タイムラインを変えます
ここでは、この動画に関連があるかと思う事柄について述べてみます。
意識
タイムラインは、今、この瞬間から変わります。
変えなければ変わりません。
変えれば変わります。
それは意識だからです。
あなた次第です。
なぜ、あなた次第かというと、
あなたがあなたの世界を作っているからです。
自由意志は誰にでもあります。
その「選択」があなたです。
あなたが「選択」して、こうだという意思を表明すれば、それはそうなります。
しかし、その選択をしなければ、
あなたは、他の誰かの自由意志で生きることになります。
残念ながら、未だ世界を牛耳っているのは「闇」です。
ですから、私たちは黙っていれば「闇」の意思に従うことになります。
「そんなわけがない」という方もいつか分かります。
さんざん説明してきましたし、先にも述べましたように、これが分かる方のみにお話しすることに決めましたので、どうか皆さんご一緒に先を進めましょう。
闇の意識は集合意識に浸潤しています。
そして、集合意識が人の自由意志に影響を与えます。
仮にその集合意識が闇側の思惑や操作を反映したものだとしたらどうでしょう?
「この世は○○でなければならない」
「私たちは社会に適合していかねばならない」
「みんなと同じようにしなければならない」
「偉い人の意見は正しい、尊重すべき」
黙っていても、それらは外部から入ってきます。
ずいぶん薄れてはきましたが、、、。
今の時代は「No!」を言わなければならない時代です。
何十年、何百年、何千年と虐げられてきた私たちの現実に「Enough!」を突き付けなければならない時代です。
「闇がない」というものは「闇」です。
(以前に書きましたように闇は闇を見ることが出来ません)
または、闇によって盲いたものです。
私たちが、これまで通り、長年ににわたって闇側の仕込んだ「集合意識」に「Yes」を表明するのか、あるいは「No!」と言って完璧に切り捨て、それと訣別するのか、
それが問われています。
冗談抜きにその選択は、地球(すなわち私たち人類=ヒューマンレイス)の存亡にかかわることです。
病
それでもピンとこない人に、
わかりやすい例を記します。
身近な「病」の問題。
あなたはどこか身体の調子がおかしいと思う。
医者に行き診断してもらう。
そこで重篤な病と診断されたらどうでしょう?
あるいは不治の病とレッテルを押されたらどうでしょう?
その時点で多くはメンタルの病をもらってきます。
恐怖と不安
それをもらってくるのです。
闇は弱みにつけ入ってきます。
(肉体のみの「病」はありません。霊肉一如です)
「○○しなくては治らない」
「治癒例は〇〇%だ」
「早めに切除しないと危険」
その後のあなたの行動は
医師
臨床経験の豊富な名医
医学
先端医療
新薬
なんであれ、
藁をもつかむ勢いで
それらを
手に入れようとするでしょう。
あなたがあなたの主人
上記は、すべてあなたのタイムラインではありません。
医者に依存する段階から、あなたは医者の、あるいは現代医療のタイムラインで行動しています。
その行き着く先は? あまり芳しくないものです。
(なぜ、そうなのか? それは、人間の体は刻一刻と変化していることを忘れている、あるいは[故意に]無視しているから。断片的な「症状」「データ」「サンプル」のみを切り取ってそれで判断する。それは、すべて「過去」のものでしかない。生きているんですから。変化しているんですから。個々人の体質・身体はみな違うのに過去の罹患者のデータから類推する。そこになんの洞察も、発展的な未来像もない。あるのは、危険と困難と下降線のみ=闇を覗くのと同様、病を覗いているんですから当然です。「健康」を「光」をなぜ見ない???)
しかし、あなたがご自身で内観した段階から
あなた自身が自らを見つめ、
自らの力でそれをよい方向に舵を取っていくところから
いや、決意したその瞬間から、
はじめてあなたのタイムラインが発生します。
簡単です。
薬から医療に従うことから、一切合切をやめる。
与えられた知識を一切捨てる。
飲まない、食わない。
(あらゆる手立てから見放されて茫然自失、すべてを手放す。最後に自己と向き合わざるを得なくなったものが救われるのは、これです。)
そうして、ニ三日といわず、翌日から
あなたは自身の変化に気づき、
その深奥に眠っていた生命力の鼓動を聴くことになるでしょう。
あなたが、あなたの身体の主人です。
医者や他人であるわけがない。
自分の持ち物である山で起きた火事に
どうして違う山の持ち主に助けを求めるのでしょう?
どうしてその消火の仕方を乞うたりするのでしょうか?
なぜ、勝手にあなたの大事な木々まで伐採させるに任せるのでしょうか?
(何らかの要因で他に起因したものであっても)自分の身に起きた異変(病)を、どうして他人に依存しつつ診てもらうのでしょうか?
挙句の果ては、よくならないから、死んだからと言って、どうして他人(医師その他)のせいにするのでしょうか?
我が国の「武士道」では、それはもっとも恥ずべき行為に位置づけられています。
こんな自明なことが分からなくなるまでに
現代社会はわたしたちを洗脳してきました。
(とはいえ、この自然極まりない「道理」が分からないものが少なからずいることであろうこともわかっています。気づいた方だけでいいのです)
管理
よくこの世は「管理社会」と言います。
違います。
「管理を許している社会」です。
もっと言えば
「管理されることを志願しているものの社会」です。
(それは家庭や学校教育の段階から慣らされて「抵抗」がなくなりました)
個人の力が、上層の権力や国家権力にかなわないというのは洗脳です。
支配者にとって最も恐れるのは個人の潜在的な力です。
だから、それを封じ込めたり、矮小化したり、外部にばかり目をやるように仕組んできました。
瞑想は個人のものです。
しかし、個人個人の瞑想が束になって一つのものになった集団瞑想は、とてつもないパワーを持ちます。
実は、闇の勢力がこれほどまでに強大な力を持ったのもそれです。
集団瞑想は善にも悪にも作用します。
光側がここまで手をこまぬいてきたのは、そうしなかったからではありません。
闇側のそれを許してしまったからです。
だから、簡単です。
光のみすべての瞑想です。
決して闇のつけ入る余地はありません。
光のみすべてなのですから。
闇側の主某格はおそらく数百人程度でしょう。
その配下を含むと5億人程度とも言われています(集団逮捕者)。
わたしたち人類70~80億人のなかでほんのわずかです。
今度は、私たちのパワーを見せつける時ではないですか?
予言
3.11を的中させたと、都市伝説界隈で話題になった漫画家・たつき諒さんの「予言」が、いよいよ近未来・2025年7月の大災禍について触れていることで、一部ではまたその予言が再燃しています。
これが名のある予言者や、識者の間で騒がれるのではなく、漫画という性格上、一般大衆で話題になっている点、わたしから見れば大変に信憑性が高いものと思います。
たつきさんは、何らかの使命を帯びた方かもしれません。
2025年。
おそらくは、似たような状況も想定されることでしょう。
ポールシフトによる大津波や火山の噴火、
わたしもそうした情報は数年前から入っていましたが、
いたずらに不安を煽ったりすることは「対策」がない限り公にしない方がよいと考えてきました。
これは、銀河パルスによる歳差運動という宇宙的な「節理」でもありますが、同時に闇を一掃する浄化作用でもあります。
それを、「何と過酷な・・・」と思われる方は、闇そしてそれゆえに生じた悪を甘く見ているからです。
闇や悪を壊滅させるには、母なる地球に巣くったその残滓をもきれいにしなくてはなりません。
(水を浴びた犬が全身を震わせて水をはじく動作のようなものです)
『ヨハネの黙示録』の終末観
『大本神諭』で言われた「三千世界の立て替え立て直し」
『日月神示』での「三千世界の大洗濯」「大峠」
その他正統な『予言書』に必ずと言っていいほど著されているこの世のリセットの未来図と、その後の千年王国の到来。
はっきり言います。
もしそれが訪れたのならば、
わたしたちは、おそらくは自身の力では助かる術はないでしょう。
どんな高山に逃げてもです。
「空中携挙」という言葉がプロテスタントにはあります。
おそらくそれは、一瞬にして起きる出来事です。
もちろん、宗教上の意味での「信ずるものは救われる」とか「罪を贖う」とか言ったものではなく、その時、万人に対しての「避難」「救済」が必ずあります。
そのとき、安心して身を任す姿勢が大事です。
(観念的なお話ではなく、物理的な出来事を言っています)
それが、「イベント」と前後するものなのか、まさにその渦中でのことなのかは、わたしには分かりません。
灯
わたしたちには「希望」があります。
「今以上によくなりたい」「幸せになりたい」という欲求があります。
それのみが、万人に共通の「願い」だと、私は思います。
普遍的な潜在意識。
それこそが私たち人類のホントの「集合意識」といってもよいのではないでしょうか?
「お金持ちになりたい」
「もっときれいになりたい」
「頭がよくなりたい」
「戦争のない社会になってほしい」
「恋人がほしい」
「信じあえる友達が欲しい」
「健康になりたい」
「競馬で一山当てたい」
なんであれ、幸せになりたいという想いだけが人類を繋ぐ普遍的な共通項のようですらあります。
(それ以外は、個々にみな違いますね?)
なぜでしょう?
このことについてはすでに書きました。
それは、万人の潜在意識の中に(あるいは、DNA的な記憶として)「幸せだった時代」がインプットされているからではないでしょうか?
もちろん、今の時点ではそうではないからこそ、
それを復権させたい
それに少しでも近づきたい
と、「幸せ」を模索しているのではありませんか?
また、そういう灯が心にない限り、
決してそれを追い求めたり、
周囲を良くしていこうなどという気はおきないでしょうし、
また自身が幸せの渦中にいては、そうなりたいもありませんね。
今がそうなんですから。
あなたは、今に満足ですか?
わたしは、今の生活にケッコー満足しています。
別に生活できればそれでいいからです。
ところが、この二元性の世の中では、これがまた厄介な問題になったりします。
満足な生活がイコールリッチな生活を指すわけでもないですが、
社会には食うや食わずの方々も多数おります。
その方々が不幸なのかと言えば一概にそうでもないのですが、
大方は、自ら以上の生活をしているものを「羨望」のまなざしでみます。
裏返せば、「嫉妬」「やっかみ」ひどい時は「恨み」の対象にまでなったりします。
あなたご自身にまったくそんな気はなかったのに、お高くとまっている、などと他人から見られたりすることもおありでしょう。
だから、今度はワザと自分を卑下してみたり、何かと忙しかったりします。
残念ながらそれが人間社会です。
金持ちの豪邸を見て「どんだけ悪いことをしたんだろう」
などと、なんとも下衆の勘繰り的な目がどこかにあったりします。
この私が、どう勘違いしたか高級車の新車を購入したともなると、
「何やって儲けた?」
的な声も出ることでしょう(笑)
このことから何が言いたいのかと言いますと、
この生活や社会に満足するということは、つまり自己満足にすぎないということです。
自己満足ケッコーですが、それは恨みを買う満足でしかない。
「足るを知る」などと唱えても然りです。
いうまでもありません。
それは今の世が唯物主義社会だからです(資本主義、共産主義もろともですよ=むしろ、「右」「左」同様そんなカテゴライズは目くらましかもしれませんね。どこかの国の「共和党」「民主党」のように)。
あなたにも私にも心の中で灯っている「幸福」の灯は、
それに満足できないはずです。
だから、動画にあるように、次に移行するのです。
上も下もない世界
階級も支配層もない世界
物質的に万人が満たされているからおカネなんて不要な社会
いやいやの労働などない社会
むしろ無限にある精神性をより高めようとする社会
一人たりとて病に苦しむものがいない社会
死という概念が単なる移行でしかなく、必要とあらばホログラムで現生に現れたり、クローニングでまた平然と生活をしたりする社会
高度なテクノロジーで明るく生々発展の未来を望める社会
大自然の草花や木々、動物たちと交歓できるような社会
人と人が厚い信頼で結ばれ、裏切りやまして犯罪など思いつきもしない世界
夢のようですって?
夢は実現するためにあるのではないですか?
しかも、それらの「夢」は万人の潜在的な未来像ではないですか?
待っているのではなく、ともにその夢を具現化させましょう。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。