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映画館に霧越未麻をみにいった① 『パーフェクトブルー』

福岡の名所「中洲大洋」で今敏監督の初監督作品『パーフェクトブルー』をみた。25周年を迎えたこの作品はファンが多いようで、劇場の8割ほどは席が埋まっていた。
私がこの作品を最初に見たのはスマートフォンの小さい画面のなか。
ベットの上で布団に包まりながら、アニメキャラクターというより現実の人にそっくりな登場人物たちの動きをおそるおそる見ていた。
そんな映画が大画面で、他人と同じ空間で同時に、「あの世界」を見られるというのだから休みの日にすぐに足を運んだ。
ちなみに観に行く前は、この作品がどの年齢層のどのような人たちにウケているのかわからなかったため若い女性が多かったことに純粋に驚いた。一人で見に来た23歳の社会人ヒヨコの私は周りを見て嬉しさと寂しさが湧いた。

『パーフェクトブルー』を見る時、あの小さなライブ会場シーンは居心地が悪い。霧越未麻ファンの会話シーンを聞くと息苦しくてぞわぞわする。好きなものをただ好きと言えるだけでいいのに、好きの経験が長くなってくると本質を見抜いているような気分になる、あのいたたまれなさを会話から感じる。だからライブが始まってアイドルが輝いて、ファンが楽しそうにしているとそこから安心するのだ(またすぐ不安になるけど)。
映画を繰り返し見るのは金曜ロードショーのジブリとコナンくらいで、それもあまり能動的ではない私だが今敏監督の作品は時折見返したくなる。中毒性が高い。その作品たちの中でも『パーフェクトブルー』は結末を知るとルミちゃんをもう一度最初から確認したくなる。ルミちゃんの一挙手一投足を。

物事を認識する時、本体そのものから情報を得る時と、本体の外側から情報を得る時がある。この映画の醍醐味はこの情報を混ぜているから。未麻の後悔とルミちゃんの偶像。私は芸能界の事情などワイドショーの娯楽でしか知らないから、見せられるやるせなさに閉塞感を感じる。その中で田舎のお母さんとの会話で知る、未麻がアイドルになる前の夢は歌手。ごちゃまぜになった情報が一瞬だけ解放された感じがして、なんなら未麻の幼少期も少し想像してしまうから今がより一層心にくる。後悔が形になるとき、こうしていればとか、ああしていたらと思うことが多いけど、それを残酷にも視覚化するものだからたまらない。だけど確かに自分の後悔を思い出すと、「あの選択でよかったんだ」と思う時は今がうまく行っている時で、たらればになるときは今がうまく行っていない時。終わりよければ全てよし、の本質はこれなのかもしれない。



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