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あの角を左へ曲がった先に、いつものクリーニング屋さんがある。

ぼーっと外の風景をみている時、ふと、前に住んでい場所で散歩した時の目に映った映像が頭に浮かんでくることがある。

またその頃に戻りたいと願っているの?
いや、そうしたいのなら、行動を起こせば叶えることができるでしょ。冷静になれば簡単な話。
でも少し違う。何かに理由をくっつけて、自分が「こうしたい」という気持ちに蓋をして、自分の心の本当の声から逃げる。

これはいろんな面でも言える。
例えば、自分はこれを頑張る、と決めた時。その次の日、または1週間たった時。少し距離を置いた時にまたその頑張ろうとしたものに目を向けた時、逃げ腰になる。無意識のうちにできるだけ見ないようにしたくなる。こんなではダメだと分かっているのに、何故だろう、目を背けてしまう。できなかった時のことや、どうせ自分には無理だとどこかで半分わかっていて、それをリアルに想像出来てしまうからなんだろうな。

それに気づいた頃からもう何年もそんなことを考えながら生きています。

結局、全てが中途半端になるし、こんなではダメだという自分を責める心が、精神を蝕んでいく。

窓を開けて、風を浴びながらぼーっとしている。そんな時にふと浮かんだ風景を懐かしみながら、アイツ元気にしてるかなとか、また一緒にラーメンでも食いに行きてえな、なんて、遠い場所で暮らしていてなかなか会えない友達を思いながら過ごす時間も、悪くないよな。
過去に目を向けたって、悪くないよな。

たまには。


間違いなくあのとき、馬鹿みたいに笑って声枯らして、ジュドー・アーシタみたいな声になってそれにまた笑って、当たり前のように過ごしていた時間は楽しくてキラキラしていて、その瞬間は気づかないけど、思い返したら光って見えるからね。
またいつか行った、浅草のちっちゃなあのお店でお酒でも飲んで、手を叩きながら誰かの声に合わせて歌ったりしような〜。

ぼくは、iPhoneに入っている写真たちを眺めながらその時のことを思い出す時間が好きです。

「何やってんだろうな」と自分に嫌気が差して、進めているのか分からない日があっても、時がたったら今日の悩みがかわいく思えたらと思う。


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