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ヨーロッパ 旅 ⑧ モンテネグロ, ボスニア

■始めに

僕は今回105日間、41カ国ヨーロッパ一人旅をしてきた。
詳細は以下の記事。

帰国して思ったのはこのまま自分の記憶のまま終わるのもいいが、時日が経つと薄れてしまうもの。なら紀行文でも書こうかと。またせっかくなら誰かの参考になれたら僕自身も嬉しいのでこのnoteにつらつらと記していこうと思う。
文章が稚拙でかつ平坦なのはご愛嬌でよろしくお願いします。

■これまでの記事

①1日目〜4日目
成田→シンガポール→アテネ(ギリシャ)編はこちらから。

②5,6日目
ティラナ(アルバニア)編はこちら。

③7~9日目
オフリド(北マケドニア)→スコピエ(北マケドニア)編はこちら

④10~12日目
ソフィア(ブルガリア)編はこちら

⑤13~15日目
ソフィア(ブルガリア)→ブラショフ(ルーマニア)→
ティミショアラ(ルーマニア)→ベオグラード(セルビア)編
はこちら

⑥16,17日目
ベオグラード(セルビア)編はこちら

⑦18〜20日目
コソボ編はこちら。

■⑦ヨーロッパ旅 21~24日目

日時:2022年11月13日~11月16日
場所:ポドゴリツァ(モンテネグロ)→コトル(モンテネグロ)→→モステル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)→サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)→バス

モンテネグロ
ボスニア・ヘルツェゴビナ

■11月13日(日)

ポドゴリツァ(モンテネグロ)→コトル(モンテネグロ)
〜渡航21日目〜

●記録

目覚めの悪い朝シーツが臭かった

質がまあまあな宿

居心地がよくなかったので早めに朝シャワーして外に。
お腹が減ったので近くでかつ人が入っているレストランに入った。オススメを聞いたらこれよ!とメニューの指さされたのを見てみる。
見てみると書いてるのは「ポーク1キロ」笑。モンテネグロ名物だという。昨日の夜も何も食べていなかったのでお腹が十分に減っている。チャレンジしてみることに。しばらくしてきたのがこれ。

豚1kg
ドブの匂いがした

写真だとあまりわからないかもしれないが超巨大のポークだった。見た目に合わせて豪快に切って口に入れた。
食べてすぐ気づく。やばい。臭すぎる。

口に入れた途端下水道のような臭いが口の中に広がったのだ。
なんだこれ!?と思ったがこれはおそらく豚の臭みらしい。日本では豚の臭みが感じられないほど丁寧に調理or感じられるところはカットされるがこの1kgポークにはしっかりと残っていたのだ。半信半疑でもう一口入れたがまた襲いかかってくる下水のような匂い。これはとてもとても不味い。こういうものだと思えば多少は気にせずなんでも食べれる人間だが今回は別格だった。
でも貧乏性が発揮され不味いけどもったいないが勝ちちゃんと全部食べた地獄のような時間だった。

まずすぎた

そして1kg入れた後の口に残りまくる全開の臭さ。2度と食べたくないし、これが今回の105日の旅のの中でワースト1位の食べ物だった。
人間 食べ物がガソリンのようなものだ、不味い食べ物を食べたので外を散策するも気分も上がらず
また首都ポドゴリツァは昨晩分かったが何にもないところだ。人も首都なのにあまり歩いていない。見所も調べてみてもなさそう。

人がいない首都

ということでバスで2時間移動「コトル」という港町にいくことへ。
次のバスが13時からで2時間ほど待機しつつ無事バスに乗り着いたのが15時。

バス待ち
バスの中

着くともう大きな崖のような岩が美しい。ここに留まるか少し滞在してから動くか考えたが、その美しさに一泊することにした。

コトル
コトル

ゲストハウスはバス付近で旧市街から出たすぐの場所にあったから地形的にも恵まれた。ホステルはとてもフレンドリーなホストだった。荷物を置いて外へ。

初の旧市街という旧市街城塞に囲まれた町。入り口が限定されていて入るとそこは迷路。自分が今どこだか分からない。出口も分からない。敵だったらこれは攻め込みづらいことありやしない

コトル
コトル
コトル
コトル

ただ今は中は観光地化されておりお土産屋さんにご飯屋さんがたくさんあった。値段見るとほんとに高い。日本のおしゃれなレストランと変わらないのでは?というほどだった。その町の中にも住んでいる人は多く路を歩いていると洗濯物を干しているところがあったり、地元の子どもらしき子たちが走り回ってたり。そういった日常が面白かった。

日常
コトル

でうろうろしつつしっかりと出口を見つけホステルに戻った。暗くなった海辺もまた素敵だった。その景色を見てゆったりと時間過ごして「旅」っていう長閑さを享受して気持ちいいなと思った。で自分のベッドに戻り同じ部屋の人と少し話明日朝早く登って絶景を見たかったのもあり、一つビールを飲みつつ11時前に寝た

ビール
宿

●払ったもの

1ユーロ=約143.87円(2023年3月8日現在)
・コトルの宿 14.5€
・ポドゴリツァからコトルまでのバス 7€
・豚肉の1kg 7.2€
・水など 2.16€
計:約4371円

■11月14日(月)

コトル(モンテネグロ)→モステル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
〜渡航22日目〜

●記録

朝6時に起きた。前日次なる目的地「ボスニア・ヘルツェゴビナ」を行くにはどうしたらいいか。調べたらコトルからモステル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)行きのバスに乗らないといけない、とのことだった。このモステルはボスニア・ヘルツェゴビナに行くとしたら是非とも寄るべきオスマン帝国の町の姿が残る美しい町とのこと。朝に出発するバスがあると聞いたので6時に起き、シャワーを浴びてバス停でチケットを買った。7時半に出発なのでコトルのトレッキングはできなかった。

老廃したビル
モンテネグロの国旗

ですぐホステルに戻り荷物を取ってまたバス停に戻りバスに乗った。モステルまでは6時間もかかる。
このバスの運転手がなかなか陽気だった。途中途中止まってはfood!と言いパーキングエリアでごはんを食べる。運転手の都合で休憩時間になるバスだった。で居合わした間は2回休憩時間があったが毎回出発してから走ってきてバンバン!と叩き焦る人がいた。これ乗客だった。人数も数えないで自分の気分で出発する運転手だった。で見つけたら乗せてあげ、乗客に謝る姿なくニコニコ何かつぶやいていた。ラッキー的なことを言われていたと思う。
すごい運転手。カルチャーショックだった。

13時半ごろモステルに到着。

もすてる

とりあえずは宿を探した。とても雰囲気のあるアットホームというか家の宿に止まることに。ホステルで働いている人はおず、家に住んでいるおばあちゃんお母さんがホステルの業務をしているスタイルだ。
お昼だったので泊まっている人を集めてお茶会をしてもらった。フリーで好意でお茶を作ってくれたり、ビスケットやオレンジを作ってくれたり。またお母さんが色々とボスニアについてや自分の若い頃の話を語ってくれた。なんともなんとも暖かい素敵な空間だった。

宿
宿
atホームな宿
温かい方

今回の105日の旅で一番素敵なホステルだった。でそこに2時間くらいいてホステルに泊まっている人たちがごはんを食べに行くというので参加した。パラグアイ人オランダ人の女の子二人オーストラリア人の青年と僕だった。
なんとなくでオーダーする。すごい量のお肉のプレートだった。

肉モリモリ
スープ
マルク
オーストラリア人
モスク

色々話をした。
オランダ人はこのごはんを食べてから移動するとのことで色々町のおすすめのところを教わった。でバイバイをした。
町の探索をしたかったが雨が降り出したのとあの温かいホステルで過ごすのもありだろう、ということでホステルに戻った。
庭の共有ルームにいるとたくさんそこに泊まってるメンバーが戻ってきてみんなでトランプゲームを始めた。僕も混ざった。
ほとんどがイギリスとオーストラリア人だったので英語が早いのと知らないゲームだったので理解ができず。でもゆっくり丁寧に説明してくれた。すごい楽しい時間だった。英語が上手くない僕なのに全く嫌にならず丁寧にゆっくりと話してくれた。この時の旅人の人情味あふれる姿心から感銘を受けたのはしっかりと覚えている。

皆でトランプ


でまた明日!って流れになり就寝した。

●払ったもの

1ユーロ=約143.87円(2023年3月8日現在)
1KM(マルク)=約73.81円(2023年4月4日現在)
・モスタルまでのバス 23€
・ヨーグルトとブレック 3€
・ごはん 11KM
・宿 24KM
計 約6334円

■11月15日(火)

モステル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)→サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
〜渡航23日目〜

●記録

早めに起床。というのもモステルの朝は人がいなく、オスマントルコの景色が貸切状態で楽しめる、またキリがかかっていて幻想的なことと聞いたからだ。中心のところまで行くと確かにまるでタイムスリップしたかのようだ。
オスマントルコ時代に今いる、と信じ込ませるように暗示かけた上で景色をみると本当に脳が勘違いしてしまう、そのくらいしっかりと残っているし、エモかった

モステル
ラベンダー
モステル
モステル
モステル
モステル

堪能して戻ってくるとホステルのお母さんが宿泊者のために朝ごはんを用意してくれていた。これまたおいかった。

手料理

お庭で少しのんびりしていると自転車をいじっている宿泊者に遭遇。話を聞いてみると自転車でヨーロッパ大陸をずっと回っているとのこと。上には上がいる。僕もまだまだだなと思った。

自転車



ごはんたべたりまた中心の方に行ってみたり。肉肉しいごはんは本当に美味しかった。モステルの景色が本当に好きだったのでずっといれた。

仔牛
ボスニア名物
モステル
モステル

で夕方移動を決意。目指すは首都のサラエボ。ホステルのお母さんに聞くと夕方からの列車で行けるとのことだったので時間になったので移動することに。
同じタイミングでオーストラリア人二人も列車に乗るとのことだったので一緒に行くことにした。

列車のチケット
オーストラリア人と
列車内

英語が母国語の彼ら。全然話がついていけず。昨日同様悔しい思いをした。

でみんなで調べながらどうにかサラエボへ。サラエボの列車の駅から中心までは30分ほどで中心の方に宿を取ったので歩いていくことに。ホステルまでオーストラリア人の一人は同じだったので一緒に歩いて向かった。高校卒業してバイトしてからお金貯めてヨーロッパ大陸に来たとのこと。2ヶ月くらいで10カ国回るとのこと。年齢も僕の一個下。
僕みたいな人間も真逆の世界にいて、こうやってボスニア・ヘルツェゴビナで出会うってなんか面白いなと思ったもんだ。そんなお互いの話をしつつホステルへ。
ホステルにいくとここのホステルもウェルカムショットをくれた。

宿

部屋に案内されていくと5人ほどいたがその中にたまたま日本人が二人いた。一人の方は写真家でドナウ川に沿って写真を撮りに来ているとのこと。もう一人は僕より3つ上くらいの人でカナダに住んでて僕とは逆のコースでヨーロッパを回っている方だった。
久々の日本人を見れたこと、そして日本語を話せたことが身体全体に沁みた。心地よく感じた。でホステルでひと段落したのが21時ごろ。まだ動けるなと思った。日本人の人は体調が悪いらしく今日はもう寝るとのことだったので他を探すことに。ベランダの方に8人くらいいたのでそこでどこがオススメなのか、とみんな行く?と聞いてみた。彼らはもう少しここにいるとのこと。オススメのBARを一つ教えてくれたので一人で行くことにした。

街並み

バーは街中にあったので歩いていくととても都会。とても賑やかで、バーらしきところもたくさんある。イメージするサラエボと全然違った。色々ルート散策しながらお店へ。お店はアイリッシュパブ風のお店ライブ演奏しているのが嬉しい。ビールを一杯頼んでライブ演奏を聞いて気持ちの良い時間に浸っていた。もう一杯もらって席移動して目の前で演奏を聞いていた。

パブ
ビール
生演奏

滞在して2時間ほど経ったろう、そろそろ戻ろうかなとも思っていながら席にいると肩を叩かれた。見てみるとホステルのベランダにいたメンバーの一人で、メンバーが奥に座っていた。行ってみると歓迎してくれた。とてもフレンドリー。一緒に飲もう!となりまたビール。
その流れで隣にいたイタリア人がバルカン半島名物「ラキア」のショットを個数分頼み乾杯。でみんなで会話して盛り上がる。でしばらく経つとまた個数分のラキア。ラキアは55度ほどある。3杯目くらいからけっこう酔ってきたがまたラキア。これはだいぶハジけた夜になりそうだ。

ラキヤ
ラキヤ

●払ったもの

1ユーロ=約143.87円(2023年3月8日現在)
1KM(マルク)=約73.81円(2023年4月4日現在)
・仔牛のプレート 9.5KM
・お昼の肉 8KM
・サラエボまでの電車 14.1KM
・ヨーグルト、チョコ 2.16KM
・ビール2杯 10KM
・宿泊11€
計:約4822円

■11月16日(水)

サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)→バス
〜渡航24日目〜

●記録

何杯飲んだかは定かでないが後で話を聞いたらラキア6杯飲んだらしい。流れでみんなで飲んだ。あんまり覚えていないが写真と証言を元に綴る。6杯ほど飲んでみんなで外に出た。でその後もう一軒行った。ローカルなお店でそこでも飲んだらしい。で何時間かいてみんなで楽しくホステルに帰ったらしい。

アルゼンチン人と
飲み過ぎ
仲良くなれた人たちと
たくさんショットの増してきたイタリア人

僕が目覚めたのはホステルのおばちゃんらしき人が叫ぶ「チェックアート!!!」の声だった。部屋全体に声が行き届いた。
そこでパッと目覚めて時間をみると11時。寝過ぎてしまった。ヤバい!と急いで荷物をまとめた。僕と同じく他2人くらいも焦って片付けしていた。で外に出て鍵を返した。ただとりあえず荷物まとめただけ。身体もなんか脂っぽい酒臭いしもう少しゆっくりしたかった。
日本人の旅人に協力してもらい、荷物を置いてシャワー浴びた。冷水しか出なくてめっちゃうわわわあってなって二日酔いもガッツり冷めた。で身支度をした。お腹減ったタイミングでゲストハウスに滞在している5人ほど(日本人2人、フランス人2人、デンマーク人)がごはん食べに行くというので参加。
サラエボの都市は半分が西洋の景色キリスト教で建物もいかにもなヨーロッパ建築、だが一歩境に街の雰囲気が一気にオスマン帝国一色になる。教会がモスクになったり人々もトルコ系の人やヒジャブを着ている人になる。不思議な街だ。

サラエボ
境界線
サラエボ

でイスラムの方でバルカン半島名物でサラエボの有名店でブレックを食べた。渦が巻いているパイの中に具が入っていて物によっては肉のもの、ポテトのものチーズが入っている。僕は肉とポテトを頼んだ。で飲み物は酸っぱい飲むヨーグルトがバルカン流。味は例えるなら餃子のような感じ。とても美味しかった。

ブレック
ブレック

そのあとはまた有名らしい昔ながらのカフェに行くというので同行した。少し離れた場所に坂があり、小さな家が並ぶ中の一つがそのカフェ。中を覗くとレトロな感じもあり、かつ色合いがとても可愛く、またオーナーのおじいさんおばあさんがとっても雰囲気があってカッコイイ。上に案内されそこでおすすめのシナモンのホットドリンクを注文した。隣の団体はクロアチア人の人で休みだから遊びに来たそう。気軽にカフェのために遊びにくるって僕らからすると国内旅行な感じなんだなと。またこういう国境間を気軽に行き来できるのもヨーロッパの火薬庫と言われた時代は過去なんだなとも思えた。でみんなと色々話しをした。いい時間だった。

カフェ
カフェ
シナモンカフェ

そのあとはデンマーク人日本人と少し街散策をすることにし、他のメンバーとはバイバイした。
街を歩いているとサラエボ事件が起きた橋が。このサラエボ事件によりあの無惨ならぬ第一次世界大戦が起きた。ここが発端だった。そう思うととても重みのある橋であり、そこを今気軽に歩ける橋になっているのは平和な限りだ。端には沢山の平和が描かれた南京錠があった。日本人では第一次世界大戦は馴染みがない。だから他人事のように思ってしまっていた自分がいたが、ここから他のヨーロッパの国に行く度にその負の歴史が悲しくも語らなければならない場所が多くあった。考えさせられた。

サラエボ事件
平和を願う

で僕らはそのあとはなんとなく歩いてみてそれを楽しもうということで、観光名所でもなんでもない住宅地のようなところを歩いたり、ふらふらと歩いて見つけた不思議なビルにとりあえず中に入ってみたり。

鳩と私
サラエボ
サラエボ
サラエボ

そういうことがより現地の感じが伝わってくる。いい時間だった。そのあとはバーに行き一杯。

バー

日本人の旅人は移動のバスの時間ということでここでバイバイした。でしばらくしてホステルに泊まってて昨日一緒に飲んだイギリス人が来た。色々話をしてお腹減ったからみんなでスーパーに行き具材を購入。ホステルに戻りキッチンでデンマーク人が料理を振る舞ってくれたむっちゃ美味しかった。イギリス人の人は美味しすぎたのか床に座り込みながら食べてた

手料理
手料理
イギリス人

お腹いっぱいになって、一休みして僕も移動することにした。バスで夜発でクロアチアの首都ザグレブゆきがあるのでそれに乗ることに。
写真家の日本人がホステルにいて最後色々と話した。旅人だからこそとても人間味あふれる人だった。でバイバイした。彼と出会ったのは1日前で一緒にいたのは半日もなかったがなんだかとても仲良くなれたし、彼とバイバイするときは少し寂しかった。異国にいると同じ感覚を持っている日本人に会えるのが貴重だし、色々プレッシャーがある旅の中しっかりと意思疎通できる相手は本当にありがたかった。でまた来た時同様40分ほど歩いてバスへ。朝一にザグレブにつくバスに乗った。

バス停
バスチケット
バス

●払ったもの

1ユーロ=約143.87円(2023年3月8日現在)
1KM(マルク)=約73.81円(2023年4月4日現在)
・ブレック 10KM
・飲み物 2.2KM
・飲み物 1KM
・お土産 キーホルダー 8KM
・ザグレブまでのバス 82KM
・ビール 3KM
・夜のごはん材料 2KM
計:8006円

■次の記事

次はクロアチア、スロベニアの体験を綴る。

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