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メキシコ道中私日記-4日目ースレスレの恋

【The Shops at Downtown -テキーラ・メスカル博物館(Museo del Tequila y el Mezcal)-メテペック(Metepec)-トルーカ(Toluca)】

※この記事は、別のアカウントから移行したものです。

 今日は、普段はユカタン半島の家で生活していて帰省のためメキシコシティの方に来ているというJ君(31)と会う予定だ。待ち合わせは三時にソカロなので、それまで適当に時間を潰そうと、近くのショッピングセンターに向かった。

 The Shops at Downtown は、他の近代的な建物のショッピングセンターとは全く趣が違い、ヨーロッパ建築の様な重厚感ある建物のショッピングセンターだ。建物の中心にある吹き抜け部分を囲むように沢山の小部屋があり、アクセサリーショップや洋服屋が入っている。一階のエントランスを入ったところの建物中心部分はレストランになっていて、薄暗い中にランプの明かりがぼんやりと煌めいていてロマンティックな雰囲気を醸し出している。こんなところで食事をしたら素敵だよなぁ、と思いながらも一人で入る勇気はない。値段もそこそこしそうだ。
 館内を一通り見終えると、お腹が空いたのでリーズナブルなKFCでブランチをして、近くの教会を見物した。

煌びやかな照明の館内

 教会の外ではホームレスのおばちゃんが奏でるハーモニカに別のホームレスのおっちゃんが、ハーモニカのリズムに合わせて手に持っているお金の入った紙コップを上下にシャンシャンと揺らしている。なんとも粋なセッションだ。ホームレスだからと卑屈にならずにどんな状況でもその場を楽しもうといった心意気がいい。

テキーラ・メスカル博物館

 教会を後にした私は、テキーラ・メスカル博物館(Museo del Tequila y el Mezcal)に向かった。本当はJ君と一緒に行こうと思っていたのだが、J君が私と会う日を勘違いしていて別の用事が入ってしまっていたので、時間の都合上一人で行くことにしたのだった。
 テキーラ・メスカル博物館は観光客で賑わうソカロ広場からそう遠くなく、徒歩5分~10分くらいの距離にある。しかし、博物館が近くになるにつれて、それまで見なかったシャッターの落書きが目につくようになった。
 もしかしてこの辺は少し治安が悪いのかな?
 建物や道なんかは少し荒れた感じはあるが道行く人は一般の通行人のだし、観光地の中心を離れて手入れが届いていないだけかもしれない。でも念のため注意して歩いた方がよさそうだ。
 帰国後に調べてみると、博物館の少し先は“絶対に行かない方がいい危険地域”の一つになっていた。私の直感もそれほど外れてはいなかったようだ。

治安の悪さを予感させるシャッター
落書きと放置されたゴミ

 そもそも”治安が悪い”とはなんだろうか。一言に治安が悪いと言っても、置き引きやスリから略奪強盗、強姦、人殺しなど色々ある。それらを一色担にして”治安が悪い”と言ってしまうのは曖昧過ぎではないだろうか。
 スリなんかだと防ごうと思えば防げるが、お金のために何でもするような相手だと防ぎようがない。
 誰を対象に犯罪をしてるかによっても違う。観光客なのか、女性なのか、現地の成人男性も対象なのか。
 犯罪の頻度だって、たった一回でも犯罪が起きて治安が悪いというなら地下鉄サリン事件が起きた霞ヶ関は治安が悪い場所ということになる。
 油断して歩いているとスリに遭う地域と、現地の人が昼間に複数で歩いていても殺される地域というのでは、同じ治安が悪いでも随分違う。
 南米の人と話していても、同じ国、同じ街出身なのに、「あそこは危ないから」という人もいれば、「全然危なく無いよ」という人が混在するので、夜中に男1人で歩いても平気?と聞いたりして多少の判断材料にしている。
 私にとって治安が悪いという最大のポイントは命に関わるかどうかなのだ。

 博物館は近代的な作りで明るいデザインだが、それほど大きくなく二階の博物館スペースはささっと見れば5分程度で見終えることができる。モニターと実物模型でテキーラの作り方やメスカルの作り方が分かるようになっている。蛇が入ったテキーラや、スカルのデザインをした瓶に入ったテキーラなど、沢山のテキーラの瓶も展示されている。
 二階を見終えた私はバーのある一階へ降りた。
 この博物館の良い所は、博物館の入場料を支払うと自動的にテキーラ一杯とメスカル一杯の試飲券もついてくるという点だ。
 店全体がオープンテラスのようになっているバーに入ると、席に案内された。待っていると、おばちゃんがテキーラ一杯とメスカル一杯をそれぞれショットグラスに入れて持って来てくれた。テキーラはアルコール度数38%、メスカルの方は45%だったが、どちらもスッキリとしていて度数の割にはとても飲みやすく変なクセのようなものもなく、飲みやすかった。何杯でもいけるような気がしてくる。

思わずテンションがあがる壁面の色

 今回の旅で、飛行機内以外初めてのアルコールだった。
 あー、やっぱりお酒はやっぱり美味しいなぁ!
 いや、このお酒を飲んだ時の感覚が良いだけなのか?
 ほろ酔い加減で外の景色を眺め、解放感に浸っていると、J君から「博物館見終わった?」というメッセージが届いた。
 この日数回同じようなメッセージが来ていたのだけど、私は待ち合わせの三時に合わせて逆算して行動していたので、「まだ見てないよ」とか「今から行くところ」と返信していた。
「見終わってテキーラ飲んでるよ」
「じゃあ、お金は後で渡すから、タクシーでこれから言うところまで来れない?」
「私が移動するのは全然問題ないよ!ただ、メトロが慣れてるから移動はメトロがいいけど。お金は払わなくてもいいよ」
 この時はまだ近場の駅に移動するくらいだと思っていた。するとJ君からこんな感じの指示が来た。
「まず、タクシーで、オブセルバトリオ(Observatorio)のバスターミナルまで行って。財布とバッグは背中にしないで前で持ってね。バスターミナルに着いたら、トルーカ(Toluca)行のチケットを買って。僕はそこで君が来るのを待ってるから。そっちには色々観るところがあるから。帰りはホステルまで送るから心配しないで。トルーカまでのバスは大体1時間くらいだと思う。ホステルの受付にタクシーを依頼して、オブセルバトリオのバスターミナルの入口までって頼んで」
 いきなり予期せぬ内容の大量のメッセージで少し気が動転してちゃんとメッセージの意味を飲み込めない。言っておくが決してアルコールのせいではない。
 でも何か返信しておかないと次の連絡がいつか分からないし、なんて心配もあり、とりあえずこう返した。
「私はメトロの方が簡単だから、メトロで行くね。あと、トルーカって、遠くないの?着くの五時くらいになると思うけど、遅すぎない?」
「メトロの方が楽なら、それでもいいと思うよ。トルーカまではそんなに遠くないよ。こっちの方が、メキシコシティより色々連れていってあげられるからさ。五時からでも色々出来ることあるから大丈夫。帰りはどんなに遅くても送ってあげるから。沢山メスカル飲んだの?ハハ」
 私はグーグルマップでトルーカを調べた。
 いやいやいや、待て待て待て。結構遠いじゃん、トルーカ!
 明るい時間ならともかく、私が着くころには暗くなって来ている頃だろうし、バスだと間違って乗ってしまったら電車のように戻るのは簡単じゃない。そんな時間に、路頭に迷いたくない。バスなんて乗り物は、安全な日本でだって怖くてあまり乗らないようにしてるのに、海外なんてもっと恐ろしい。
「でもそんな時間にそんな遠いところに私1人でなんて行きたくないよ。往復で四時間かかるよ」と私はJ君に訴えた。
「分かった。じゃあそっちに行くよ。五時くらいになるけどいい?会ったら何したい?」
「うーん、ご飯食べよっか?食べたり歩いたりとか?」
「もっと早く会えていたら色々出来たんだけど、ごめん。君を色々な場所に連れて行きたかったんだけど、一緒にご飯食べるのもいいと思う。あ、そうだ。オブセルバトリオまで来れない?そこまで迎えに行くから」
 まぁ、メトロとメトロバスで行ける範囲ならいいか。私は観念してオブセルバトリオまで行くことにした。
「良いよ。じゃあオブセルバトリオまで行くね。」
「OK!」
 オブセルバトリオのバスターミナルは、昨日行ったチャプルテペックのバス停の二つ先のバス停だ。昨日行った道のりなので行くのは簡単だった。
 バーのカウンターを見ると、おばちゃんが「もう出て行って」と言っている。他にお客さんいないから良さそうものだが店には店の事情があるのだろう。足早に店をあとにした。

メテペック

 ラッシュ時間だったので、通常なら二、三十分くらいで着くはずのところを一時間以上かかってオブセルバトリオバスターミナルに着いた。J君に「着いたよ」とメッセージを送ると、「中で待ってて」と返ってきたので、適当な待合ベンチに座ってJ君を待った。
 それからメッセージでやりとりしながら30分ほどすると、ベンチに座っている私の背後から声がした。振り向くと革ジャンにジーンズ姿のJ君が笑顔で立っていた。
 バスのチケットを買ってもらい、乗り場に向かおうとするが、乗り場が分からず全然違うところに行って人に尋ねるJ君。ここのバスターミナルはまぁまぁ広く、日本の狭い地方空港よりも広い。しかし広いとは言っても、乗り場はなんとなく分かりそうなものな気がするが。
 二回程人に聞いてなんとか乗り場に辿り着いた。
 乗り場はチケット売り場のすぐ横だった。土地勘のない日本人でも、まずはチケットを売っている会社の近くに乗り場があるんじゃないかと想像しそうなものだが。
 バスの出発の時間が近づき乗り場に向かうと、運転手に「どこで降りますか?」と聞かれた。するとJ君は首を傾げながら「分からないです」と答えた。
(はいーーーーーー?あなたがどこで降りるか分からないようなところに私一人で行かせようとしたのかい、あなたは?)やっぱり一人で行かないで良かった。
 バスに乗ると、隣合わせの空席がなかったので私達は通路を挟んで横に座った。バスは既に日が落ちて真っ暗な道中を進んでいく。標高が高いところに向かっているため耳が詰まってくる。
 J君とお話したいけど、バスの中がシンと静まり返っていて、へたくそなスペイン語で話して他の乗客たちに聞き耳を立てられるのが恥ずかしい。隣の席だったらこっそり話せたのにな、なんて考えながら控えめに言葉を交わす。
「次かな?次、降りるよ」と言われて降りた場所は、幹線道路が交差している以外何もない場所だった。
 J君がUBER呼ぶからと言ってコンビニみたいなところの場所に移動し、私達はUBERを待った。
 以前メキシコに来た時はUBERなんてものはなく、タクシーしかなかった。ただ、ボられる文化はメキシコ古来のものなので、流しのタクシーには乗らずに、ホステルでタクシーを呼んでもらって乗っていた。
 UBERの場合メーター式のタクシーと違い事前い料金が決まっているので安心だ。便利になったものだ。

 私達を乗せたUBERはショーウィンドーの灯りなどで賑わっているところにやって来た。車を降りて頭上を見上げると、カラフルな傘が沢山綺麗に並べられている。
 J君は「この土地名物の緑のお酒があるから飲みに行こう」と言い、一軒のバーを訪れた。
 西部劇に出てくるような木のスイングドアを開けて中に入ると、強めのタッチのイラストが壁前面に広がっていて、それほど広くない店内には沢山のお客さんで賑わっていた。そしてJ君の言った通りほとんどのお客さんの元にその名物である緑のお酒が置かれていた。
 ショットグラスに入った緑のお酒は何のお酒か分からなかったが、昼に飲んだテキーラのような味がした。私は店内の雰囲気とお酒をじっくり味わっていたら、J君は三分の二ほど残っていたお酒をくいっと一気に飲み干した。私も少し急ぎ目に残りのお酒を飲みほして、バーを後にした。

『Bar 2 de Abril』
名物緑のお酒ガラニョーナ(garañona)

 
「ここはまだトルーカじゃないんだ」
「ここはどこなの?」と聞くと
「ここはメテペック(Metepec)というところだよ」と返って来たが、すぐにその名前を覚えることが出来ず、何度か聞いては忘れて、忘れてはまた聞いた。

 少し高台になっているところを見上げると教会らしき建物が建っている。手前の空間にはクリスマスのイルミネーションやオブジェが綺麗に飾られている。坂を登って頂上まで行くと、メテペックの街が一望出来た。さっき頭上あった綺麗に並べられた傘が遠くの下の方に見える。
 どこまでがクリスマスのイルミネーションでどこまでが通常時のイルミネーションか分からなかったが、高台から見る夜のメテペックの街は綺麗だった。
 もっと早い時間にJ君に会えたら良かったのにとも思っていたが、もっと早く会ってたらこの綺麗夜景は見れなかったかもしれない。と思うと夜に来れて良かったなぁと、この街の昼の顔を知らない私は勝手に満足していた。
 そういえば空気がとてつもなく気持ちいい。メキシコシティは、乾燥と車の排気ガスで決して空気が綺麗とは言えない環境だった。きっと本州で育った人には気づかない感覚かもしれないが、北海道出身の私は年間を通して東京のジメジメとした空気の不快感に悩まされている。その点ここの空気の湿度と気温は抜群に良かった。
 空気が精神に与える影響は大きい。スペイン人の元彼とスペインに行った時に喧嘩になりお互いだんまりになってしまっていた時も、最悪なムードとは裏腹に私の心が晴れ渡っていたのはスペインの爽快な空気のお陰である。

 高台から降りて街を散策していると、キューン、バババン、とけたたましい音が聞こえた。音が鳴る方を見ると、背中にロケット花火を背負って走り回っている人がいる。
「あれは何をしてるの?」
「クリスマスの時期はこうやって花火をやるんだよ」
 クリスマスにロケット花火かぁ。正月でやる国はいくつかあるけど、クリスマスでやる国もあるんだなぁ。
 メテペックの街はそう大きくなく、主要部分を見終えるのにそんなに時間を要さなかった。

 本日の目的であるトルーカへ向かうため、UBER待ちをしていると、一人のホームレスのおっちゃんが、コインの入った紙コップを持って近寄って来た。物売りではなく完全なホームレスだ。
 私が完全無視の態勢に入ろうとすると、ホームレスのおっちゃんはJ君に話しかけた。当然断るだろうと思って見ていると、J君はポケットからコインを取り出して紙コップに入れた。若干鈍いチャリンという音が聞こえた。
「ありがとう、兄弟!」と喜びを口にするおっちゃん。そして次の瞬間、J君も「良い日を!」みたいな言葉を語りかけ、両手を広げておっちゃんの肩をぎゅっと抱きしめ、腕を解くとグータッチした。その後お互い十年来の親友のような笑顔でしっかりと相手の目を見て言葉を交わし、おっちゃんは去って行った。
 だんだん自分の中に張ってあった偏見のフィルターが破れていく。
 「何であげたの?」「他の人も普通あげるの?」「いくらあげたの?」色々聞きたがったが、そんな愚問は恥ずかしくてできなかった。

並んだカラフルな傘
イルミネーションに彩られた教会

トルーカへ

  メテペックよりも少し大きい街、トルーカに移動し、観光スポットを見て回った。「ここは警察がいないから、カメラは出さない方がいいよ」と言われたところではスマホで写真を撮った。
 流石に地元のJ君、この辺りには詳しく名所の説明にも力が入る。気がつけば饒舌なあまり早口になっていて、私の読解力が追い付いていない。その様子に気づいたのか、「あ、ごめん、話すの早すぎた?」と質問する。
「うん、そうだね」と私は笑いながら答えたが、その一生懸命に説明する姿を見ていると正直意味が分からないとかどうでも良い気がしてきた。
 そうか、私をここに連れて来ることにこだわっていた理由がやっと理解できたよ。自分が慣れ親しんだ地元を私に紹介したかったんだね。なんでメキシコシティに来てくれないんだろう、とか思っちゃったけどそういう意図があったんだね。気づかなくてごめんよJ君。
 メキシコシティで会っていたら、こんなJ君の姿は見れなかったはずだ。
 今日ここに来れて良かったと改めて感じた。

***

 実はJ君とは二ヶ月ほど前に日本で会っていた。J君とは6年ほど前にネットで知り合い、最初の頃はやりとりはしていたものの、自然とやりとりが途絶えていた。しかし今年になって日本に旅行に来るというので久々にメッセージをくれたのだった。その連絡があってからも、そう頻繁にやりとりがあるわけではなく、必要なこと+α程度のメッセージが数日に1回来るといった程度だった。
 私の家の近くで会うことになり、その日J君はUBERでやって来た。出会う前までは雰囲気写真しか見ておらず、しっかりと顔を認識していなかった私は、どんな顔なんだろうとドキドキワクワクしながら待っていた。UBERが私のいるところに近づき停車すると、J君は車内から私の方を見て満面の笑顔で手を振って来た。私もその笑顔が伝染し全力の笑顔で手を振り返した。
 (かわいいー!)
 顔立ちが、とかそういうのではなくて、小さい子を見た大人が言うような、かわいいである。よく写真を撮る時に他の人から「笑って」と言われる私は改めて笑顔の大切さを感じた。
 二人で歩き始めると、とても緊張しているのが伝わって来た。J君はサングラスに革ジャン、綿パンに革靴という井出達だったが、その柔らかい笑顔と緊張気味に話す姿に、写真とチャットではクールなイメージを想像していた私は少々意表をつかれた。
「こうやってネットで知り合った人と実際に会うの初めてなんだよね。だから凄く緊張してて」
「うん、分かる。そうだよねー」と返したが、私は何人にも会ってるから平気だよ、とは口が裂けても言えなかった。
 J君はそんなに口数が多いわけではなかったので、「シャイなの?」と聞くと「そう。でも小さい頃はもっともっと大人しかったんだよ」と、下を向いてはにかみながら言った。
 日本ではJ君の滞在中二度会い、二度日目の時は私の息子も一緒に夜景の見えるレストランで夕食をともにした。食後、息子にバレないように手を繋いでいたが、手元が見えていないはずの息子に「なんかデートしてるみたーい」と言われた。
 息子が寝た後、その先のイチャイチャなんかもあったが、帰国後にさらに盛り上がったとかも特になく、やり取りの内容や頻度は会う前と変わらなかった。

***

スレスレの恋

 「夕食、何が食べたい?」といくつか選択肢を与えられたので、その選択肢の中からメキシコ料理のお店と答えた。
 大量の警察がたむろしている横を通り抜けて、レストランに入り、入り口で受付を済ます。手首には入場を示す蛍光ピンクのテープを巻かれた。受付の人がインカムで指示をするとウェイターがやって来て、真ん中のステージに向けられてセットされたテーブル席に案内された。その仰々しい雰囲気に私は緊張気味に席についた。
 空間、料理の皿や演出など、何からなにまで派手だった。ステージで生バンドの演奏が始まると、男性一人、女性二人からなるバンドは80年代洋楽ロックを数曲熱唱し、続いて10年程前のスペイン語の曲を披露した。演奏が終盤になるにつれて観客は立ち始め、一緒に踊りだし、本当にクラブにいるような状態になった。音量もかなり大きく、大声で話さないと会話ができないのもクラブのようだった。
 「音楽大丈夫?」と聞かれたので、「どちらもよく知っている曲だからいい感じだよ」と答えた。
 ワインを二、三杯飲んだ辺りでスマホの時計を見ると10時半くらいになっていたので、「最終のバスって何時なの?」とJ君に聞いた。するとJ君は「もうない、と思う・・・」と言った。
(だよね。うん)
 つまりはどういうことなんだろうか、と思ったがJ君がなんとかしてくれるのだろうと思い、引き続き音楽と食事を楽しんだ。お店を出たのは12時を過ぎていたと思う。歩きながら「これからどうするのだろう」と思いながら雑談をしていたら、「お母さんが迎えに来るから」と言った。

立ち上がって生バンドの曲に合わせて踊るお客さん達

 向かえが来るまでの間その辺をぶらつきながら雑談をする。ただ私はお母さんとの待ち合わせ場所を知らないので、どこかに向かっているのかただそれまでの間の時間潰しでぶらぶらしているだけなのかは分からなかった。
 日本での別れ際には別れを惜しみながら、挨拶とは違うタイプのハグとキスをして別れたはずだけど、そんな事実が本当にあったのだろうかといった素振りだ。二人の間には遠くはないけど、近いとも言えない距離感がある。
 今回会った時には前回の続きくらいの距離感で会えるかなぁと勝手に期待していたので、若干肩透かしをくらった感じもあった。
 でも忘れちゃいけない。J君はシャイなのだ。私は行動に移すことにした。
 横断歩道を歩いている時、チャンスを計らい「エイッ」とJ君の手を掴んだ。するとJ君も握り返してくれた。
 しかし間もなくしてお母さんの車が到着して手と手は離れた。

 J君ママの車が到着して、後部座席にJ君と二人で乗り込む。J君ママはお上品な装いで話し方も落ち着いていて、ザ・ラテンといった感じではなかった。運転席のシートを最前までずらしたJ君ママが15~20分ほど車を走らせるとJ君の実家に着いた。中に案内されると、私がよく目にする中南米の家とは全く違う、ヨーロッパにあるようなカラーリングとデコレーションが施されたリビングで、J君ママ同様上品な感じのJ君パパが出迎えてくれた。
 浅葱色の壁にはワイングラスの収納やワインの絵が描かれた半立体額縁に半円を描くように配置された楕円のオブジェ。キッチンに通じるアーチ形の入口とアーチ形の窓枠。床に置かれたレトロなデザインの暖炉。
 空間フェチの私のアドレナリンは一気に大放出されて、「え、凄い!!これ誰がやったの?」と聞くと
「ママだよ」とJ君が答えた。
「えー、凄い!写真撮ってもいい?」と聞くと
「いいよいいよ。どうぞどうぞ」とママが微笑みながら言うので遠慮なく撮らせてもらった。

 事前に、次の日から三泊の小旅行に行くため朝早くにメキシコシティの戻らなければならないことJ君に伝えていたので、そのことをJ君ママに伝えると、「じゃあ明日は五時起きね」とJ君ママは言った。
 「明日はどこに行くの?」と聞かれた。
「ミチョアカンの方。グァナファトと、サン・ミゲル・デ・・・・」
「アジェンデ!」
「そう、それ!」
「グァナファトはミチョアカンじゃないわね」
といった具合に私の旅についての雑談を少しして、既に一時近かったこともありもう寝ようということになった。

 「ここで寝てね」と通された部屋はJ君の部屋だった。部屋にはベッド、机、大きなテレビ、いくつかの楽器の他、ミニ掛け軸など日本文化のものも沢山あった。日本古来のものに興味があるようには見えなかったけど、実はちゃんと日本好きだったんだぁ、凄く意外!
 正直なんで彼が日本に来たのか謎だった。日本文化が凄い好きという感じもなかったし、一緒に秋葉原に行っても、アニメや漫画に興味を示すわけでもなかった。「何で日本に来たの?」と聞いた時も、なんとなく、みたいな返事だった。なんだ、しっかり日本好きだったんじゃん。
 楽器は電子ピアノの他、ギターケースのようなものが数本あったので、「楽器弾くの?」と聞くと、「あんまりできない」と、はにかみながら答えた。ストイックに何か打ち込むようなタイプには見えたなかったので、彼らしいなと思った。
 四畳半くらいの部屋の真ん中にベッドが置かれていて、他のスペースには机やテレビ、キャビネット等が置かれているので、私は唯一座れるスペースがあるベッドに座った。その脇のギリギリ立てるくらいのスペースにJ君が立っている。
「明日一緒に行く友達は何歳なの?」
「J君と同じくらいじゃないかなぁ?はっきり覚えてないけど」
「自分と同じくらいかぁ・・・」 視線を私から逸らし辺りを見渡しながら何か考えている。少し間があって
「彼女はいるの?」
 え、何?気になってくれちゃってるの?私は顔には出さずに心の中でニヤリとし、少し意地悪な質問をした。
「いないと言っていたけど、なんでそんなこと聞くの?」
 また一瞬間の間があり「別に。ただ気になっただけ」と言った。
 そういえば、メキシコでJ君と会った時に「もう少し会える日があると思ってたから・・」と言われた。
 そうだよね。ごめん、最初の二日間はJ君側の都合が悪かったけど他の日が全部埋まってるなんて思わないよね、普通。他の日は誰と何してるんだろうって思うよね?ましてや泊りがけだったら尚更だよね。実際のところ特定の相手がいるわけではないけど、J君からしたらそんなの分からないもんね。逆の立場で経験することもあるからその気持ちはよく分かる。私のことを好き好きと言っているのに、他に何人も会ってたりする人とか、全員にアピールしてるのかなとかって考えちゃったりするもん。

 狭い部屋の中で会話をやめると、シーンとなって空気が気まずくなりそうなので、話題を色々探して会話を続けた。
 でも明日は五時起き。お互いそろそろ寝ないといけないだろう。二人だけならともかく、ママパパも同じ屋根の下にいる中でJ君もそう長くこの部屋に居るわけにいかないだろう。
 とはいえ、せっかくメキシコまで来たんだ。このまま帰るのも名残惜しい。そう思った私は、手を伸ばせば触れる距離のJ君に手を伸ばして両手を掴んだ。J君もそれに驚くことなく、私の目を見つめた。その流れで私達は抱き合い、空いたままのドアのから隣の部屋にいるお母さんに聞こえないよう音を立てずにキスをした。そしてJ君が吐息を漏らすとともに私の腰を両手でギュって掴んだ瞬間、会話が聞こえて来ないことを変に思ったのか、たまたま用があったのか、J君ママが何やらこちらの部屋に向かって話しかけてた。
 その声に焦った私達はさっと離れた。
 J君ママが部屋に入って来て用件を伝えているが、私は笑いをこらえるのに必死で、後ろにいるJ君ママの顔が見れない。後ろを向いたままで失礼なのは分かっている。だけど無理だ。こんな顔を見せられない。
 J君ママの突入をきっかけにして、歯磨きをするため同じ階にあるバスルームへ行った。バスルームも完璧に手が加わえられていて可愛い。さっきJ君パパがさっと渡してくれた歯ブラシで歯磨きをしながら考えた。
 顔はどうしようかな?メイク道具を持って来ていないし、メイクを落とすとすっぴんかぁ。すっぴんを見られるのかぁ。元々薄化粧だからほぼすっぴんみたいなものだけどガチなすっぴんを見せるのは恥ずかしいよなぁ。しかもメイク落としも洗顔も化粧水もないから、中途半端に顔を洗ってもなんか気持ちが悪いし。でもメイクを落とさないのも気持ちが悪いし。
 でもやっぱり洗おう!結局ハンドソープで顔を洗い部屋に戻ろうとすると、廊下でJ君に会った。
 自然と吸い寄せられる私達。再びそっとキスをする。やっぱり二人がいるのに会話がないというのはやはり不自然だったのだろうか、少しすると、ガチャッとJ君ママの部屋のドアが開いた。また私達は同局の磁石を合わせたようにぱっと離れた。

 寂しい気持ちで部屋に戻り、物は多いが整頓された部屋の中を見渡す。日本語のテキストがある。テキストと一緒にあったノートをとってめくると、沢山の日本語の例文が書かれている。日本語なんて平仮名・カタカナが読めるくらいと聞いていたし、実際に日本を話しているところも見たことがなかったので、日本語をちゃんと勉強してたという事実に驚いた。
 お母さん、お父さんはすごくしっかりしていて、今は住んでいない息子の部屋もちゃんと片づけられている。J君がいい環境ですごく大切に育てられていて、真っすぐ育ったんだなぁというのが伝わってくる。本人はちょっと頼りないけれど。

 眠りに着いて目が覚めると、起きなければいけない時間の五時よりも少し早かった。スマホはバッテリーが無くなりかけていたため昨日から電源を切ってある。特にやることもなく少しボーッとしていたらドアをコンコンと叩く音と「おはよう。五時よ~」というJ君ママの声が聞こえた。

 メキシコシティまでは、シートを最前まで出したJ君ママの運転で向かった。助手席にはJ君パパ、その後ろに私。その隣にJ君が座った。
 J君がJ君ママとの会話の中で「彼女がトルーカは遠いって言うから・・」
というのが聞こえた。
 するとJ君ママがその言葉に対し「トルーカは遠いよ」と強くはっきり言った。
(ほらー!!でしょー、でしょー。トルーカは遠いのよ!)よくぞ言ってくれたJ君ママ!
 J君は何も言い返さずに黙った。
 J君ファミリーの雑談を聞きながら視線を膝上にあるJ君の手元に落とした。私がそっと手を乗せるとJ君は握り返してきた。そしてもう片方の手で私の手を挟んだ。私の手を撫でながら、何もなかったかのようにJ君ママと話をしている。
 あぁ、なんで私こんなスケジュールにしちゃったかなぁ。クリスマスを挟んでいたので、その時期は施設関係が休みになる可能性のある都会のメキシコシティより、田舎に行って景色を眺めていた方が潰しがきくと思ったのだ。もっとJ君と会えるようなスケジュールにしておけば良かった。
 でも今更そんなことを考えても仕方がない。

 車はメキシコシティに入り、見覚えのある景色が見えて来た。だんだんとホステルに近づいている。同時にJ君との別れも近づいている。
 数時間後には次の旅に出ているというのに、私の心はまだ重く現在進行形の今の旅に根が生えたまま、次に移動する準備ができていない。
 そんな心に重力が大きくかかった私を乗せた車は迷うこともなくスムーズにホステルに到着した。ホステルの反対車線に車を停車させ、私はJ君ママとJ君パパにお礼を言い別れを告げた。J君と二人でホステルのある反対側へ渡る。車はホステルの真正面から少しずれていたので、車からは私達の姿は見えない。     
 ホステルの前で日本での別れの時同様に、挨拶ではないハグとキスを交わした。これが最後の別れになるかもしれないと思うと名残惜しいが車ではJ君ママとJ君パパが待っている。仮に待ってなかったとしても、ずっとここにいるわけにはいかないのだ。
 私は聞こうかどうか迷っていたことを聞いた。
「27日は空いてる?」27日は帰国日であり、旅の途中で新しい予定が出来るかもしれないと思い、空けておいた日でもある。
「空いてるよ」
「じゃあ、27日会える?」
「いいよ」
 そうして27日も会うことになった。しかし、「いいよ」と言われたけれど、何があるか分からないのが旅というもの。日本人同士ではあまりないが、海外の人と会う約束をしていると、大幅な予定変更になることというのはよくあるのだ。半分期待、半分不安な気持ちで私はJ君と別れた。
 実際後日、その不安な気持ちの方が的中してしまう。

 ホステルに戻ってスマホを充電すると、今日から旅をともにするA君からメッセージが入っていた。「早めに着いちゃった。今バスターミナルにいる。とても寒い。準備ができたら教えて。UBER呼ぶから」
 昨日の夜、予定外の外泊になってしまったので、「迎えに来るのは少し遅めでもいいよ」と伝えてあったのだが、ヤバい。早くシャワーして準備しなきゃ!
「分かった!急いで準備するから、ごめん!」と伝えて急いで準備した。

<メキシコ道中私日記5日目-恐怖のアウトピスタ>に続く

<メキシコ道中私日記-1日目から読む>

#メキシコ #Mexico #CDMX #異文化交流 #旅 #1人旅 #国際交流   #国際恋愛


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