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あたまのなか@教育

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教育や子育てについて書いています。教育思想や教育社会学が専門で、教育業界で働いています。「よい教育とはなにか」「よい子育てとはなにか」をよく考えています。『あたまのなか@人』と一… もっと読む
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命のバトン

「親に恩返しはしなくていい。与えてもらった分、子どもや後輩など、自分の下の人に渡すんだよ。」 以前、セラピストの方に教えてもらった言葉です。 それ以来、後輩とご飯に行くときは出すようにしています。 大学生時代、後輩とご飯食べに行き、奢ってあげられなかったときの悔しさもあります。反対に、奢ってもらったとき、感謝する気持ちが増えました。 昨日、同じセラピストさんにお会いし、この話の続きを聞くことができました。 「命のバトンは上から下にしか渡せない。下から上に戻していたら

ことばの暴力を減らすためのたったひとつの方法。

たまに親子を見ていると、子どもにひどい言葉をかけているなぁと思う。 大晦日の電車で見かけたのは、ドアが開いた瞬間に乗った娘を見たお父さんの言葉。 「降りる人が先でしょ。○か×で言ったら〇〇ちゃんは×の子だよ。」 (そんなの親にも彼氏にも上司にも言われたくない、、、) 今朝は、登り坂を自転車で登る2人兄弟とお父さんを見かけた。ぽっちゃりのお兄ちゃんに対し、お父さんが「遅いぞ、デブ!」とおそらく言っていた。 (わたしが言われたら泣くけど、自分も小さい頃ぽっちゃりの弟いじ

「お腹を満たすごはん」と「心を満たすごはん」

ごはんには2種類ある。「お腹を満たすごはん」と「心を満たすごはん」だ。 「お腹を満たすごはん」は、コンビニとかスーパーのお惣菜とか。胃袋を満腹にするごはん。 「心を満たすごはん」は、自分のために作ったごはんや、誰かが私のために作ったごはん、誰かと囲んで食べるごはんだ。「心を満たすごはん」は自然とお腹も満たしてくれる。心を満たすごはんの魔法だ。 ここ数日は、「お腹を満たすごはん」ばかりを食べていた気がする。「心を満たすごはん」を食べよう。 子どもも、「乳

「自立」はストレスにもなる

「デンマークの高校生の自殺率は10%(統計を見たわけではないので、確かな数字ではありません)。たしかに、日本の様な暗記中心の受験戦争もストレスかもしれない。でも、自分のアイディアがいかに優れていてるかを見せなければならないデンマークの入試もストレスなんだよ。自分がいかに革新的で、いかにクリエイティブかを見せなければならない。」 2年ぶりに新宿の居酒屋で再会した、留学していたデンマークの成人教育機関フォルケホイスコーレの先生はそう口を開いた。 彼は10回以上日本を訪れており

教育は、人に翼を授ける。

「教育は、人に翼を授ける。」 私の信念の一つである。 学部時代に研究していた、きのくに子どもの村学園の学園長堀真一郎さんは、「家庭が教育の核である。」と言っていた。やけに印象に残っている。 もし家庭が教育の核であるとしたら、学校は第2の核である。学校は私に居場所を与えてくれた。国語、数学、社会、英語、体育、音楽ー。学校での学びは私に翼を授けてくれた。 中高の英語の授業は、私に広い世界を見せる術をくれた。中学の教科書を進めるのが楽しかった。 予備校の小論文の授業は、私

給食を全種類食べなきゃいけないのは、不自由だ

断食を終え、回復期の今、食べる量が圧倒的に減った。 そんなとき、給食って他人の目線で盛られた食べものの量を食べるのって、すごい不自由だなと思った。 学部時代に研究していたきのくに子どもの村学園では、子どもは自分で食べたいものを選んで食べていた。 給食は、全部盛らなくてもいい。好きなものを好きな量盛ればいい。食事を「選ぶ」自由がある。そんなところにも、教育方針「自由な子ども」を感じていた。 もちろん、私も食べたり呑んだりして、寂しさやイラつきを抑えたこと

「乳と蜜」を与えられた人が見分けられる

『愛するということ』を読んでいる。 そのなかの一節に、母親から「乳」を与えられた人と「乳と蜜」を与えられた人がいると書いてある。 うまく言いかえられないのだけれど、あーわかるわかる、と思って読んでいた。 バイネームで言わないけど、大学の同期とか、後輩とか、朝活コミュニティのあの人とか、なんとなくわかる。あぁ、きっとこの人は「乳と蜜」を与えられて育ったんだな、と。 蜜のようなしつこくない甘さを持っている。ミルクを包み込むような深いハチミツみたいな甘さだ。 その人の「ぬ

「家庭」が教育の核である。

「家庭」が教育の核である。 学部時代に研究していた、きのくに子どもの村学園(きのくに)の学園長 堀真一郎さんから、直接お会いしたときに聞いた言葉だった。 その研究の背景もあり、今私は学校(社会人向けクリエイティブスクール)で働いている。 昨年150名以上の人のキャリアカウンセリングをして、今も日々1名、2名ほどカウンセリングしている。そのなかで、その人のもっと根本から形成されている価値観を明らかにしたいな、と感じている。 学校や、専門スキルを身につけることでも人は

2つの鍋は1つになる。ぜんぶ繋がってくる。

今日は「リフレクションカード」を使って、ふり返りのワークをしていた。 いま、後輩指導にあくせくしているんだけれど、会社色に染めるよりも、その人のやりたいことや方向性を掴みながら、会社の場を活かして伸びていって欲しいと思っている。 私は、社会人向けの専門スクールで働いている。クリエイター×移住とか、主婦ママ×Webデザインで在宅ワークとか、自分のやりたいことを事業と組み合わせてきた先輩たちを見ているし、自分もそうしてきたしそうしたいし、事業会社だから「自ら考える」ってことは

「離乳食や子ども用スプーンに違和感を感じる」と彼女は言った。

それは、workaway(ワーカウェイ)で滞在した、ホストのヒッピーなママの言葉だった。 workawayは、農業や家の手伝いをする代わりに、宿代と食事が出る登録制サービスだ。 休学したとき、オーストリアに2週間ほど滞在していた。デンマークに6ヶ月いて、山が恋しくなって、オーストリアの山の近くのホストを選んだ。サウンドオブミュージックの舞台の近くだった。 私は、オーガニックでヒッピーなシングルマザーと、5歳くらいの男の子、1〜2歳くらいの女の子のおうちにお世話になった。

職場ではみんな「〇〇さん」と呼ぶ。

こないだ子育てに悩みを抱えてる人に、私が気をつけてるtipsを少しお話しした。 そのとき関係なかったのだが、仕事で気をつけていることがある。 それは、歳下の男性も「さん」で呼ぶことだ。 「〇〇くん」って呼ぶことが多いと思うが、その人が先輩になったり、上司になったりしたら、「〇〇さん」って呼ぶし、性差をつけたくない。 私は、歳下でも歳上でも、先輩からも後輩からも「鳥井さん」って呼ばれるからね。〇〇ちゃんって呼ぶ職場もありそうだけどなぁ、何か可愛がってるのか下目に見てるの

教職員とは、学びの「伴走者」である

私はわかりやすく言えば、学校職員をしている。「学校」は、社会人向けの専門スクールだ。 で今、『Learn better』という本を読んでいる。 この本は学ぶことが多すぎるんだけど、そこから自分が着想を得たのは、「伴走者」という言葉だった。 もともと、下書きしたまま、書き途中の記事があった。『共同研究者になりたい』というタイトルだった。 それは、昨年の秋、大学で研究していた学校「きのくに子どもの村学園」にシンポジウムで聞いた言葉が元だった。「先生とは、学びの共同研究者で

「学校」と「社会」

私は専門スクールに勤めている。法的な区分だと塾や予備校にあたるが、まぁ「学校」である。そんな「学校」は昨日修了式であった。大学と大学院の卒業式とも合同で開かれた。 そこでよく耳にした言葉は「これから社会へ巣立つ君たち/私たち」という言葉だった。「???」と思いながら、何かが心の中で引っかかりながら聞いていた。 では、「学校」と「社会」は何が違うのであろうか。 まずは、立場が変わるということ。お金を払って学ぶという立場から、お金をもらって働くという立場になる。消費者から生

2つの自立と主体性

「自立」とは何か?何をもって人は「自立している」と言えるのだろうか? 最近は「自立」について考えている。 昨年3月、大学の卒業論文の最終発表会で、他のゼミ生の結論が「個人を出発点とした自立」であった。そこから、頭のどこかに「自立」という言葉が引っかかっている。『嫌われる勇気』か『幸せになる勇気』か『7つの習慣』で読んだのだが、人の自立には「精神的自立」と「経済的自立」の2つがある。(違ったらごめんなさい。)この2つが人間の自立には必要だ(と、仮定する)。 経済的に自立し