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メキシコ道中私日記−2日目ーX氏との出会い

【コヨアカン~メキシコ国立自治大学(UNAM)~ショッピングセンターOasis~ラテンタワー(CDMX)】

※この記事は、別のアカウントから移行したものです。

風邪を引く

 その日はホステルの2段ベッドの下に横たわりながら、かんでもかんでも懲りずに出てくる鼻水と格闘していた。枕元には着替えや本に紛れて丸くなったティッシュが大量に積もっている。日本からポケットティッシュを沢山持ってきておいて良かった。花粉症かなぁ。でも喉も痛いからきっと風邪だろう。メキシコシティの空気は風邪を引くのに万全の気候だった。乾燥がひどい上、冬でも日中は25度ほどまで上がり、対して朝と夜は5度くらいまで下がる。終日出歩く時などは非常に服装に困る。よって街の人の服装もバラバラだ。半袖の人もいれば長袖ダウンジャケットの人もいる。日本の情報番組とかだと季節の変わり目にお天気カメラに映った街の人を見て「あー半袖の人がいますねー」とか「皆ジャケットを着ていますね」とか言って服装をチェックをしたりするが、そんてことは絶対にできない。だって皆服装がバラバラ過ぎて、それを見てもその日の天候はなんて分かりっこしないんだから。

 そう、今回は冬の旅ということで、春~秋にしか旅行したことのない私は持参する服にとても困った。夏であればジーンズにTシャツ。Tシャツは宿で適当に洗っても次の日には乾くので3枚くらいあれば事足りる。しかし冬服の場合、厚手のセーターやカットソーなんかは宿で洗濯しても1日では乾かないので、洗うのは大変だ。悩んだ末、インナーに長袖Tシャツを着てその上にセーター等を着ることにした。そうすれば中のインナーだけ洗えば多くの着替えを持って行かなくても済むじゃないか。
 しかし、いざメキシコに来てみると、セーターなんか着たら暑くてたまらない気温だったのだ。メキシコの知人達が冬に寒い寒いと言っていた記憶があって、メキシコの冬は寒いと勝手に思い込んでいたのだ。だからまさかこんなに冬が暑いとは思わなかった。来る前に現地の人に聞くとか、天気予報を調べれば簡単に分かるはずなのに、不覚にもそれをせず冬服だけを持って来てしまった。なんたる準備不足!

 さすがにこれで10日間過ごすのは無理だと思い、初日L君と別れた後にTシャツを調達した。メキシコの洋服は比較的安い。Tシャツやカットソーなどのインナーなら1,000円~3,000円程度で入手できる。ZARAなんかだと日本ではファストファッションで安いお店のイメージだが、ZARAくらいの価格帯は高級とまではいかないが高い方のお店に入る。
 ソカロには沢山の洋服屋が並んでいる。良さげなお店を数件物色している中でクイダード・コン・エル・ペロ(cuidado con el perro)という犬のマークがロゴになっているお店があった。その辺りの多くのお店は入口のガラスの壁やドアがなく全面開放されているので、道路からそのままスッと入れるので気軽に入ることができる。
 他のお店と同様ガードマンの脇を通り入店すると、全面黒い壁の内装に、コラボなのか勝手にデザインしているのか分からないAC/DCやKISSなどのロックバンドのTシャツが大量に飾ってある。大体どの洋服屋もファストファッション風の内装とシステムなので、挨拶とかはされても店員が積極的に声をかけてきて商品を勧めるなんてことはない。だからそういうのが苦手な私にとってはとても買い物がしやすい。その店の洋服は比較的デザインもシンプル過ぎずゴテゴテ過ぎない程よいデザインで価格もリーズナブルだった。エスカレーターで2階に上るとレディースとメンズの商品が並んでいた。そこで日本に帰っても着られて旅中もパジャマ代わりにできそうなデザインのスモーキーピンクのTシャツを買う事にした。
 レジに向かう列は15人ほど並んでていて、両脇に商品が置かれたジグザグな通路を通ってにレジに向かう。レジの店員さんは男性が多かったのだが、やはりアパレルで働いている男性達。ファッションへの関心度が街中の人と少し違う。いや、少しではない。大分違う。そしてこの”違う”というのは関心度だけでなく、方向性も日本とは違う。髪型はランダムな長さでまとまりがなく、アーティスティックにデザインされていて、派手な柄のシャツで「オシャレしてまっせ」という意志がシャツから滲み出ている。
 私の番になり「オラー!」と声をかけると笑顔で「オラ!」と返してくれた。メキシコは日本のような‟接客は笑顔でしましょう”といったマニュアルなんかないはずなのに、大体どのお店に行っても、アジア人の顔をしたたどたどしいスペイン語を話す私にも気持ちのいい対応をしてくれる。ヨーロッパなんかを旅すると、国によって差はあるものの差別の嵐なので、前の人には笑顔で話しかけていたのに私の番になると急に顔が険しくなりキツイ言葉をかけられるなんてのは日常茶飯事だった。だからどこに行っても差別されることなく現地の人と同じように扱ってくれるメキシコ人の心の余裕に驚かされた。ちょうど日本の田舎に行った時にお店のおばあちゃんが自分のペースで接客してくれるような感じだ。その余裕さがメキシコでは、人が忙しく行きかうの街なのにも関わらず感じられた。
 メキシコでは小さな買い物の場合、日本のように会計時にレジ袋はいるか?と聞かれることはあまりない。後日知人向けのお土産用にTシャツを買おうとこのお店に行ったのだが、たまたまエコバッグを持っていなかった。レジのお姉さんに「袋は要りますか?」と聞かれたので、30円くらいかと思い「Si」と答えたら不織布にこのお店のロゴである犬マークが印刷された手提げ袋を渡され、後でレシートを見たら10ペソ(約100円)とられていた。レジバッグは意外に高い。

 気候のせいで風邪を引いたのか、同室のベッドに籠っている子の風邪がうつったのかは分からないが、とにかく私はどこかで風邪を引いたようだ。朝起きてとりあえず日本から持参していた風邪薬を飲んだ。

コヨアカンへ

 メトロに乗る為ソカロ広場の脇を通ると、靴磨き屋さんがいくつか出ていた。お客さんは少し高い台に座って磨いてもらうシステムだ。一つの靴磨き屋さんをよく見ると、お客さんはなんと警察の制服を着ているじゃないか。日本だと警察が公務以外のことをするなんてあり得ない。メキシコの警察は一般の人同様に靴磨きをしたり、のんびりマックを食べたりして、自由に過ごしている。食料入手のために消防士や救急隊がちょっとコンビニによっただけで大炎上する日本とは大違いだ。

靴磨きをされる警察官

 今日は、昨日会ったL君とコヨアカン(coyoacan)というところにバイクで行く予定になっていた。昨日会った時に、「バイク乗りたい?」と聞かれたので普段バイクに乗る機会のない私は「乗る!乗る!」と食い気味に答えた。
 今日の目的地であるコヨアカンの途中の駅「エルミータ(Ermita)まで来て」と言われたので、エルミータまでメトロで向かった。今日は女の私1人だったので、比較的空いている女性専用車両を利用した。乗客は女性だけだったが、車両を渡り歩く物売りの中には男性もいた。物売り達はヘアアクセサリや飴、飲み物など、様々な物を売っていたがどれも商品のチョイスがピンポイント過ぎるものばかりだった。そのピンポイントな供給にはまったのか、たまたまそれを見て欲しくなったのかは分からないが意外と買っている人は多かった。

これより先は女性専用車両

 エルミータ駅に着き、私は改札を出て駅前付近でL君に「着いたよ」とmessengerでメッセージを送った。風邪を引いているせいか、日陰にいると寒かったので日向の方に移動して待っていた。目の前に停まっては発車していく路線バスの運転席側の扉は常に解放されている。

ドアを開けっぱなしで走るバス

 待ち合わせは十時だったが、交通渋滞に巻き込まれたのか、なかなかL君が来ない。具体的な待ち合わせ場所みたいのが決まっていないので、messengerを度々確認する。L君から「着いた」という連絡が来たのは待ち合わせ時刻の30分後だった。L君に対面した時に特に「ごめんね」とかいう言葉もなかったのでそれが日常ってことなんだろう。まぁメキシコだしね。   世間のイメージはメキシコ人は時間にルーズそう、と思っているも多いかもしれない。私もそうだった。しかし、今年日本で会った8人のメキシコ人たちとメキシコで会ったメキシコ6人を合わせてもそんなことはなく、絶対向こうは遅れてくるだろうと根拠のない思い込みで待ち合わせ時間ギリギリに行った私は相手を待たせてしまうことが多かった。

 「どこにいるの?」と聞くと、私がいる反対側にいると言う。反対側に行こうとするが線路があるために行き方が分からない。すると「一旦また改札入って、駅の中を通って来たら簡単だよ」というので、私は一度出た改札を再び入って反対側の出口に向かう。すると出口が三つあって、どの出口で出たらいいか分からない。「どの出口?」と聞くと「ここ」というL君から見えている景色の画像が送られてきた。あそこかな?とそれっぽいところの出口まで行ってみるが、出口を出ないとはっきり分からない。「その景色が見えなくて分からないんだよね」というとまた一枚違う画像が送られてきた。うーん、ここかなぁと今度は違う出口に走って行ってみる。でもやっぱり送ってもらった景色は改札の中からだと見えない。ちょうど改札のところに警察がいたので、(この国はいたるところに警察がいる)「この写真が見える出口はどこ?」と聞くと、「多分、あっちだと思うよ!」と違う出口を指さした。「ありがとう!」と言ってそっちの出口に向かって走る。階段を降りてると、L君の姿が見えた。再会できた喜びでL君はパッと明るい表情をうかべて両手をいっぱいに広げた。同時に私も明るい表情になり、その勢いでハグをしそうな気持ちになったが、実際にハグにはならなかった。
 L君と落ち合い、バイクに乗り込む。このバイクペダルに足をかけて、バイクをひょいと跨ぐ時の気分がなんとも言えない。久々のバイクに乗る私は遊園地のアトラクションに乗る時のような気持ちで興奮していた。
 異国の道路の真ん中をバイクから見る世界は、車から見える世界とは大きく違った。視界と風圧を遮るガラスもなく、直接外の風と音を感じながら未知の景色の中を進む臨場感はなんとも言えない興奮と爽快感がある。
 バイクに乗る前は、「ダラダラ出ている鼻水がメットに付いたらどうしよう」という心配をしていたが、いざ乗ると緊張と興奮からか鼻水はピタッととまり、心配は不要だった。

コヨアカンの街

 コヨアカンに着くと、メキシコお馴染みの街名が書かれたカラフルな立体オブジェがドーンと置かれていた。メキシコはいたることろにこのオブジェがあり、とりあえずのフォトスポットとなっている。

街の名前が書かれた立体オブジェ

 まずは市場(Mercado Artesanal de Coyoacán)を見学。まだ時間が早いのか、空いていないお店が多かったが、薄暗い空間に少し小汚い感じに物が乱雑に置かれている様は、これぞ海外の市場!といった感じだ。市場の奥の方に行くと、蛍光色のインクで立体的に発泡プリントされた絵が特徴のTシャツを壁一面に飾ってあるお店があった。派手な柄のものが多かったが、それほど派手でもなく上手く色がまとまっていて可愛い柄があった。ちょうど昨日8歳の誕生日を迎えた息子に買っていこうか。でも値段も分からないし、ここで価格を聞いてしまうと雰囲気に飲み込まれて買ってしまいそうだ。勢いで欲しくなっているだけではないか?このTシャツは本当に自分が欲しいものなのか?自問自答したが、結局その短い時間では決断できず、そんな心情をTシャツ屋の人に悟られる前にその場を去った。しかし後になって、やっぱり買っておけば良かったと後悔した。

市場の入口

 市場を出たあと、教会や公園などを軽く見て、本日の第二の目的地であるメキシコ国立自治大学(UNAM)へ移動することにした。

メキシコ国立自治大学(UNAM)

 メキシコ国立自治大学(UNAM)は、中央図書館の壁画が有名で世界遺産にも登録されているため、世界的にも有名な観光名所の一つになっている。
観光客も自由に入れるようになっていて、私達もバイクを停めた場所から遠くに見える壁画に向かって歩いて行ったのだが、特に門のようなものや入口みたいなものがないので柵の無い公園に入っていくような感覚でキャンパス内に入れた。この日は休校日だったようで広いキャンパス内には、僅かな観光客と、学生がまばらにいる程度で長閑な公園のようだった。
 壁画や建築をゆっくり見ながら、「この大学ってどのくらいのレベルなの?」とL君に聞いた。するとL君は人差し指を立てて私の目をじっと見た。
「えーー!!一番なのーーー!!」と私が言うと、L君が無言で頷いた。そして遠くにある建物を指さし、「あそこはMedicina(医学部)だよ」と教えてくれた。

UNAM:中央図書館の壁画

 そろそろお腹も空いてきたので「お腹空いてない?なんか食べない?」とL君に提案すると、「あそこでタコスを買おう」とキャンパスの真ん中にカートで来ていたタコス屋さんを指さした。
 手のひらサイズのタコスを3種類ずつ注文してもらって、私がお金を出そうとした。するとL君に制止された。「お金は自分が払うからいいよ」という意味の制止だったのか、「今払うタイミングじゃないよ」という意味なのか分からなかったが、私がお金を払うタイミングを見計らっていると、支払った様子を確認できないままL君が商品を受け取り、ありがとうと言ってタコス屋のおっちゃんがその場を離れていった。タコス屋の脇を見ると大量に緑のソースが入った入れ物がある。そこからお玉みたいなもので自由にソースをかけられるシステムなのだが、見るからに激辛なのが予想される。一応「これ辛いよね?」と聞くと「めっちゃ辛いよ」と答える。うーん、トイレが自由に行けないこの国で今からお腹壊したくないしやめとくかと思い、ソース無しのタコスを食べる。

 座って食べたかったので、タコス屋から10mくらい離れた生垣の縁みたいなところに腰をかけてタコスを食べた。ソース無しタコスはそのままでも美味しいのだが、やっぱりソースが欲しいと思ってしまう。味がついているのでそのまま食べてくださいと言われた水餃子を食べているような感覚だ。1.2個ならいいが3個目くらいになるとタレにひたひた付けて食べたくなる。
 タコスを食べ終わると紙ゴミを捨てるためタコス屋のカート方へ歩いて行くL君。そしてゴミを捨て終えたL君は少し近くの日陰で涼んでいたタコス屋のおっちゃんの方にすすっと歩いて行った。その様子をタコス屋のカートの脇から見ていると、L君がおっちゃんにお金を渡しているじゃないか。
 (えーーー、今!!⁉このタイミングで⁉)
 おっちゃんもこんなに長い時間お金を支払われていなくて心配じゃないの!?ここでもメキシコ人のお金に対する価値観を勘違いしていたようだ。隙あらばボるとか、そんなイメージでいたのに(失礼)、意外と信頼関係が成り立っているんだと気づかされた。

UNAM内のタコスx3

ショッピングセンターOasis

 大学を見終え、私は昨日事前に調べていたこの近くにあるショッピングセンターに行きたいとL君に伝え、ショッピングセンターOasis に移動することになった。
 ショッピングセンターOasis は、日本のららぽーとのような近代的な施設で、チェーン店の洋服屋やレストラン等が入っていた。そしてなぜか日本食レストランも3軒くらい入っていた。メキシコで日本食がそんなにポピュラーだったというのは意外だった。逆に日本で一番多いんじゃないかという中華レストランをあまり見ない。実際知り合いのメキシコ人でも中華料理を食べたことがない人とかもいるくらいで、ヨーロッパでも中華レストランはよく見かけたので中華レストランはどこに行っても普通にあると思っていた私には違和感しかなかった。

ショッピングセンターOasisの日本料理屋

 この日もL君は仕事があるということでフリーダ・カーロ美術館の前で降ろしてもらい、15時頃別れた。この日コヨアカンに行って、L君と別れてから1人でフリーダカーロ美術館に行くという予定だけ最初から決まっていた。なぜなら美術館は多少なりとも入場料がかかるし、それを興味のない人間に払わすのも躊躇われる。あとやっぱり美術館のようなところは1人でじっくり見た方が楽しめると思ったからだ。
 フリーダカーロ美術館の前では入場時間と思われる時間が書かれた紙を持った人とその後ろに並んでいる人がいて、私も焦ってその列に並んだ。
列の中からL君に向かって手を振りながら「またね~」と別れを告げた。バイクで立ち去るL君を見届けると係の人が私に話かけた。
「予約してますか?」
(えっ、もしや予約が必要だった⁉)
「してないです。本日分の予約はもう取れないですか?」
「もう本日分の空きはないです」
 並んだ時になんとなく嫌な予感はしたけれど、予約が無いと入れないということだった。この後一応ネットで確認はしたものの、しばらく先まで予約は埋まっていた。
 あー、L君と別れる前に確認すれば良かった。L君に連絡すれば戻ってもらえるかもしれないとも思ったが、呼び戻したとしても私を駅に送ったりなんだりしたら仕事に遅れてしまうだろうと思いやめた。仕方なくで歩いて駅に向かうことにした。
 普段から歩くのは好きなので歩くのは全然苦ではないのだが、なにせ風邪が足かせとなって、照りつける日差しの中を歩くのがしんどかった。喉が痛い。鼻も痛い。暑い。飲み物を飲みたい。朝駅で買った水の残りを大事にちびちび飲み、メントスを口に含み喉の痛みを誤魔化した。
 ホステルに戻り、飲み物と日本から持って来た風邪薬を飲みながら横になると少し楽になった。

長蛇の列ができているフリーダ・カーロ美術館

再びソカロ(X氏との出会い)

 今日は17時から別の人に会う約束になっていた。待ち合わせ場所はソカロ広場の中心に立っている大きな国旗の下。ここなら間違いなく会える。他の場所と間違うこともないし、待ち合わせている人も少ない。そんなはずはないのだろうが、メキシコの街で待ち合わせをしている人をあまり見かけない。駅の出口とかでちらほら見かけたけれど、日本の渋谷のハチ公前のように一つのスポットに待ち合わせの人がごちゃっといるという光景をあまり見ない。仮にいたとしても、メキシコシティでアジア人をあまり見かけないので、国旗の元にいるアジア人なんか私くらいだろう。あとは待ちわせ時間のタイミングで人を探してそうな人に対して"知らない人と待ち合わせしてますよー”という雰囲気を醸し出せばいいだけだ。ちょうど日本で外人と会う時の逆の立場だ。日本で外人と会う時は比較的こちら側は見つけやすい。指定の場所で外人にターゲットを絞って"初めての人と待ち合わせをしている風”の人を探せばいいだけだから、多少写真と印象が違っても見つけ出すのは難しくない。

 この日会う人と会う約束をしたのは前日。今日の午後や少しだけ空いている日があったので、誰かメキシコシティに住んでいる人はいなかったかなと思い、色々なアプリのチャットの連絡先を見ていたら数年前にLINEでやりとりしていたこの人がいたので「元気?今メキシコシティにいるんだよ」とメッセージを送った。するとすぐに返事が帰ってきて「一緒にご飯とかどう?」と言ってきたので会うことになった。

 国旗ポールの下で待っていると時間通り彼は現れた。歳は30代くらいだろうか?実はこの人は写真ですら顔を見たことがなかったので、どんな顔してるんだろうか、どっち系の顔なんだろうか、などと想像しながら待っていた。へー、こんな顔してたのかー。かっこいいか不細工かと言われれば、まぁ普通。不細工でもなければかっこいいというほどでもない。普通。服装は小奇麗で不潔な印象はなかったので良かった。なにせここはメキシコ。会ったり別れたりする際にハグやキスが必要だったりする場合もあるから、挨拶とはいえそういう習慣がもともとない私は不潔な人とそういう行為をしたくはなかった。本当は慣れとか関係なく、そんな風に思ってしまう私の心が不潔なのかもしれない。
 とりあえずご飯を食べに行こうと、食べ物やが多く集まるエリアの方に向かって2人で歩き出す。話し始めてふと大事なことに気づいた。
 名前。彼の名前が分からない。元々はアプリで知り合ったはずだけど、その後LINEに移動して、LINEの表示が名前になっていなかったので彼が一体どんな名前だったか分からなくなっていた。ここは多少恥をさらして最初にうちに聞いておくか。でもなんて聞く?素直にごめん、名前なんだっけ?と聞くか、いやでも聞かないでも行けるか?なんて考えているうち結局聞くタイミングを失い、最後まで聞けなかったが、彼も私の名前をちゃんと把握してないんじゃないか?という気もした。
 こんな時スペイン語のあなたという意味のTúって便利な言葉だ。名前を呼ばなくてもあなたを意味するTúで聞けばいい。その点日本語の場合「元気ですか?」と聞かれると、元気だよー、○○は?と、名前を入れることになるので名前を知らないと困る。あなたは?君は?なんて言葉としてはあっても、日本人が使うと何かよそよそしい感じがして違和感がある。あー、スペイン語で良かった。でも実はこの名前忘れちゃうってやつはあるあるで、もともとネットで知り合っているから相手の印象はそう濃くない。しかも複数の相手とやりとりしているわけで、いちいち名前なんて覚えてられない。さらに外人の名前は自由につける日本人の名前と違って決まった名前から選んだだけなので限られている。特にラテン系の男の名前はやたらJから始まる名前が多い。Jose,Jorge,Juan,Jaime,Julio,Jesus,etcetc…Juan に限ってはどんだけJuan Carlosがいるんだよ、と思うくらい多くいる。
 因みに私のWhatApp(LINEのような会話アプリ)には、名前+国旗の絵文字で登録してあるのだが、アイコンの画像を設定してない人だと、私が設定した名前+国旗だけが表示されるので、似たような名前だと瞬間的に誰か分かりずらく、違う相手と勘違いしてメッセージを送ってしまったりすることがある。皆お願いだからなんでもいいからアイコンを設定して欲しい。海でも山でも食べ物でも、なんなら無地の赤とか黒とかでもいい。私が間違って愛のメッセージを送ってしまってあなたに勘違いをさせないためにも。

 そのため会った時に名前を思い出せなかったり、分かっていてもすぐ忘れてしまうのだが、相手が気づかないようにこっそり調べたり、うまく聞き出して誤魔化したりしている。
 でもきっとそれは相手も同じだと思う。全然私の名前を呼ばない人は私の名前を覚えてないと思う。日本でも同じだが名前を毎回呼ぶ人と、全く呼ばない人にきっかり分かれる。私は後者なので、人の名前をなかなか覚えられない。いや覚えられないから呼べないのか?まぁどちらにしても私は人の名前を呼ぶという行為が苦手で、たとえパートナーだとしてもあまり名前を呼んだことがない。
 とりあえずこの人は仮にXとしよう。X氏も私の名前を一度も呼ぶことはなかった。

 「今日は何をしたの?」と聞かれたので、「今日はUNAMに行ったよ」と伝えると「自分はそこの大学に行ったんだよ」というじゃないか。
「え、そこって頭いいんじゃないの?」
「高校からエスカレーターで行ったからそうでもない。そこの医学部に行った。卒業してないけどね」
 医学部というとちょうどさっきL君が「あそこのビルが医学部だよ」と教えてくれたところじゃないか!今さっきまでいたところの大学に行っていただなんて、なんという偶然!
 たったそれだけのことなのだが、私はこういった偶然に弱く、妙に興奮してしまう。私は新しいものや未知なものが好きな体質なのだが、その真逆で矛盾するこの現象も同時に好きなのだった。

 レストランに向かう途中、トレ・ラティーノ(ラテンアメリカ・タワーーTorre latinoamericana) という高層ビルがあった。
「ここ来たことある?」と聞かれたので「ないよ」というと「自分もない」と言う。
 「行ってみる?」
 「みよっか?」
 と私はまぁまぁお腹が空いていて、今すぐ食事にしたいくらいだったけれど、上に昇って少し見るくらいならすぐ終わるだろうと思って昇ることにした。

 トレ・ラティーノはレストランや博物館なども入っていて、高さ166メートルの44階からはメキシコシティを一望することができる。1956年に建築され、マグニチュード8.1の地震の際には他の建物は被害があったにも関わらずトレ・ラティーノは無事だった。

 入口のところから見る限りではそこまで混んでいるようには見えなかったが、列の進みは思ったより遅く20分ほどかけてチケット売り場まで到達した。展望部分はそう広いスペースでもないので上の人が降りてこない限りは人を上に行かすわけには行かないのだろう。展望台だけだと入場料は150ペソ(約1,500円)。支払おうとすると、自分が払うからと、X氏は数枚のカードが綺麗に収まっているカードケースから1枚のクレジットカードを取り出して二人分の入場料を支払った。
「自分はなんでもカードで支払うから現金を持っていないんだよね」
 それを聞いて私は、日本ならともかく、まだ現金しか使えないお店が多かったりいたるところでチップが必要なこの国で現金を持っていないで生活は不便じゃないのだろうか?という疑問が湧いた。
「えーーー!!じゃあトイレとかどうするの?」トイレも公衆トイレはチップが必要で、日本のようにどこのビルでも無料でトイレを貸し出していたりするわけじゃないからだ。私は海外に住めるなら不便なことがあっても仕方がないと思っている。ただ人よりもトイレが近い体質なため唯一このトイレ問題だけは難点だった。
「まぁこの辺とかはどこに無料のトイレとか把握しているから、問題ないよ」
 トイレはいいとして、屋台とか売店とかは現金しか使えないし、物売りとかの商品を買ったりとかもしないってことだよな。と考えていると、
「一応、もしもの時のためにお札も一枚入れていあるけどね」とカードケースから綺麗に折りたたんだ50ペソ札を出して見せた。
 50ペソ札でコイン式トイレは使えない。物売りの商品も一切買わず、チップも払わない生活をしているんだな。というのが想像できた。そういえばX氏、メキシコシティに家を買う計画をしているとか言っていたし、メキシコ一の大学の医学部に行くくらいだから、お金には余裕があるのだろう。色々なお金の価値観があるなぁと思った。
 エレベーターの順番が来て上に昇ったが、エレベーターで行けるのは途中までで、そこからまた行列が待っていて、展望台に行けるまではさらに数十分かかった。

 ようやく展望台に通じる階段を上り、地上に出ると激しい風が吹きつけていた。そう、ここの展望台はガラスの壁に覆われてなく、屋外になっているのだ。一応フェンスはあるが、166メーター下が真近に迫って見えるので高所恐怖症の人には少々キツイかもしれない。
 展望台に着くなりメキシコシティの夜景が眼下に飛び込んできた。
「おーーー!すごーい!!」
とまず興奮したのはX氏だった。
 各方面の景色に「おー!」とか感動の声を発して小走りでフェンスにしがみつくX氏。私よりはしゃいでいるじゃん。

166m上空の空気を感じられる展望台
メキシコシティを360°一望できる展望台

 夜景を堪能した私たちは本来の目的である食事をしようとレストランに移動しようとした。「何が食べたい?」と言うので私はこの辺のレストランについて詳しくないし「どこでもいいよ」と言うとXは「ラ・カーサ・デ・トニョ(La casa de toño)はどう?自分が好きなメキシコ料理のお店でこの辺にも何店舗かあると思う」という。私もメキシコ料理が食べたかったし、「いいよ」と言ってそこに行くことにした。
  ラ・カーサ・デ・トニョに着くと、店の外まで人が溢れていた。受付に行って待ち時間を聞くと40分待ちだという。とりあえず番号札をもらいX氏が私に「どうする?」と聞く。うーん、トレ・ラティーノで時間を費やした分私はかなりお腹が空いていた。今すぐにでも食事にありつきたい。適当に歩いてもレストランにあたるくらいソカロには至る所にレストランはあった。だから、メキシコ料理を食べられないかもしれないのは残念だったが、私は「他のお店にしようか」X氏に言って、他で食べることにした。
 「分かった。でもこの辺りで他にお店を知らないんだよな」と行って歩き出すX氏。向かった先は公園。公園脇の歩道にいくつか屋台が出ている。しかし、見る限り簡単に食べられる焼トウモロコシとか、食べ歩き用の屋台はあるけれど、椅子やテーブルのあるお店は見当たらない。いや別に屋台が嫌だったわけじゃないんだけど、お腹が空いていた私はすぐにでもどこかに落ち着いて食べたかった。一体いつ食べ物にありつけるんだろうか。タコス屋みたいなところはないのかなと思いながらX氏についていくと、一つの屋台の前で立ち止まった。ポンチェ(Ponche)というスープのような飲み物のお店の前だ。給食で使う様な大きな寸胴に果物と液体が入っていてモクモクと湯気が大量に出ている。
「これクリスマス時期しか売ってないんだよ。これ好きなんだよね。これ買おう」と言って注文しようとしたので。私がお金を出そうとすると「君も飲む?」と聞かれて、X氏が自分だけ飲むつもりだったことに気づいた。
 日本で飲めないし、クリスマス限定となれば猶更だ。「Si」と言って50ペソ札をX氏に渡した。するとX氏は私から受け取った50ペソで支払いを済ませ、私にちょっと迷った後、10ペソをおつりとして渡した。あれ?ポンチェ は10ペソって書いてあったぞ?計算が合わないが、気のせいか?まだ私もメキシコのお金に慣れていなかったし、友人間のお金のやりとりなのでまぁいいかと思い初めてのポンチェをいただいた。受け取ったPoncheは大きい紙コップのような容器に大量の液体と沢山のフルーツが入っていて、サトウキビがマドラー替わりに刺さっていた。
 一口すする。
「熱っーーー!!!」
 舌を火傷したかな、と思った。結局大丈夫だったけどそのくらい熱かっ  た。熱さの後に襲ってきたのは強烈な甘さだった。
「甘っーーー!!!」
 ちょうどフルーツの缶詰を煮詰めたような味だった。こんな甘いものをホットでこんな大量に飲む文化は日本にはない。お汁粉のような甘じょっぱさではなく、本当にシロップのような甘さなのだ。
(これ全部飲まなきゃいけないのか。まぁ風邪も引いてるし、お腹も空いているしちょうどいいか‘)
 熱々のポンチェを持ち歩きながら、公園の外側の屋台から中側の屋台へ歩いて行った。するとタコス屋のようなお店が数件見えた。ようやく食べ物にありつける気配を察して安心した様子が私の胃から感じとれた。テーブルとイスがあるお店を3軒くらい物色する。それぞれのお店に今の時間何が食べられるかなど聞いている。3軒行った先で「どこがいい?」とX氏が私に聞いた。私はそれまでのX氏の反応なんかも考慮しながら、一番食べ物の種類が多そうなお店を指さし「ここ」と言った。私の感は当たったらしく「自分もここがいいと思ったんだよね」とX氏が言った。
 そこは平べったい石のような生地に具が乗った料理を出すお店だった。最初見たとき、生地ではなく本当に鉄板替わりに石を使って、その上の具を食べるのかと思ったら石ではなく生地だった。
「何食べる?」と言うので、料理名を見ても何かよく分からなかったので、それ、と石のような料理を指さした。
「ゴルディート(Gordito) だね」とX氏も同じものを他の注文した。
因みにGordito を直訳するとオデブちゃんという意味になる。
「なんで生地が黒いの?」とX氏に聞くと、「紫トウモロコシを使っているからだよ」と教えてくれた。
 そしてまず一つのゴルディートが来た。X氏が生地の上に乗っているキノコを手で持ち上げたりめくったりしている。そして一口食べて、「うん、美味しい」と言った。その一連の流れ見ながらなーんとなく嫌な予感がしていたのだがその予感は見事に的中した。
「食べてみる?」と言うX氏。
 X氏がベタベタ触って、かじったやつだ。
 自分の風邪がうつったって知らんぞ!といった思いで有難くいただくことにした。ゴルディートは美味しかったが、ここでも激辛ソースしかないと言われてたのでソース無しで食べた。
 海外なので当然おしぼりなんてものは出てこない。手がベタベタになったら乾いた紙ナフキンで拭くしかない。X氏が食べ物でベトベトになった指を自分の口内で洗浄していたので、日本から持参したウェットティッシュをX氏に渡した。
「おー、ありがとう」と言って受け取るX氏。
 しかしずっと手で食べているので拭いても拭いても汚れる。ついにX氏のウェットティッシュが拭ける許容量を超えてしまったようで、「これ使っていい?」と私の使っていたウェットティッシュを指さして聞いてきた。私はもう食べ終わっていて、使用済みだったので、「え、私はいいけど。汚いけど気にならない?」と聞くと、「全然気にならないよ!」と言って私の使っていたウェットティッシュで手を拭き始めた。

 食事を終えてお会計になり、ここでも私は多めに出したのだが、本来のおつりよりも明らかに少ない金額を返された。

石のような生地のGoldito。生地の中にはチーズが入っている

 腹ごしらえを終えた私達は街に出ることにした。その辺でも散歩するのかなと思いきや、バスに乗るという。心の中でホステルから遠のくのが少し不安だったが、せっかくなのでまぁいいかと思い、X氏の提案に乗ることにした。私達はメトロバスと言われるメトロの路線図に乗っているバスや、二階建てバスなどを使いながら、独立記念塔(El Ángel de la Independencia)や、屋台の土産物屋など色々な夜の街を見物した。その間もX氏はレンタル自転車乗る?あの屋台のお酒試飲する?あそこ見る?とか一生懸命私に提案してきてくれた。

 夜22時も回った頃、「次はあっちに行こうか」と意気揚々とX氏は言った。
 風邪薬を飲んではいたものの、万全に効いているわけではなかった。既に若干悪寒のようなものを感じていたし、夜になるとさらに冷えるだろう。このまま歩き続けると風邪が悪化しそうなのでそろそろ切り上げるのが健全な判断だと思った。しかし同時に付き合ってもらって申し訳ないという気持ちと、私自身せっかくメキシコまで来てるんだから色々見て回りたいという気持ちもあった。しかしここで無理して風邪が悪化したら明日からの旅がしんどくなる。
 私は「うーん、そろそろ帰ろうと思う」と言うと、
「自分はまだまだ時間大丈夫だよ!」というX氏。
 せっかくの誘いを断るのは忍びなかったが「あー、でも今日は帰るよ」と告げて2人で私のホステルへ戻る為バスを待っていた時、突然X氏は私にこう聞いた。
「ところでホステルまで送って欲しい?」
(へっ⁉いやいやいや、あんたこんな夜遅くに治安が悪いと言われているこの街で慣れていない外人の女置いて帰るんかい⁉こんなところで置いていかれてはさすがに私も困る)
 ここは一択「Si」と答えるしかなかった。とりあえずは何がなんでも送ってもらわなきゃ。
「あぁ分かった」とX氏は言って予定通り一緒に帰ることになった。バスに乗るとX氏は徐に私の手からメトロカードをさっととって、2回タッチすれば2人通れるから、と言って私のメトロカードでバスの乗り口で私のカードを機械にタッチした。
 バスを降りると、ホステルの最寄り駅がメトロの駅だったので、メトロに乗ろうとした。メトロの改札まで行くと、X氏はまたしても「自分のクレジットカードはメトロ使えないからー」と言って自分のカードの様に私のカードをタッチして改札を潜り抜けた。
 (ん?ちょっと待てよ?)
 私だって「使っていい?」とか「使わせて?」とか何かしらの言葉で断ってくれれば別に嫌な気もせず「はいどうぞ」と渡すのに、こう当たり前のように使われてしまうとモヤモヤした気分になる。一応残金見ながら「あー、OK」と言ってはいたけれど、私だって次の日も使わなければならないわけだし、チャージの仕方だってまだ知らなかったので、カードに残金を残しておきたかった。もしかすると「あー、OK」と言ったのは、私の分が残っているからOKではなくて、自分が使える分が残っていてOKと言ったのではないか?とさえ疑ってしまった。
 ソカロ駅に着くと、ここでもX氏は「あーここ昔来たなー!懐かしー!あー、このオブジェあったよー」とか、再びはしゃいでいた。

 無事ホステルまで送ってもらい、他の知人達との別れ際と同じ様に一通りの挨拶の言葉を交わしてX氏に別れを告げた。
 別れてすぐに一応お礼の言葉と私のiphoneで撮った夜景の写真をLINEしたが、これを書いている今もまだX氏からの返事はない。

『メキシコ道中私日記-3日目-危ない薬⁉』 へ続く

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