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SNSとの付き合い方

以前、友人にわたしのインスタが一時観れなかったんだと告白してくれた事があった。
当時のわたしのインスタは自炊ログ化していて、食事の写真ばかりを投稿していた。
それが丁寧な暮らしをしているように見えたらしく、自分とのギャップに苦しかったそう。

まず、それを伝えてくれた事が嬉しかった。
言いにくい事も言おうとして、伝えてくれた事にありがとうと私も伝えた。

そして、一時苦しくて見れなくて、

「見なかった」という行動に移した

のは凄く良かったなと思う。
なんで上から目線なんだよってツッコミ聞こえております私もそう思いますええ。

いや私自身も仕事で病んで苦しかった時期はSNSのキラキラした投稿や活躍や喜ばしい報告が苦しかった。

称賛したいのに、称賛できない自分。
応援したいのに、応援できない自分。
喜ばしいのに、喜べない自分。

そんな自分にも苦しかった。
そんな風に思いたくないのに、そんな風にしたくないのに…自己嫌悪。

その次は、SNS に投稿されているキラキラしたものが陳腐なようにも見えてしまった。

こんな写真あげてこんな投稿して、で、何?って思ってしまったのだ。

全員ではないが、一部インスタ映えに取り憑かれたかのような投稿、見栄の張り合いや自己承認欲求の塊が透けて見えた時に、SNS の闇を感じた。

そして幸せって何だろう、豊かさって何だろうとも考えた。

自分にとっての幸せの判断基準を明確にすることは、選択と線引きができるようにもなるとも思うので、私は考えてよかったなと。

もちろんデメリットだけではない、SNS が普及して良かった点もたくさんある。
例えば友人の日常を垣間見えたり、物理的な距離があっても緩やかに繋がれるプラットフォームは楽しいし、刺激的であった。

一般人でも、インフルエンサーと呼ばれるフォロー数が数千〜万単位で影響力を持てる時代になって、SNS戦略での沢山のビジネスが生まれた。

いいねが貰えたら、嬉しい。フォローして貰えたら、テンションが上がる。そうやってSNSは気軽に承認欲を満たしてくれた。

いかにいいねがもらえるかの投稿をするか、いかにフォロワー数が増えるかの投稿をするか、だんだんそれが過激化していって、リアルな自分とのギャップに苦しんだインフルエンサーもいるのではないだろうか(わからんけど。)

でも言える事は

良くも悪くも SNSは、(特にインスタは)自分のいいところしか切り取っていない、嘘ではないが一番よく見えるところを切り取り、投稿している。

だからそこと比べてしまった時の閲覧者(自分)とのギャップに苦しんでしまう。

でもこんな時こそ、お母さんに小さい頃から口酸っぱく言われてきた
「○○ちゃん家は○○ちゃん家!!うちはうち!!!」
をいかんなく発揮する時だ!!

本当に人は人なのだ、自分は自分なんだ。
あ、この人はこうなんだね、こういう志向なんだ、なるほど。
で、自分は、自分だ。ニコニコ。でいいのだ。

因みに友人が見られなかったと言っていたインスタに載せている写真だが、毎回ちゃんとはしていない。
例えば、お腹が空いてしまうばかりにキッチンで立ち食いをしたり、なんなら作りながらフライパンから食べる事だってある(極端だけどw)

わざわざお皿に毎回綺麗に盛り付けたり、写真に撮ったりする事が毎食な日常ではない。

むしろ、そんなんやってらんねー!って瞬間?(笑)いや好きでやってる事でもあるんだけど(笑)
きちんとありたいって思いが根底にはあるけど、毎回はきちんとしてないということ。

キラキラした写真や投稿はその人のベストなものを切り取ったに過ぎないし、その人のほんの一部にすぎないということ。

⚠あくまでも傾向の話だから全員ではないよね!

(これは私のつぶやきなんだけど、そもそも料理研究家の写真と比べたら、私なんて適当だし、もっと私よりも凄い人達はたくさんいるしなと思っているから、ほんと語弊を恐れずにいうならばだよ、あんなんでいいねと思ってくれるのか、ということ。
マウントじみたように聞こえるけど、相対的な評価をしだしたら本当に止まらなくなる。客観視するメタ認知能力は重要だけれど、絶対的評価でいい。なんなら評価なんて全くしなくていい。
自分が居心地の良い選択をすればいいし、自分のやりたいようにやればいい。これしたら、こんな風に思われるかなってのも気にしなくていい。気にしなくなると楽だし、楽しいよというつぶやき。
あと、みんな受け取り方、捉え方は十人十色で本当にそれぞれだな〜ということも合わせてぼそります。)

話を戻して。
別にインスタを批判したいわけじゃないけどw
「写真」ってパッと見の分かりやすさや、瞬間的ないいねが押せる、美的感覚がくすぐられる側面がある反面、いくらでも(その写真は)チート出来るし、いいねって押したけど、どこのどの部分がいいねだったのか言語化されず、ふわっとしたものがふわっとで終わる傾向がある。

だから自分自身のアウトプット力をあげる意味でも個人的にはInstagramからTwitterに移ろいでいるのかもしれない。
(⚠大前提、写真や絵、美的なものは大好きだし、訴求力は圧倒的にデザイン性にあると思っているからやっぱり使い分けだね⚠︎)

因みにfacebookはあまりにも知り合い(特に父や従兄弟やその嫁、親族とも繋がってしまった)と相互フォローの関係になってしまった点となんかユーザー層が高齢化してきてる肌感もあって、今はログインもしてないし、iPhone→Androidに機種変した時点でアプリをインストールしなかったから、私の中ではfacebookはmixiみたいな位置付けになってしまったのよ。(あえて言うけどmixiは好きでした。過疎化という位置付けで比喩として使いました。あとFBのアクティブユーザーいたらごめんなさい…)

TikTokに関してはまだ手を出していないので未知数だけど、ユーザーの大多数がZ世代らしく、あたしゃびびっているよ。(笑)

来月からはフルタイム学生になって、まさにZ世代の現役ティーン達と同級生として渡り歩くわけだから、TikTokくらい知らないとねとも思うけど(笑)


SNSとの上手な付き合い方の結論

・投稿しているものは、その人の一部でしかないこと。
・しかもその一部は、その人の良い面しか切り取っていないということ(何回もいうけどこれは傾向の話)
・それに対して嫌悪感や嫉妬心(閲覧している自分が嫌な感情や気持ちになったら)を抱いたら、しばらくSNSは見ない方がいいということ。
・アプリ自体を消すや、そのアプリをスワイプを何回もしなくちゃいけん程遠くに配置したり、その人の投稿をミュートにしたり、思い切ってフォローを外してみるとかね。


オンラインよりもオフラインに目を向けてみては

・近所の公園にお散歩行ってみるとか!
・映画館で映画を観る、またはカフェや公園で本を読んでみるとか!
・端末をオフってみて、目の前にいる人との時間に集中してみるとか!
・あの人元気かな〜って顔が浮かんだ人にお手紙を書いてみるとか!
・たまにはケチケチしないで、美味しいご飯、贅沢をしてみるとか!(インスタ映えは関係なくね)
・近所の銭湯に行って整ってみたりとか!
・いつもより長く寝てみるとか!

美味しいご飯を食べて、たくさん睡眠をとって、程よく身体を動かして、
泣いたり、感動したり、癒されたりと感度を揺さぶられる体験をたくさんすると、本来の自分が取り戻せるよ。

疲れたら、その分休めばいい。
それでも休めない人は、もっと人を頼っていい。

生活を整えていくと、少しずつ気力や体力や知力が戻ってくるから、その時点でSNSがしたくなったら、またSNSに戻ればいい。


何事も程よく付き合うこと、自分は自分なのだということを忘れないように〜!自戒を込めて!!


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