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丸山眞男と私

 丸山眞男が戦後思想界における巨人であることは疑いえない。私と丸山思想史との出会いは二十歳頃の学生時代、大学キャンパスで開催されていた青空古本市でのこと。岩波新書の『日本の思想』をたまたま手に取ったのがきっかけとなった。「思想」という言葉に、知的な背伸びをしたい年頃のミーハー的な関心があったことは否定できない。中身を読んでいくと、日本における主体性の欠如、機軸の不在、タコツボ文化といった、言語化しにくい概念を的確に設定してくる魅惑的な記述と、それらの思想的源流に分け入っていく手法は、自らの怠慢を棚に上げて日常の不遇をかこちつつ、晴れないモヤモヤに困りながら暮らしていた青年の心を撃った。書いてあることは難解なのにいずれも腑に落ち、純粋にすごい人がいるものだと思った。

 私は1996年に亡くなった丸山に会うことはできなかった。しかし、学生時代に我が師と仰いだ先生方は、丸山ゼミ出身の門下生でこそなかったが、いずれもことごとく丸山に接してその影響を受けており、その受けた薫陶を間接的に浴びていたこともあって、私自身も孫弟子の最末端のつもりで、会ったこともないのに勝手に丸山先生を自分の師だと思っている。のみならず、思想的に超えるべき壁だとさえ思っている。識者からは身の程知らずのバカだと思われるだろうが、思うだけなら勝手だ。

 大学院で指導を受けていたころ、私の敬愛する指導教官に、一週間でなんとなくでっち上げた研究報告をもっていくたびに、君の文章はクリアじゃないと言われたものだ。実際、毎回こう言われるほど私の文章は論理が破綻していた。私はこうした指摘を受けるたびに院生仲間に面白おかしく披露し、「クリアじゃない」は同期生の一部でちょっとした流行語になった。なにしろ私が書いていたものは、研究論文とは程遠い、評論気取りの、まがい物の詩のようなものばかりだったから当然だ。ちょうど今このnoteに書き散らしているようなものを想像していただければよろしい。クリアじゃないと言われたあとのお決まりのパターンは、ちょっとそこの丸山先生の本を取ってみなさいと言われて、『日本政治思想史研究』だかを研究室の本棚から抜き出し、適当に開いたページの音読を命ぜられることだった。

 音読を命じられた私が、
「『自然的秩序』の論理は、儒教規範が一方天道とか天理とか呼ばれる宇宙的自然と、他方『本然の性』と呼ばれる人性的自然と連続していることに胚胎する――」
というような一節を朗々と読むと、目を瞑ってそれを聴いていた先生は「どうだ、難しいだろう。しかし、難しいけども意味がわかるんだよ。」と言って私の曖昧な文章と比較させられるという塩梅だった。そして、いきなり抽象論から入るのではなく、具体例を数多く積み重ねてから理論化に入ることを、繰り返し説かれた。それはまったくその通りなので、意地っ張りな私でも、ぐうの音もでない。こうしたことを修士課程の2年間繰り返し、それ以来、文章においても丸山は、あまりにも高すぎる私のライバルとして聳え立ち、今なお届かぬ彼方にいる……
 そして、そのような存在があったことで、大学院にて講じられる、統計をこねくり回すばかりの実証的「政治学」に失望し、文学に逃避先を求めていた自分も、「政治思想」および「政治史」を学ぶことにおいては完全に失望せずに済んだようであった。

 さて、丸山眞男が先述の『日本政治思想史研究』に収められた論文を書いたのは、20代後半から30歳くらいにかけてのことである。とっくにその歳を越えている今の自分は、果たしてその思想・文章に立ち向かうことができるのか、ということが気になっている。思えば、丸山ばかりを読んできたわけでもないし、とにかく多読濫読で、茶碗に大盛の飯をかきこんでほとんど椀の外にこぼしているような、若いころの大ざらいの読み方では、きちんと思想を咀嚼できていなかったと思う。しかし、丸山の著作が自分を政治思想に誘惑したのは間違いなく、丸山自身が福沢諭吉研究に没頭して「福沢惚れ」を公言していたように、「丸山惚れ」を自分なりに形にして、貫徹してみたいという感傷が時おり沸き上がってくるのも確かだ。

 超えるべき壁を超えるためには、まず追いつく必要がある。追いつくために、再読する必要がある。立ち向かうことができるかと言えば、自信はない。ならば丸山が書いたものを、若いころから順に辿っていき、思想遍歴を並走することで、断片的にでも何か見えてくるかもしれない。あるいは途中で追いつけなくなるかもしれない。そのように思って、これから将来に向けて、丸山のものを少しずつ再読していきたい気分になる。

 丸山の代表的な著作は『丸山真男集』(岩波書店)で一通り網羅されているが、現在私は丸山集を所有していない。そもそも、彼が本格的研究生活に入る以前に書き残したものから勝負していかないと、初っ端から太刀打ちできないことになりかねない。幸いにも、東京女子大学の丸山眞男文庫が草稿類のデジタルアーカイブを公開してくれており、幼少年期の丸山の手書き文書が一部閲覧できるので、関係者のご尽力に感謝しつつ、使わせていただくことにしたいと考えている。差し当たっては、彼が子供の頃に書いた日記から…

◎東京女子大学 丸山眞男文庫 草稿類デジタルアーカイブhttps://maruyamabunko.twcu.ac.jp/archives/




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