生きたご褒美の死

※先に注意しておきますが、これは自殺を勧める意図があるものではなく、一たまに死にたくなっちゃう人間として、わたしはそうやって生きるのもありだなぁと思ってるよ、というだけの文章が以下続きます。

死にたいと願う人に、あなたは何と声をかけるだろうか

「死んじゃだめだよ」
「死んだらすべて終わりだよ」
「あなたが死んだらわたしは悲しい」

おそらくこのへんの言葉ではないかと思う

こういった言葉をかける人たち(私だって本当に死のうとしている人がすぐそばにいたらこんな言葉もかけるかもしれない)は、ほとんどが善意を持って、死にたいと願う相手のことを心から思って言っているのだと思う。

けれどこれらの言葉は全て「死」を否定してしまっている。なんならば死にたいその人の気持ちを否定してしまっている。

死ぬことは悪い事なのだろうか。

わたしは肯定的な死もあって良いと思う。
だって生きるのが辛い人たちは生きてるだけで辛いのだから。そのなかを生きているのだから。それだけでもう十分頑張っているのだから。
生きたご褒美としての死があってもいい。

ただ、今死ぬには決断が早すぎる。
なぜならば、今生きているのが辛いのはその人の身体が、脳が、疲れていて何かしらの病気になってしまっているからだ。だったらまずその病気を治すのが先。病気が治った先には生きるのが辛くない世界が広がっている可能性が高い。

だからわたしはあと30年は生きようと思っている。
自分の子供が成人するまでは生きて、そのときまだ生きるのが辛かったら、それまで何十年と生きてきた自分を讃えてご褒美に死を選びたいと思う。