「学校」と「社会」
私は専門スクールに勤めている。法的な区分だと塾や予備校にあたるが、まぁ「学校」である。そんな「学校」は昨日修了式であった。大学と大学院の卒業式とも合同で開かれた。
そこでよく耳にした言葉は「これから社会へ巣立つ君たち/私たち」という言葉だった。「???」と思いながら、何かが心の中で引っかかりながら聞いていた。
では、「学校」と「社会」は何が違うのであろうか。
まずは、立場が変わるということ。お金を払って学ぶという立場から、お金をもらって働くという立場になる。消費者から生産者になるのだ。専門スクールは働きながら通っている人が大半だが、仕事での立場は「生産者」であり、学校での立場は「消費者」である。実際には、学校は「消費者」から「生産者」になっていく”場所”、”装置”であろう。
次に、学校では「許容」があるということ。学校は、やっちゃいけないことを教えてくれる場所である。失敗が許される場所である。
他にもいろいろありそうだが、「学校」と「社会」が分断されているのは、果たしていいのだろうか?(いや、よくないんだけど、何でよくないんだっけ。忘れてしまった。ジョン・デューイが『学校と社会』のなかで書いてます。)
「学校」と「社会」は、つなぎ目があるようでないくらいがいいと思う。ゆる〜くつながっているくらい。
完全に「学校」と「社会」が分断されててもよくないし、つなぎ目が全くないのもおかしい。ゆる〜く、マーブル色に混ざってればいいのかも。
そもそも、「学校」と「社会」という二項対立でみることから疑ってみてもいい。学校は「小さな社会の縮図」とも言う。どちらもコミュニティであるという点は同じだ。
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