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陰謀論なんてないよ、それって「気づき」だよ 

「陰謀論」と言われると、にわかにそこにネガティブな空気が漂う。
「いや、そうじゃなくて・・・」云々が始まるとますます怪しい。
それは、その「問題」そのものが「闇」に起因することが多いからだが、むしろその「闇」を暴こうとすることはポジティブな「光」を灯すための行為であり、「気づき」の一環である。
「陰謀論」という言葉自体に、その行為を否定あるいは嘲笑するようなニュアンスが込められていることは明白だ。

実は「陰謀論」とレッテル貼りをする側こそ「陰謀」の首謀者か、(知ってか知らずか)おもにその片棒を担いでいることが多い。
いうまでもなく、それは「闇」は「闇」のままにしておけ、寝た子を起こすなという逆メーセージだからだ。

いまさら、の話ですが。


一昨日、ふとこんなひらめきがよぎった。

巷間で言われる「陰謀論コンスピラシー・セオリー」という言葉、ご存じCIAの造語なわけだが、それってなんのことない私たちの「気づき」の一環を示すきわめて正常な精神作用への侮蔑であり、それ以上でも以下でもないということ。

以下、それについて考えてみた。


多方面から考察することが「陰謀論」?

「陰謀論」とは、「かくかくしかじかの事件及び事象が、何々によって引き起こされた(生じた)」の「何々」の部分が実は「〇〇」によるものだったという「説」を指す。
あるいは、「かくかくしかじかの事件及び事象」の裏には、○○が関与していたといった「説」を指す。

しかも、その「〇〇」という「説」が「証拠不十分」「あいまい」「確証(根拠)がない」「恣意的だ」「がせだ」云々の理由で退けられる。
(注意しなければならないのは、それを「〇〇のせいかも?」といった段階でそれは「陰謀論」になる)

これが、「説」ではなく、実際に「〇〇」によるものだったというとき、それは「陰謀論」ではなく、誤認(誤報)でなければ、単に「陰謀」ということになる。

それは、科学論文などで「新説」を打ち出すものの、「仮説」の段階で「検証結果が不十分」とかの理由で退けられるようなものとどう違うのだろうか?

それでは、科学の世界での「新説」も香ばしい「陰謀論」なのだろうか?

まして、陰謀の「説」が、あくまでも「このようなことも考えられるのでは?」という謙虚な問題提起であったとしても、それは「陰謀論」として一蹴されるようなものなのだろうか?

それは、「様々な角度から問題を検証する」といったむしろ科学的な姿勢ではないのか?


陰謀論提唱者の陰謀隠し

「陰謀論」という言葉自体に、「それを深堀するなよ」という当局側の恣意的な圧力が込められているわけで、だからときに「あの人は陰謀論者ね」みたいなレッテル貼りに使われる。

ここでは、次の2つに分けてみた。

A:「提唱者」=真相究明者または、通説に対して異説を唱えるものを「陰謀論者」であると提唱している側
B:「陰謀論者」
=提唱者によって自説を「陰謀論」と決め打ちされている側

もちろん、Bの中には、Aが忍び込んでいたり、それが笛を吹いたりもよくある。さらに、Bの中に狂信的な(終末論的、被害妄想的)「陰謀論」を唱えるものがいたりして、それを「陰謀論」と指摘する場合のAの立場はごく常識的だ。
つまり、一概に単純な区分けは出来ないということ。

そこで、Aの「提唱者」側についてだが、実はこれの特定ということが一番大切な問題であると同時に、諸説紛々でまさに闇の中である。
ただ一つ言えることは、Aの意見は旧来の通説や認識を踏襲しているそれだから、もちろん大勢を占める。

一方、Bは少数であることが多い。
しかし、次第にその主張に賛同するものが加わり、一定数の勢力になり、前者を脅かすまでになった時、「陰謀論」が浮上する。

時代が時代であれば、コペルニクスやガリレオ・ガリレイなどの”陰謀論者”のように、火刑や無期刑に処されるところだろう。
しかし、今日でも、おそらくは”不慮の事故”であったと思いたいが、ミルトン・ウイリアム・クーパーなど「陰謀論者」に不可解な死を遂げるものも多いこともまた事実である。
さすがに手段を変更したか? などの皮肉はやめておこう。


目の前の「公然たる陰謀」

たとえば、あの「大量破壊兵器所持」という”陰謀論”(濡れ衣)を旗印に起きた「イラク戦争」などは、我が国も「支持」したことになっている。
そうした茶番を堂々と展開したことなどは、もはや提唱者(主某者)が「陰謀論」を隠れ蓑に、実際に陰謀を実践したわけで、こう書いている方も訳が分からなくなるような、それは「自作自演劇」である。

その茶番によってもたらされたイラク側の死者は推定50万人~7割以上が民間人であったという。

「1人を殺せば犯罪者だが、100万人殺すと英雄になる」(チャールズ・チャップリン)わけか?


いわゆる「陰謀論」の代表的な事件と、その「陰謀論=キーワード」。

JFケネディー暗殺(UFO・宇宙人問題)
マリリン・モンローの死(宇宙人問題)
アポロ11号(スタンリー・キューブリック)
スタンリー・キューブリックの死(『アイズ ワイド シャット』)
911(小型核兵器・被爆・癌・ブッシュ)
311(人工地震・ちきゅう・小型核兵器)
コロナ(武漢・5G・ビルゲイツ)
ワクチン接種(後遺症・反ワク?・厚労省データ未開示※=末尾参考)

まだまだ際限なくありますが、とてもここで触れられないようなものが多い。
もちろん、「事件」と「キーワード」の関連性、整合性などは個人個人の認識に温度差があって当然(因みに私はそれの関連性は認めますが、完全に同意しているわけではないです)。

しかし、先の「イラク戦争」のみならず、私などがとやかく言うまでもなく、「ウクライナ侵攻」にせよ「湾岸戦争」にせよ、古くは「真珠湾攻撃」にせよ、その突端は陰に陽に「陰謀」がトリガーになっている事実はぬぐえない。しかし、その「陰謀」は白日の下にさらされてはいない。

であれば、こうした戦争などの表向きはしかるべき理由があったにせよ、その原因部分は「陰謀」ということになる。

いやいや、そんな回りくどい言い方をせずとも、こうした壮大な事象こそ、その全体が「陰謀」そのものであると言えるではないか?
まさに公然たる陰謀オープン・コンスピラシー(H・G・ウェルズ)である。(もちろん、それを指摘するものは「陰謀論者」というレッテルが貼られる。)

では、誰が?

付記

お断りするまでもないですが、いつものことながら私は傍らに「参考文献」などなく、ただ自分の意見を述べているだけですので、間違った箇所があればご容赦くださいね。

必ずご自分でご確認ください。

書き始めて思ったのですが、もはや「陰謀論」がどーのという段階はとーに通過してますよね?

世の中あまりにも、「陰謀」「隠蔽」「裏工作」だらけで、それを明るみに出そうという”陰謀論”も追いつかない勢いです。
あまりにゴロゴロ転がっているものだから「陰謀論」ですら、フツーにスーッと入ってきてしまうご時世ではないでしょうか?
言葉が無意味化しています。

私たちは、そういう時代にいるわけで、多くの方々の「気づき」が次第に水面下で想像以上の大きなパワーとなってきているのを肌身で実感しております。また、自分自身大変勉強になっております。

表面的なニュースが、さも「大勢は○○だよ」などと煽って、いかにもそれ風な映像を流したりしていても、一向に動ぜず、冷静にみられる方の方が、むしろ多いのではないでしょうか?

こうした「層」がさらに増えれば、もはや「陰謀」は通用しなくなります。
「陰謀論」という言葉も消失するでしょう。

マスコミ、マスメディア、アカデミー、権威などが仕掛けてくるあらゆる「お芝居」が丸見えで、どんなアクターがそこで踊っているのかも分かってしまえば、彼らは「裸の王様」状態ですね?



ところで、「気づき」には2通りあると私は考えます。

外側(外界)に向かうものと、
内側(内面)に向かうもの。

どちらも一枚のコインの裏表です。

前者には、今回述べたような「陰謀論」
後者には、おいおい述べていこうと思いますが「スピ(系)」

というそれぞれレッテルが貼られ、私たちの「気づき」の頭と足を抑え込もうとしています。
時に頭と足を喧嘩させようとします。

しかし、あなたに数多くある「気づき」こそが、人間として最も尊い本能の発露ではないでしょうか?

因みに、ウィキペディアで「陰謀論」を検索してみると、それ自体の「陰謀」があからさますぎて、笑えます。
さすがに、「偏執狂パラノイア」他の「精神疾患」まで引き合いに出されるんですから、怖いですね。「1984」ですか?

       

※2/2 京都大学名誉教授 福島雅典医師記者会見
(この一件を報じないNHK・民放・大新聞等が何者かが逆にわかりますね)








東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。