えていては、その最高の今日が悲しむ。未来に振り回されていないで、最高な今日に気付こう。過去の未来が今なのだから。


最近の自分は、こう思える。
僕の今日は、いつの日も最高だよ。

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